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舶来品を身につけた明治20年の青年
提供:土志田 克さん(奈良2丁目)
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明治20年(1887)、20代の土志田彦夫さん
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奈良村いちばんのハイカラ青年
奈良2丁目の土志田克さんの祖父、彦夫さんは村一番のハイカラさん。
まず、写真をご覧ください。端正な顔つきのハンサムボーイが紋付きの羽織をはおった和服姿でばっちりきめています。頭にソフト帽はいいとしても、首にスカーフ、手にハンドバッグは、どう見ても和洋折衷、アンバランスな感じ……。
自転車も村で一番早く買って乗り回していました。天気の良い日は、お金を握って銀色に輝くスマートな自転車にまたがり、奈良村からいくつもの村々を通って神奈川宿に出て、さっそうと港ヨコハマへ……。
めざすは外国船から下船するダンディーな外国人客。珍しい舶来品が目に入ると、その場で手ぶり身ぶりで交渉、次々手に入れました。
写真のソフト帽、スカーフ、ハンドバッグは彼のお気に入りの舶来品です。
明治20年といえば、今から126年前のこと。この彦夫青年、もし現代に生きていたならどんなスタイルで渋谷や青山あたりを闊歩していたでしょうか。
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大正時代、村人総出の植林
提供:鈴木 交さん(恩田町)
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大正時代、恩田村・苗万坂の篠山に松の苗を植林した恩田の人たち
急勾配の山の斜面に約60人の村人が並ぶ情景は石垣ならぬ“人垣”、心に残る印象的な場面です。地名「苗万坂(なえまんさか)」は交差点「松風台」の先にバス停「苗万坂」で残っています。
大正時代にプロのカメラマンを呼んで撮影しています。それは植林が山崩れなどの自然災害防止と木材産出のためにいかに重要な事業であったかを物語っています。 |
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大正時代、子どものスナップ
提供:鈴木 交さん(恩田町)
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都会っ子らしい洋服の女の子とカスリの着物に下駄履きの男の子たち
女の子を取り囲み、全員で彼女を指差すポーズ……。いったい何を表現したシーンでしょう? |
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新郎新婦が端っこ、結婚記念写真
提供:鈴木敏弘さん(恩田町)
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昭和6年、恩田町・鈴木芳文さんとトリさんの結婚記念写真
新郎新婦は隅っこでカメラに収まり、新郎の両親はその一歩前の座布団を敷いた椅子席……。
親や年長者を重んじる時世を表しています。現代の結婚記念写真と見比べると、たいへん興味深い写真です。 |
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農作業のときも戦闘帽
提供:鈴木征一郎さん(恩田町)
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昭和16年7月、恩田町堀之内の鈴木征一郎家の大麦の脱穀のとき
脱穀機がまだ導入されておらず、家族総出で人力による脱穀。
この年12月、帝国海軍機によるハワイ真珠湾奇襲攻撃で太平洋戦争に突入しました。昭和12年にはすでに日中戦争の戦時下でもあり、日本全土が戦時色一色。男性たちは農作業の際も戦闘帽をかぶったまま仕事に励んでいました。 |
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