校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.29
戦中・戦後、田奈の人たちの暮らし
      
      
激動の辛い戦時中、その足跡


    大正10年、尋常高等田奈小学校教職員

 前列右から人目の若い教師は、戦後初の国政選挙で参議院議員になった恩田町の鈴木憲−さん。

 提供:鈴木 交さん(恩田町)






      昭和12年、日中戦争への出征

 恩田町・鈴木敏弘さんの親戚、千草台の吉浜重治さんが日中戦争へ出征するとき。
 この年、昭和1277日、中国で蘆構橋事件が起き、日本軍部隊と中国軍とが衝突し日中戦争の発端となりました。

  提供:鈴木敏弘さん(恩田町) 



   昭和十年代初頭、出征兵士の留守家族

 昭和十年代の初頭、日中戦争勃発が秒読み段階に達する前後、田奈地区の青年が次々召集され、留守家族は前川神社で出征兵士の必勝祈願と無事帰還を祈りました。
  提供:鴨志田 清さん(田奈町)


      昭和15年、西谷戸の子どもたち

 男の子は坊主頭でカスリの着物、女の子もオカッパ頭で着物に兵児帯(へこおび)姿。洋服の子は一人もいません。
  提供:鴨志田 清さん(田奈町)


     昭和16年、田奈で初のトラック導入

 田奈農業会(」A田奈の前身)でオート三輪を購入しました。自転車のような棒ハンドルが珍しい。

  提供:鴨志田 清さん(田奈町)



  昭和17年、二毛作を可能にする暗渠排水工事完成

 水田を米・麦の二毛作にする暗渠排水工事を完成させた恩田町の皆さん。これからは稲作後、麦も作れると食糧増産に期待を寄せ、その工事完成を喜び合いました。

 提供:鈴木征一郎さん(恩田町)
  


      昭和20年、現JA田奈の理髪店

 食糧増産に終日働く農家の家族のために現JA田奈では理髪店を直営していました。

 提供:鈴木征一郎さん(恩田町)


    昭和20年、必勝を信じて決起集会

 この年、3月に東京大空襲、続いて大阪大空襲、さらに4月は横浜大空襲‥・・・・。ますます苦戦を強いられる中、青年たは田奈農業会(」A田奈)に集まって必勝を信じ、決起しました

 提供:鈴木征一郎さん(恩田町)



     
       
明るいきざしの戦後



         昭和26年8月、2階建ての6教室を増設した田奈中学校
                                          
提供:森 勇さん(桜台)

 戦後の6・3制義務教育で田奈中学校は昭和22年5月1日、小山唯治初代校長で設立し、昭和24年12月18日に平屋の9教室が完成し開校。その後、昭和26年には長津田地区の人口急増で写真の2階建ての6教室を増設しました。
 さらに昭和41年4月1日の田園都市線開通で沿線の人口が爆発的に増加したため田奈中学校は過大規模化し、昭和48年4月3日、青葉台中学校が分離独立し開校。それでも就学生徒数は増え続け、昭和56年4月2日、奈良中学校が分離独立、開校しました。こんどは、その奈良中学校が飽和状態となり、平成23年4月、あかね台中学校が奈良中学校から分離独立、開校しました。
 緑区長津田2丁目にある田奈中学校は、現在でも3年生までの一般学級が25教室、個別支援学級3学級のマンモス中学校です。




      昭和23年、田奈消防団が受賞

 11年間無火災の田奈地区として田奈消防団が表彰されました。その栄誉を舞台を造って祝賀演芸会を開いて披露。中央で表彰状を持つのは、団長の鴨志田昌義さん。
  提供:鈴木征一郎さん(恩田町


昭和25年、煙草栽培も盛ん。苗床の間引き
提供:鴨志田 清さん(田奈町)






    昭和32年、青年は剣道の稽古

 青年団員は早朝神社に駆けつけ、剣道の“朝レン”。師範にお手合わせするのは桜台の森 勇さん(右)。

  提供:森 勇さん(桜台)










      昭和57年、下村の道祖神再建式

 道祖神再建式に「地神講】の講中9軒の代表とお経をあげる徳恩寺・鹿野融資照住職。

 提供:渡辺千秋さん(しらとり台)

       今も続く“地神講”

 しらとり台の東南部に「下台」と呼ぶ下村、前村、根方の3集落があります。ここの下村の三つ辻に、昔から石のお地蔵様が建っていましたが、体の傷みがひどく、哀れな姿でした。それが周囲に住む人たちの手で昭和574月に再建されました。頭に赤い帽子、胸に前掛け姿の可愛らしいお地蔵様……それが下村の三つ辻で毎日道行く人々を見守ってくれています。
 下村には昔からこの道祖神のお地蔵様を守る軒の家がありましたが、今でも毎年暦の上で“社日(しゃにち)”に当たる春の日、軒の家の主婦が集まり「地神講」という講を開いているのです。

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