横浜市編入前、昭和2年城郷村最後の村会議員
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明治25年から続いた橘樹郡城郷村が昭和2年神奈川区と港北区に編入することになり、城郷村・村会議員お別れの記念写真 提供:三枝甲市さん(片倉町)
お宅のご親族、写っていませんか?
明治25年、9大字の小机村は「城郷村(しろさと)」と改称され、昭和2年、横浜市神奈川区に編入したのは菅田、羽沢、三枚橋、片倉、神大寺、六角橋の6大字、港北区への編入は小机、鳥山、岸根の3大字でした。
上の写真は「城郷村」が消え、9大字の代表である村会議員総辞職のときで、18名全員が写っています。当方で調べたところでは名前が分かったのは前列左から3番目の河原利一さん(菅田町)、同左から6番目の小川道之助さん(菅田町)、後列左から4番目の内田新太郎さん(羽沢町)の3名だけでした。
その他の人の名前をご存じの方、教えてください。
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昭和23年9月、戦後初の日枝神社のお祭り
提供:北村俊夫さん(神大寺)
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昭和30年、時無し大根の出荷
北村俊夫さんの家では野菜の出荷は大田区池上本門寺近くの仲買人と決めていました。きょうもオート三輪でやってきました。
野菜を積む仲買人の横溝さん、手前に父親の庄七さん、俊夫さんの妹・春子さん、末っ子の和夫さん(のち、正則高校教諭)。
提供:北村俊夫さん(神大寺)
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昭和三十年代、日枝神社祭礼の子供神輿が田んぼ道を練り歩く
右手後方の茅葺き屋根は川崎利治さんの家。
提供:北村俊夫さん(神大寺)
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写真左の現在(2013.7.7)
正面の建物はJA・横浜農協神奈川支店(旧神奈川農協)です。
撮影:石川佐智子さん(日吉)
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片倉町・三枝美佐雄家の収穫期
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昭和29年、ダイコン洗い
場所は現在の片倉1丁目のセントラル・スイムクラブの入り口あたりに流れていた小川。
冷たい川の水につかって腰をカギの字に曲げての重労働。当事者でなければその辛さは分かりません。スーパーでお金と引き換えに何気なく手にするダイコンも農家の皆さんのこうした陰の苦労があるのです。
提供:三枝美佐雄さん(片倉町)
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昭和31年11月、稲刈りのときのお茶うけ
お嫁さんは農作業の休憩、お茶うけのときでも大事な役目が待っています。わが子への授乳です。お母さんのお乳をたっぷり飲んだ赤ちゃんは気持ち良さそうに寝入っています。
提供:三枝美佐雄さん(片倉町)
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昭和28年、現コープかながわ神大寺店裏から日枝神社方面を望む
右後方の森はイチョウの大木がある日枝神社。六角橋〜片倉町にバスが開通したのが昭和26年、写真はその2年後ですが、のどかな純農村地帯でした。
提供:北村賢三さん(神大寺)
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写真左と同方向を左手のコープかながわ神大寺店前から見た現在
2013.7.7 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和42年、バス停神奈川土木事務所前から六角橋方面を望む
提供:北村俊夫さん(神大寺)
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写真左と同方向を神奈川土木事務所前から六角橋方向を望む現在
2013.7.7 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和43年8月、現市営地下鉄・片倉町駅前交差点周辺
撮影:高橋昌男さん(白楽)
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写真左の現在
道路は2倍以上も拡幅された「新横浜通り」。後方は三ツ沢方面。
2013.7.8 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和43年8月、現在の下耕地交差点付近
撮影当時「新貨物線反対」運動が大きな地域問題になり、右手のような看板がかかっていました。
撮影:高橋昌男さん(白楽)
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写真左の現在の下耕地交差点
後方は三ツ沢、左方向が岸根。
2013.7.8 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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