校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.20 菅田・羽沢地区、昭和の時代

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                  戦時中、人々の営み



     昭和9年11月、羽沢地区の“農繁託児所”

 猫の手も借りたいほど忙しい農家その農繁期に子供たちを預かる“農繁託児所”を羽沢町神明社で開きました。開所のときの子供たち、世話をする女性たち、役員らが集まって記念写真。
  提供:平本康博さん(羽沢町)



昭和157菅田東部青年会が牛車でジャガイモの出荷


 場所は菅田町猿渡。右から2番目が松下鉄五郎さん。後方は東前田の家並み。左中央の家は昭和20年の空襲で焼けた法田一好さん宅です。

 提供:松下鉄五郎さん(菅田町)





昭和11年菅田農事実行組合が安行から仕入れた植木

菅田町・小川橋に到着したトラック。
提供:伊藤啓一さん(伊藤写真・菅田町)









   昭和11年3月、同組合の植木セリ市

          提供:伊藤啓一さん(伊藤写真・菅田町)

  植木栽培が盛んな菅田・羽沢地区

 谷戸が多い菅田・羽沢地区は昔から植木栽培が盛んでした。谷戸の丘地は日当たり、通風、水はけが良く、植木栽培に適しているうえに、宅化が進む東京・川崎・横浜の大都市に近いことも有利でした。


昭和18年歌人岡本かの子の母の実家前、火の見櫓


 鉄の火の見やぐらまで戦争に駆り出されることになりました。鉄を溶解して兵器製造のため強制的に供出させられたのです。写真左の板に「応召火之見櫓解体記念」と記さています。

 右後方の大きな家は菅田東の鈴木登久治家で、歌人・岡本かの子の母、アイの生家です。神奈川県下屈指の旧家で素封家の2女に生まれたアイ。現川崎市高津区溝口の大貫家に嫁ぐ前、娘時代の彼女の性格は明るく、外国語を学ぶ情熱的で活発な面と常磐津をたしなみ、俳句を詠むなど文学的趣味をもつ女性だったという。

 提供:松下鉄五郎さん(菅田町)










   昭和19年、兄弟二人が同時に出征、ともに戦死

 菅田町・法田(のりた)久四即さんの家では−度に兄弟2人が出征。兄の武雄さんと弟の快三さんが応召され、ともに戦渦に消えてしまいました。
 提供:関口 弘さん(六角橋)












わが町、菅田の風景
撮影:伊藤啓一さん(伊藤写真。菅田町)


昭和32年1月、菅田町長谷戸の畑で働く農耕馬

馬のくつわをとるのは、現相模屋金物店・店主の小川正雄さん。



昭和42年1月の長谷戸。左稜線上に池上小学校校舎が見えます


昭和32年(1957)4月、小川橋付近



写真左と同じ場所、現在

2013.7.8 撮影:石川佐智子さん(日吉)






昭和32年(1957)5月、完成直後の菅田市営住宅を望む

撮影場所は池上小学校付近。



写真左の菅田市営住宅、現在

建物が建て込み、ズームでアップし撮影。
2013.7.8 
撮影:石川佐智子さん(日吉)




昭和42年(1967)1月、バスが走る台町下の風景

左後方は小川橋、中央の建物は横浜冷凍(現市営西台町住宅)。






写真左と同じ場所、現在

右の建物は市営西台町住宅。
2013.7.8 撮影:石川佐智子さん(日吉)











昭和45年(1970)7月、井出戸谷戸の風景



写真左と同じ場所、現在

谷戸は埋め立てられ駐車場になっています。
2013.7.8
 撮影:石川佐智子さん(日吉)










昭和45年(1970)6月、西菅田団地の造成が始まる





 写真左から約4年半、昭和50年1月、西菅田団地完成

 5階建て52棟、マンモス西菅田団地の完成です。手前は5街区の各棟、後方の正面は6街区各棟。
              
       
次世代へ連綿とリレーする”伝統”
            


昭和35年9月28日、杉山神社の祭礼が復活

右後方が小川橋です。
撮影・提供:伊藤啓一さん(伊藤写真。菅田町)


昭和42年、池上(いけうえ)小学校40周年の人文字

昭和42年(1967)度卒業式のとき。
提供:平本昭二さん(羽沢町)


    昭和34年、3代目の“硯(すずり)松”

 現存の松は4
目で羽沢町神明社の前にあります。
 太田道濯が小机城攻めのとき、バスの右手の松の木の下で矢立(携帯用の硯箱)を取り出して、

 「小机は先ず手習いの始めにて いろはにほへと ちりぢりになる

 と和歌をしたため、家来を励ましたという。それ以来、この松は
硯松」と呼ばれています。
 提供:平本昭二さん(羽沢町)
















平成4年1月、58年の伝統を守る菅東囃子保存会面々
提供・法田一好さん(菅田町)


   平成4年、稽古に励む子供たち

 会長の法田一好さんは本宅の隣に稽古場を設け、後進の指導育成に努めています。



昭和50年、羽沢町のどんど焼き


   平成101月、餅を焼く子供たち
            提供・小泉福蔵さん(菅田町)

 門松、松飾り、しめ縄などが燃えた後、餅を棒の先に 付けて“置き火”で焼いて食べると、一年間無病息災だという言い伝えがあります。


MAP:菅田町・羽沢町地区