校正:石川佐智子/ 編集支援:阿部匡宏/ 文・編集:岩田忠利



昭和30年7月、井田中ノ町の井田交番付近

右手に交番が見えます。静かで目に眩しいほどの緑。
提供:橋本禎二さん(井田中ノ町)


         写真左の現在(2013.3.2)

 右手の白い建物が井田交番。周囲の景観は変わっても道のカーブは変わっていません。
 撮影:岩田忠利







昭和30年7月、工事用トロッコのレールが走る道

提供:橋本禎二さん(井田中ノ町)




    左の写真の15年後、昭和45年10月

 砂利道が歩道付きの尻手黒川道路に。左の家の向こう側が市営バス・井田営業所の車庫。
 写真左の現在地を撮ろうと現地に行きましたが、鉄塔から手前まで「江川せせらぎ緑道」が新設され、情景は大きく様変わり、定点撮影の場所が見当たりませんでした。

 提供:橋本禎二さん(井田中ノ町)


  昭和30年に発見された井田伊勢宮横穴古墳
            
                             提供 :井田郷土資料館


 昭和橋から井田山に登る坂の途中、右側の崖(井田3丁目4番)で7世紀頃の井田伊勢宮横穴古墳が発見され、中から直刀、つぼ、土器、人骨が発掘されました。
 この辺のローム層下の洪積層は古代の海岸線であったらしく、こぶし大の巻き貝が数多く発見されました。なお、その出土品は川崎産業文化会館に保存されています。



   写真左と同じ場所の現在(2013.3.5)

 右の壁面に横穴古墳がありました。古墳名となった井田伊勢宮は井田神社に合祀されるまで写真左手付近(跡地に大きな松の木が2本生えています)にありました。
 坂を登りきった左側が市立井田病院。信号を右折した先が県養護学校など川崎市心身障害者施設「桜の風」があります。
 撮影:岩田忠利






       昭和31年1月、お地蔵様の角

 手前の道は現在の尻手黒川道路。お地蔵様の角を曲がると井田交番前を通って元住吉駅西口に出ます。
 提供:橋本禎二さん(井田中ノ町)


       写真左の現在(2013.3.2)

 お地蔵様は信号手前の脇道に移され、祠に安置され地元の皆さんに守られています。
 








 昭和32年1月、川崎市営バスの終点「井田バス停」

砂利道にボンネットバス、車は通らず、静寂そのもの。まだ川崎市営バスの井田営業所はなく、ここが終点でした。バスは路上でUターンし、お地蔵様の角(上の写真)を左折して現在のブレーメン通りを通って元住吉駅方面に向かっていました。
 写真左、手前の電柱の所を左折し坂を登ると市立井田病院です。

 提供:橋本禎二さん(井田中ノ町)


      写真左の現在(2013.3.2)

 現在は車の往来が激しく、写真を撮るのもひと苦労の尻手黒川道路の交差点「井田病院入り口」です。
 撮影:岩田忠利










  昭和32年4月、標示板「川崎市名所井田堤の櫻」

 後方は下流で昭和橋。右手が矢上川、標示板の後が江川の河口です。標示板は矢上川と江川の合流点にありました。

 提供:橋本禎二さん(井田中ノ町)


  写真左を昭和橋から合流点を見た現在

 左が矢上川、右が江川の河口。標示板は後方正面の赤い屋根の家の所にありました。
 撮影:岩田忠利









      昭和35年4月、江川の桜並木

 明津端から下流の井田橋方面を望む。江川の周囲は一面の田畑。その中で咲き誇るサクラは遠くから目立ち、ひときわ美しいものでした。
 提供:石野英夫さん(井田中ノ町)



写真左と同じ場所、明津橋跡からの現在(2013.3.5)

 親水公園の「江川せせらぎ遊歩道」となり、市民憩いの場所です。
 撮影:岩田忠利






 


    昭和35年11月、農道だった井田神社裏通り

 手前方向が井田神社裏。後方は尻手黒川道路沿いの高津区明津。田んぼの先の桜並木は矢上川の支流、江川です。
 提供:橋本禎二さん(井田中ノ町)


       写真左の現在(2013.3.5)

 ブレーメン通りのバイパス的役割を果たしてきた井田神社裏通り。右手前の白い建物は井田杉山町にあるフードハウス大野屋の流通センター。

 撮影:岩田忠利





TOPに戻る

NO.6 へ

画像をクリックすると、拡大されます。拡大後は左上の戻るボタンをクリックしてください

NO.5
昭和30年代、井田の情景 昭和30年(1955)〜35年(1960)