校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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反町〜東神奈川〜子安まで一望の焼け野が原


昭和20年、青木小学校校庭から焼け野原の神奈川〜子安方面を望む

 明治6年創立の青木小学校の校舎は横浜大空襲で全焼しました。そのため昭和21年に職員7名・児童約500名は三ツ沢小学校と統合。昭和23年8月、校舎を新築し復活、独立しました。

 提供:青木小学校(桐畑)


写真左と同方向を平成13年1月撮影

青木小学校屋上から。
撮影:岩田忠利








昭和23年、捜真女学校の焼け跡に仮校舎が建った当時

 戦時中、日本陸軍が校舎の一部を使っていたため昭和
205月の横浜大空襲の標的とされて捜真女学校の校舎は全焼しました。

 提供:捜真女学校(中丸)



写真左の捜真女学校、現在

日2013.6.18
撮影:岩田忠利








 
昭和24年3月〜6月開催 日本貿易博覧会・第2会場
                  提供:鈴木写真館(青木町)
         


写真中央が日本貿易博覧会・第2会場

 
神奈川県と横浜市共催の日本貿易博覧会は昭和24315日から615日までの3カ月間、第1会場を野毛山公園、第2会場を現反町公園から桐畑にかけての地域を会場にして開かれました。



歓呼の声に応える昭和天皇と皇后陛下



皇太子時代の今上天皇も学友とご見学

案内人は内山岩太郎神奈川県知事(前列左端)。










昭和天皇・皇后両陛下の行幸を歓迎する入場者。中央はシンボルタワー

  初代・神奈川区役所の建物も戦災で焼失、2代目・建物は博覧会会場のもの


  2代目の神奈川区役所   提供:神奈川区役所 

 初代の神奈川区役所は青木通(現栄町)にありましたが、戦災で焼失しました。
 2代目の建物は昭和24年に反町公園一帯で開いた日本貿易博覧会会場の一部として使っていた建物を内部改造し昭和25年から同38年まで利用していました。












昭和38年、3代目の真新しい神奈川区役所

新築の区役所を背景に反町公園の噴水前で遊ぶ子ども。

 提供:安永真澄さん(
三ツ沢東町)


         戦後の反町駅周辺



昭和25年、泉町大通り

提供:原 正さん(泉町)


写真左の泉町大通り、現在

中央の白い建物が写真左の前川写真館。
2013.6.18 撮影:岩田忠利


   昭和2911月、反町駅上の陸橋から望む

 東横線の線路後方の丘の上に栗田谷中学校の校舎が見えます。
 提供:羽鳥欽二さん(平川町)






   
昭和29年、半島のような丘、高島台

 丘の中腹は東横線のトンネルが走っています。半島のような丘も高層ビルが建て込み、見えなくなりました。
  提供:高島将光さん(高島台)



昭和38年、反町公園にあった、当時人気のロケット・コースター

                              提供:神奈川区役所

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NO.15 終戦から昭和38年、反町地区