兵士10万人が4日間展開する演習
大正10年11月、当時の日本陸軍は武相の地(東京・神奈川・埼玉の一部)を仮の戦場として陸軍特別大演習を行いました。演習は4日間行われ、参加した兵士は約10万人。演習は東軍と西軍に分かれ、11月21日早朝、多摩川の二子の渡し(246号線の二子橋付近)で両軍が対峙する形で終わったのです。
この演習には当時皇太子であられた昭和天皇陛下がご臨席。この演習を一目見ようと関東一円から数十万の人が見学に訪れ、空前の賑わい、日頃静かな村は村史上初の大事業が舞い込み、大騒動になったのです。
巨大なスタンドのような地形
この演習で最も重要な拠点となったのは田奈村(現長津田・恩田・奈良地区)でした。恩田川沿いに平地が広がり、あたかも巨大なスタンドのように見下ろせる丘が南北に連なり、演習を見るには絶好の地形(上の写真をご覧ください)。
皇太子(昭和天皇)は長津田にご来臨され、その南側の丘陵地、神明山(現長津田地区センター付近)で大演習を統監されました。それを記念して長津田小学校の近くに松の木が植えられました。
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翌年この地に都筑郡によって記念碑が建てられ「お野立ち所記念碑」として現存。その時、皇太子は井上征さん宅の本家、井上勝昭さん宅にご宿泊、側近の人たちは井上征さん宅に宿泊したのでした。
3日間不眠不休の受け入れ態勢
田奈村に皇太子のご来臨、10万の兵士と数十万の見物人、村人はその準備と当日の対応にてんやわんや、村始まって以来の経験をしたのでした。
その模様を同村恩田出身の元参議院議員・鈴木憲一さん(当サイト「田奈村編」に登場。鈴木交さんの父)は、著書『村の研究』の中でこう書いています。
「大演習のさいの見物人数は、おそらく空前絶後ならん。堀之内(恩田町)の丘は、突然の人の山をきづき、地の目わかたず。県下各中学校生徒はもちろん、その他一般参観人は、遠く30里(120キロ)よりきたる。村内一般に水質検査はもちろん、何一つ残すことなく調査し、準備万端行き届きたるも、また空前のこと。各青年団、消防団、軍人会、女子青年会、愛国婦人会の活動もまた目覚しいものにて、3日間にわたりほとんど不眠不休の状態なり」と記されています。
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御野立所(おのだちどころ)石碑
昭和天皇が皇太子時代、大演習を統監された場所に建立した記念碑
撮影:岩田忠利
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