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街は“生き物”。変わらないようでも絶えず変化しています
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昭和34年(1954)、平間駅
地元の鎮守様、八幡神社の寄付者芳名板が掲げられています。
提供:山田勇さん(田尻町)
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写真左の平間駅、現在(2013.3.16)
撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和32年(1952)、平間駅前通り
改札を出ると目の前に空き地と砂利道が飛び込んできました。
提供:山田勇さん(田尻町)
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写真左の駅前通り、現在(2013.3.16)
撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和32年(1952)、ガス橋通り
駅前通りが砂利道なのに、この通りは舗装道路です。
提供:山田勇さん(田尻町)
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写真左の平成12年(2000年)のガス橋通り
撮影:岩田忠利
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昭和33年(1953)、紙芝居が来る街角
きょうは、お客が少ないようです。
提供:山田勇さん(田尻町)
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写真左の紙芝居が居た場所、現在(2013.3.16)
撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和36年(1956)、平間銀座商店街
左側の男の子、ここはトイレじゃないよ! 銀座通りだよ。
提供:山田勇さん(田尻町)
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写真左の平間銀座商店街、現在(2013.3.16)
撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和34年(1954)、平間駅ホームと踏切
左手にどこの街角でも見かける映画館のポスターが……。
提供:山田勇さん(田尻町)
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写真左の平間駅ホームと踏切、現在(2013.3.16)
撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和34年(1954)、ガス橋通りの映画館
平間中央映画劇場では、いま山本富士子主演の「夜の河」と高峰秀子主演の「二十四の瞳」との二本立てを上映中。人影が見えず、どことなく寂しいムードが漂っています。
提供:山田勇さん(田尻町)
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昭和32年(1952)、ガス管が主役のガス橋
貧弱な木橋の横に堅牢な橋脚の上に大きなガス管は木橋の両側に1本ずつ2本が多摩川を渡っています。人間が渡る木橋は脇役、主役はあくまでもガス管。そのため「ガス橋」と言います。
提供:山田勇さん(田尻町)
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昭和28年、ガス橋下の水位監視小屋
堤防の外側は平間の町。河川敷は食糧難から畑として利用されていました。
提供:萩坂昇さん(中丸子)
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昭和35年(1955)6月、新ガス橋完成、渡り初め
提供:山田勇さん(田尻町)
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昭和32年、幅員わずか1.5mの木橋のガス橋
左手、対岸の建物はキヤノン下丸子工場です。
提供:山田勇さん(田尻町)
命が縮まる思いで渡るガス橋
白井芳美さん(下沼部)は木橋当時のガス橋についてこう話しています。
「子供の頃、自転車でガス橋を渡るときの怖さといったら命が縮まる思いでした。相手の自転車とのすれ違いは、コブシひとつがやっとという狭さ。板ぶきの橋はちょうど中間辺りの板が腐っていて数か所、折れたままの状態……。その真下はすぐ川面。風の強い日には吹き飛ばされそうになります。
ここで新丸子の浅見徳太郎さんという人は実際に足を滑らし、板の隙間からドボ〜ンと真っ逆さまに落ちてしまったのです。
この橋を渡るのは、まさに命懸けでしたねぇ」
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写真左のガス橋、現在(2013.3.16)
橋の両側に歩道が付き、車歩道分離で安心して通れるガス橋になりました。
対岸のキヤノンなどの建物も高層化、手前左右に走る道は交通量の多い多摩沿線道路。左右写真の落差に時代の変遷を痛感します。
撮影:石川佐智子さん(日吉)
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