校正:石川佐智子/編集支援:阿部匡宏/編集・文:岩田忠利

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NO.24
   大倉山の道

    変わった地名、デンデボやオトボリの由来は?


    昭和30年、地名「デンデボ」という所

 この母子が立っている場所をなぜか「デンデボ」と呼ぶそうです。 地名の由来、お分かりの方、教えてください。
 
 提供:横溝多恵子さん(師岡町



   写真左の現在地「師岡町公園」付近

 環状2号線のバス停「南谷戸」から徒歩3分ほどの高台。
 撮影:岩田忠利







昭和34年4月、オトボリ北道  
 提供:石川正人さん(師岡熊野神社宮司)

 ここは東横学園裏の細い尾根道、当時は樹木におおわれ、昼でも薄暗い所でした。この尾根道の下には「オトボリ池」と呼ぶ池もありました。「オトボリ」とはいったいどういう意味?



     写真左の現在地(2013.2.12)

 右側が師岡町、左側が大豆戸町、町境の尾根道です。左上はミニ公園になっていて、ベンチ、滑り台、砂場、水道があり、一望に見渡せる散歩コースの休憩に最適。

 撮影:岩田忠利










            
               商店街の通り(道)


 昭和36年、駅から大曽根への線路沿いの道   

  撮影 :山本隆夫さん(太尾町)



写真左の現在地(2013.2.12)

撮影:岩田忠利




   昭和55年5月、「オオソネ朝市」

 毎月第3日曜日、朝9時から1時間ひらく名物。安くて評判のこの朝市、約200メートルの道は、ご覧のように黒山の人だかり!

 撮影 :とうよこ沿線編集室
     


写真左の現在(2013.2.27)大曽根商店街

撮影:岩田忠利







昭和63年(1988)12月4日、エルム通り完工式

撮影 :とうよこ沿線編集室
   東口はレモン、西口がエルム

 
東口の再開発が「レモン通り」という名で昭和56年(1981)4月から3年を要して完成したのに続き、西口は「大倉山エルム通り」と銘打ってギリシャ風の街に変身しました。
 道路は両側2メートルずつ広がり、御影石のタイルで舗装した歩道を新設。さらに東京電力、NTTなどの協力で電柱を撤去し電線を地下に埋没。街路樹を植え、各店舗をギリシャ風の白亜の建物に統一し調和した美しい街並みに。
 その後一時、ハマの“新名所”と話題になり、観光客や県内外の商店街視察団が次々バスで押しかけ、役員さんらはその対応に追われる毎日でした。


昭和56年9月、西口のエルム通り

撮影 :とうよこ沿線編集室

   



   写真左の同じ場所、現在(2013.2.12)

 道路両側は2メートルずつ広がり歩道を新設、車歩道分離で安心して歩けるようになりました。
 撮影:岩田忠利

 



昭和56年9月、西口のエルム通り

左は八百音、右が加藤金物店

撮影 :とうよこ沿線編集室




 


写真左の同じ場所、現在(2013.2.12)

撮影:岩田忠利

  



昭和56年9月、東口のレモン通り

右は大倉山郵便局、後方が新幹線ガード
撮影 :とうよこ沿線編集室



写真左の同じ場所、現在(2013.2.12)

撮影:岩田忠利



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