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田奈弾薬庫跡地、探訪
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提供:金子 智さん(奈良町)
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昭和37年、鉄道門(現こどもの国正面入口)
田奈弾薬庫内まで貨物列車の線路が敷かれ、その入り口を鉄道門と呼んでいました。
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田奈弾薬庫跡とこどもの国
子どもの国は横浜市青葉区奈良町と東京都町田市にまたがる97ヘクタールの土地に子どもたちの健全な育成を目的に国が建てた施設で昭和40年5月5日に開園しました。牧場、広場、人造湖、キャンプ場など自然をいかした施設が多い。都心に近いうえに交通の便もよく、神奈川県内外からの家族連れや学校行事などで連日賑わっています。
ここには戦時中、陸軍田奈弾薬庫がありました。戦地に弾薬を輸送する貨物列車の線路が走り、弾薬庫周辺の奈良町や恩田町には兵士が宿泊する寮も建っていました。
敗戦後、米軍に接収されましたが、昭和36年接収解除、旧厚生省の管理下におかれました。現在の運営は「福祉法人こどもの国協力会」。
アクセス路線の長津田〜恩田〜こどもの国の3駅を結ぶ「こどもの国線」は、開園と同時に昭和40年に開通し、平成12年(2000年)まで上記の福祉法人こどもの国協力会が施設を保有していました。その後、東急が第三種鉄道事業者となり現在の“横浜高速こどもの国線”を保有管理、運行しています。
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園内に今も弾薬庫が多数残っています。
2013.9.29 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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旧陸軍田奈弾薬庫の跡
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旧陸軍田奈弾薬庫の跡
こうした太平洋戦争の戦跡、弾薬庫がたくさん見られます。
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昭和37年、引込み線の線路
左手の家は現駅前の鴨志田 登さん宅。
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写真左の現在地
2013.9.29 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和38年11月、住吉神社前方の引込み線跡
上の線路と分岐した引き込み線が現こどもの国第2駐車場方面へ延びていました。後方の森は住吉神社。
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写真左の引込み線の跡、平成14年時
手前の小川にかかる鉄橋が引き込み線の跡です。
撮影:石井鋭儀さん(奈良町)
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昭和38年11月、兵士が宿泊する北寮
現在の奈良地区センターの隣地にありました。
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写真左の北寮が平成14年でも現存
北寮の建物は左手前、地区センターの駐車場の隣に平成14年でもまだありました。
撮影:岩田忠利
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昭和38年4月、東谷引込み線の門
右手の家は、すみよし台・三沢仲司さん宅です。
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写真左の同じ場所、平成14年時
引き込み線の門内は、平成14年のときはこどもの国臨時駐車場になっていました。
撮影:岩田忠利
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昭和38年5月、現恩田駅近くにあった南寮
終戦後18年が経った昭和38年のときでも、この兵舎に洗濯物が見えます。戦地からの引揚者でも住んでいたのでしょうか。
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左側草むらが写真左の南寮跡
右手の道路は「こどもの国通り」。
2013.10.13 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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