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昭和32年10月、目黒銀座商店会主催「仮装行列大会」優勝チーム
毎年50組前後の出場があるなかで優勝の「ボロショイバレー団」。なるほど、この年来日したボリショイバレエ団を模し、「ボロショイ」とは、言い得てますね。
各出場チームは目黒銀座通りを練り歩き、見物人に優秀賞を投票させて優勝を決め、大変盛り上がり、最盛期にはテレビ出演したことも。
提供:目黒銀座商店会
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昭和33年9月26日、台風22号「狩野川台風」……目黒川決壊
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山手通りが冠水、中目黒駅前のトロリーバス停留所付近
車は立ち往生、道路の往来はボート以外に何も無い状態。
撮影:本橋英正さん(上目黒2丁目。画家)
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駒沢通りに架かるサイカチ橋際の家、4軒が流失
サイカチ橋から撮影した現場です。
撮影:本橋英正さん(上目黒2丁目。画家)
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昭和37年5月、中目黒駅下りホーム
地下鉄日比谷線乗り入れのための大改造工事が始まり、上りホームの下側から壊し始めたところです。
撮影:藤田幸一さん(練馬区南大泉)
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昭和60年8月、日比谷線乗り入れで大変身した中目黒駅
撮影:藤田幸一さん(練馬区南大泉)
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千代田生命本社ビル(現目黒区総合庁舎)の起工式
千代田生命本社ビル(現目黒区総合庁舎)の地には、昭和2年から35年間、アメリカンスクールが建っていました。それ以前、その同じ場所は牛が草をはむ“浅海牧場でした。このことを知っている人は、いま何人いるでしょうか。
昭和36年に用地買収を済ませた千代田生命は、新社屋の設計を芸術院会員の村野藤吾氏(昭和59年12月歿)に依頼、昭和41年5月、中世ヨーロッパの城廓を思わせる大建築を完成させました。
村野藤吾氏といえば、日生劇場、新高輪プリンスホテル、日本生命日比谷ビル、読売会館、広島平和記念聖堂、帝国ホテル茶室東光庵、日本興業銀行本店、都ホテル大阪、横浜プリンスホテルなど数々の芸術品ともいえる建築物を次々設計しました。これらの建築の功績により文化勲章を受章された昭和期を代表する建築家です。
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昭和38年4月、アメリカンスクールだった校庭に紅白の幕が張られ起工式
提供:千代田生命本社
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巨大なクレーンが起動し、起工式の開幕
当時のアメリカンスクールの体育館は、千代田生命社内研修センターとして恵比寿に残されました。
提供:千代田生命本社
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昭和41年5月、落成当時の新本社。中目黒の新名所としてひと際高くそびえる2棟の建物と広い庭園
右手正面前に駒沢通り。左手後方に東横線と中目黒駅。さらに左上に代官山と渋谷方面が望めます。 提供:千代田生命本社
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