
大正10年、尋常高等田奈小学校教職員
前列右から2人目の若い教師は、戦後初の国政選挙で参議院議員になった恩田町の鈴木憲−さん。
提供:鈴木 交さん(恩田町)
|
|

昭和12年、日中戦争への出征
恩田町・鈴木敏弘さんの親戚、千草台の吉浜重治さんが日中戦争へ出征するとき。
この年、昭和12年7月7日、中国で蘆構橋事件が起き、日本軍部隊と中国軍とが衝突し日中戦争の発端となりました。
提供:鈴木敏弘さん(恩田町)
|
|

昭和十年代初頭、出征兵士の留守家族
昭和十年代の初頭、日中戦争勃発が秒読み段階に達する前後、田奈地区の青年が次々召集され、留守家族は前川神社で出征兵士の必勝祈願と無事帰還を祈りました。
提供:鴨志田 清さん(田奈町)
|
|

昭和15年、西谷戸の子どもたち
男の子は坊主頭でカスリの着物、女の子もオカッパ頭で着物に兵児帯(へこおび)姿。洋服の子は一人もいません。
提供:鴨志田 清さん(田奈町)
|
|

昭和16年、田奈で初のトラック導入
田奈農業会(」A田奈の前身)でオート三輪を購入しました。自転車のような棒ハンドルが珍しい。
提供:鴨志田 清さん(田奈町)
|
|

昭和17年、二毛作を可能にする暗渠排水工事完成
水田を米・麦の二毛作にする暗渠排水工事を完成させた恩田町の皆さん。これからは稲作後、麦も作れると食糧増産に期待を寄せ、その工事完成を喜び合いました。
提供:鈴木征一郎さん(恩田町)
|
|

昭和20年、現JA田奈の理髪店
食糧増産に終日働く農家の家族のために現JA田奈では理髪店を直営していました。
提供:鈴木征一郎さん(恩田町)
|
|

昭和20年、必勝を信じて決起集会
この年、3月に東京大空襲、続いて大阪大空襲、さらに4月は横浜大空襲‥・・・・。ますます苦戦を強いられる中、青年たちは田奈農業会(」A田奈)に集まって必勝を信じ、決起しました。
提供:鈴木征一郎さん(恩田町)
|
|