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昭和21年、“イモ泥棒”が頻発するサツマイモ畑
戦後の食糧難は深刻です。毎夜、イモ泥棒が出没するので、サツマイモ畑に見張りの番小屋(後方の小屋)があります。
提供:関口 弘さん(六角橋5丁目)
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昭和22年、麦畑の後方、電柱は水道道
水道道の向かいは岸根公園。
提供:根岸恒雄さん(六角橋)

写真上の現在
公団「コンフォーレ北原」の棟が何棟も建っています。 2013.6.18 撮影:岩田忠利
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昭和24年9月、杉山神社の祭りに集まった六角橋商店街の子供たち
子どもは国の宝……。この子たちがやがて商店主や会社員や家庭の主婦に成長、中には社長になって日本の高度成長の担い手になりました。
提供:磯村あき江さん(泰平楽。六角橋1丁目)
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昭和25年、戦災の傷跡が癒えない駅前通り
左手の「理髪」は中村理容店。手前が駅方向、後方は六角橋交差点方向です。
提供:磯村あき江さん(泰平楽。六角橋1丁目)
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写真左と同じ駅前通りの現在
“神大の街”らしくカラフルな色彩にあふれ、左の街並みだったことが信じられません。
2013.6.8 撮影:岩田忠利
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昭和25年、白幡八幡神社のお祭りの山車を引く子供
場所は白楽駅西口の駅前通り。
提供:田中介子(よりこ。羽沢町)
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昭和25年、写真左の子供たち
この頃、トビヒ(皮膚炎)が流行っていて、顔に真っ黒いクスリを塗った女の子が……。それでも浴衣を着て、お友だちとお祭りには出たかったのですね。
提供:田中介子(よりこ。羽沢町)
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昭和26年12月、白楽駅前商店会歳末売り出し
後方の崖は東口駅前の源兵衛山。
提供:神奈川大学(六角橋3丁目)
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写真左と同じ場所、現在
後方の急峻な崖だった東口の源兵衛山は住宅地に。左手の小泉さんの白楽生花園は今もがんばっています。
2013.6.8 撮影:岩田忠利
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昭和29年、横浜市電六角橋停留所と外食券食堂
写真は現在の六角橋交差点ですが、電車の後方は、開通して2年目の「行政道路」と呼ばれていた現在の上麻生道路。右手は「外食券 厚生食堂」の現在の末広園です。
戦時中や戦後、米の統制下では外食券は外食する者のために発行された券で、外食券が無い者は外食できず、旅館に泊まって食事するときもこの券が必要でした。「外食券食堂」は券持参者に食事を提供することを指定された食堂です。
提供:神奈川大学(六角橋3丁目)
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写真左と同じ場所、同方向の現在
右手は「外食券食堂」だった末広園。六角橋交差点から後方、岸根方面を望む。
2013.6.8 撮影:岩田忠利
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昭和29年、ハマの名物、ロバのパン屋さん
ロバが鈴の音を響かせやってくると、子供たちは表通りへ飛び出して行ったものです。
提供:神奈川大学(六角橋3丁目)
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昭和30年元旦、おばあちゃんの出店
美野屋のおばちゃんの店では米屋の羊羹1本40円で売っています。果たしてこの羊羹、いまの値段は? さっそく大口通の米屋菓子店に問い合わせしてみたら、「はい、1本310円でございます!」(平成元年時)
提供:橋本公平さん(六角橋1丁目)
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昭和30年、白楽駅西口駅前にあった映画館「白鳥座」
映画全盛時代、市民から親しまれた文化施設でした。
提供:白幡向町町会
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映画監督が観に来た映画館
映画「日本沈没」「八甲田山」「小説吉田学校」で大ヒットを飛ばした監督・森谷司郎さんは日吉に住んでいましたが、昭和59年、53歳の若さで他界されました。
新刊『とうよこ沿線』を届けると、よく白楽や自由が丘の映画館のことを私に尋ねるのでした。
「白楽の白鳥座までよく映画を観に行ったものですよ。あそこの跡はいま、どうなっていますか」
岡山出身の森谷先生は早稲田大学仏文学科の学生のころ、“東横線”が気に入って都心からわざわざ電車で白楽まで来て白鳥座で2本立てや3本立ての映画を観たという。
当時の先生の映画鑑賞は、大学卒業後の映画会社東宝入社につながり、そこで黒澤明監督の下での助監督を務め、そして昭和41年監督デビューへと発展するのでした。 |

昭和36年5月、駅西口の知事公舎への道
得田医院のシイの木が茂り、夏は道行く人の緑陰になります。
提供:橋本公平さん(六角橋1丁目)
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昭和43年この年廃止になる市電。終点・六角橋停留所
この路線は、横浜駅・保土ヶ谷橋・弘明寺を通り、尾上町・高島町をぐるっと回る循環路線でした。
市電が開通した昭和3年当時の料金は、市内均一6銭。廃止になった昭和43年は、同じく均一料金の20円でした。昭和18年までは朝7時までに乗ると安くなる早朝割引がありました。
「朝7時を過ぎた、過ぎないで、揉めたことが随分ありましたよ」と話すのは、横浜市交通局出身の元横浜市議・川俣勝一さん。
提供:川俣勝一さん(白楽)
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昭和39年、横浜〜綱島間を運行中の東急バス停
このバス停は旧綱島街道の「六角橋」。ここに炭火の入ったコンロにご注目! バスを待つ人への心遣いか、温もりが感じられます。このダイヤは昭和27年から46年まで白楽駅前経由で走っていました。
提供:橋本公平さん(六角橋1丁目)
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写真左のバス停だった場所、現在
左手のバス停前は今も変わらずオクダ時計店。後方が白楽駅前です。
2013.6.8 撮影:岩田忠利
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昭和49年、六角橋交差点に象、現れる?
じつは、この象、岸根公園でのサーカスに出演するのです。
街中を象が歩く光景は珍しく、沿道は見物人で数珠つなぎ状態。東神奈川まで船で来て、そこから岸根までノッソノッソと歩く象が果たして何分で到着するかの懸賞が付いたり、パトカーが先導したり、タイヘンな騒ぎでした。
提供:橋本智恵子さん(六角橋1丁目)
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昭和49年、こちらは滝の川、現れる!
いまは暗渠となって地下を流れる滝の川、その流れを見ることはできなくなりました。正面の橋は片倉方面行きのバス通りに架かる六角橋2丁目の橋。正面建物は消防団詰め所です。
提供:川俣勝一さん(白楽)
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