MAP:田奈駅地区

校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利



         昭和41年4月、田園都市線開通時の田奈駅周辺

 中央中心に田奈駅、左方向が青葉台駅、右方向、長津田駅。駅の右上を蛇行する恩田川。左手が田奈町。                           
『青葉区5年の歩み』から

駅名「田奈」は3カ村名の合成地名

 明治22年に恩田村、長津田村、奈良村の3カ村が合併したとき、村名を恩田、長津田の「田」と奈良の「奈」を取って「田奈」としました。いわゆる合成地名です。
 しかし、その村名「田奈」は昭和14年の横浜市合併で再び元の3カ村名に分割され、消えてしまいました。
 田園都市線の開通前に東急は駅名を決める際、地元住民が「約50年間、慣れ親しんできた“田奈”を残したい」との地元の要望を受け入れ、駅名としました。
 その後、恩田町の一部を「田奈町」としたのは昭和46年から。
  
     
昭和30年、恩田川からの眺望
         
                撮影:猪俣祐吉さん(鴨志田町)
    
写真上と同じ方向を恩田川から望む平成14年

                                                撮影:森 邦夫さん(「とうよこ沿線」編集室)

西谷戸前の農家歳時記



    昭和28年早春、苗床の種まき

籾(もみ)をまいて苗床づくりをする鴨志田 清
さんの母・キミさん。  提供:鴨志田 清さん(田奈町)



昭和19年夏、田の草取り後の一休み

提供:鴨志田 清さん(田奈町)




    昭和19年夏、田の草取り後の一休み

 右上の写真と同じ場面ですが、こちらは後方左手に田奈小学校の校舎が木の間隠れに見えます。
 提供:鴨志田 清さん(田奈町)


写真左で後方に見えた田奈小学校の現在

写真左の水田は建物で埋まり、定点撮影は不可能でした。
2013.9.26 
撮影:石川佐智子さん(日吉)








         昭和28年秋、米の俵詰め

 お父さんもお兄さんも思わず心が弾むような笑顔で収穫の喜びを。左のおじいさんは俵の重量を秤(はかり)で量っています。
 提供:鴨志田 清さん(田奈町)






  昭和25年秋、収穫が終わって秋祭り

 神鳥前川神社参道前の高い幟(のぼり)、お囃子連中が乗った山車、それを引く“かんざし”を付けた牛、祭り半てんに鉢巻の若者……、祭り囃子の音が聞こえてくるようです。

 提供:鴨志田 清さん(田奈町)
NO.28
田奈町の情景

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