
大正13年3月、前年関東大震災で焼失した浦島尋常高等小学校
大正9年1月の開校時は木造2階建てで現在の京浜急行「神奈川新町」駅前にありましたが、震災で全焼し写真のような平屋の校舎に。
当時は二谷小学校と子安小学校に高等科が無く、高等科への進学児童はこの小学校に通いました。
昭和3年に浦島丘に新校舎が竣工し現在地の丘の上、浦島丘16番地に移りました。
提供:山室まささん(港北区新羽町)
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写真左の浦島小の現在
京急「神奈川新町駅」近くから浦島丘の高台に移ってすでに85年になります。
2013.6.18 撮影:岩田忠利
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昭和2年3月4日から8月20日までの二ツ谷橋改修工事
写真中央の和服の人が福富肉店の先代店主・福田富次郎さん。右の酒屋が美濃勘酒店です。
三ッ沢や白楽の丘陵地の水を集める滝の川は、ひとたび大雨になると、二ッ谷あたりを濁流が直撃、こんな悲話もある。煎豆問屋のおばあさんがこの橋の上から濁流に呑まれ亡くなるという不幸な出来事もありました。
提供:福田秀光さん(松本町)
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写真左の現在の二ツ谷橋
橋の下を暗渠の滝の川が流れています。左手が神奈川区役所の建物。
2013.6.10 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和初期、東白楽駅前。平川の護岸工事
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東横線の線路の向こうに見える左手の屋根は神奈川工業学校(現神奈川工業高校)。東白楽駅は橋の後方。建設資材を運んできた4頭の馬や馬方が見えますが、工事現場に近い二ツ谷町で馬力屋(今の運送業)を営む山崎馬力屋の若い衆と馬です。
提供:山室まささん(港北区新羽町)
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昭和6年、軍艦山とその周辺
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手前の屋根は平川町通りの町並み。後方の丘は東白楽駅に連なる丘陵地、通称「軍艦山」です。長い屋根は神奈川工業学校、その正門は当時、平川町通りに面していました。
提供:山室まささん(港北区新羽町)
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写真上と同方向の現在
正面の高層ビルは神奈川総合高校。その後方の丘が軍艦山です。
2013.6.18 撮影:岩田忠利
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昭和8年、祭りの行列が二ッ谷通りを行く
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昭和8年6月、洲崎大神大祭の行列
江戸時代から神奈川宿へ通ずるこの道は、二ツ谷通りといわれ、奥地の農家の人たちが引く荷車の音や牛馬の蹄の音が一日中絶えないほど往来がありました。
写真は現在の区役所と神奈川体育館との間にある二ツ谷橋のところ。正面の二階建ては左に煎り豆問屋の千葉屋(現在千葉屋菓子店)、右に福富牛肉店(現在反町駅前・六角橋仲見世に出店)、その先に渡辺米店、平野薬局、新藤肉店、伊藤竹カゴ店などが並んでいます。
通りには牛が引く広台太田町の山車みこしの先頭にチンドン屋の中島チンドンの3人が何やら演じ、その横を牛のコヤシ車と箱型の乗用車とトラックが続きます。
提供:福田秀光さん(松本町)
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写真上の現在地、左側は広台太田町の神奈川区総合庁舎、右側が二ッ谷
2013.6.10 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和8年、東白楽駅
提供:神奈川大学
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昭和10年、二本榎幼稚園
前身は捜真女学校付属幼稚園で、この当時より南寄り、広台太田町の小高い畑のそばにありました。どの園児も“捜真の母”と言われたカンヴア―ス園長先生の薫陶を得てここから巣立っていきました。
提供:山崎庄司さん(六角橋1丁目)
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昭和18年、見晴らしの良い松林
東横線の東側車窓から見える高台。軍艦山から続く丘陵の尾根は背の低い松林でした。雪が降れば絶好のアルペンコースになり、今は禁猟ですがカスミ網で野鳥を捕ったりもしました。
提供:笠松治良さん(白楽)
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昭和20年、写真左の松林に続く別の松林
いまここはキリスト教会や幼稚園などの施設、モダンなマンションや住宅が建ち、市街を見下ろせる景勝地でもあります。
提供:笠松治良さん(白楽)
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昭和19年、軍艦山の一本松と通称「背の高い家」
ひときわ目立つのは、軍艦山の天っぺんに平地でも珍しい木造3階建ての家。この吉田さんの家を「背の高い家」と呼んでいました。
この写真の翌年、昭和20年5月の横浜大空襲では格好の標的にされ、この辺一帯が空襲で焼失してしまいました。
提供:笠松治良さん(白楽)
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写真左の現在の軍艦山、孝道山
いまは立派な仏教寺院が建ち、全山を「孝道山」と呼び、鐘楼の鐘が朝7時と夕方5時に鳴り響き、東白楽の名所になっています。
2013.6.17 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和18年、平川町・西神奈川・斎藤分町境界地点
山里の道のようですが、道は平川町通り。
後方はすぐ上麻生道路「西神奈川3丁目」信号です。左手の道は手前が分岐点で左側が斎藤分町。直進するとNTT横浜北ビルの前を通り、神奈川大学への近道になります。
提供:山田正夫さん(平川町)
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写真左の3町、境界地点の今
2013.6.18 撮影:岩田忠利
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