青葉台駅周辺、鴨志田、寺家の地図

校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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青葉台の四季

           撮影:富田克己さん(相模原)/提供:古性 浩さん(つつじが丘)



   春はクヌギ林でワラビ採り

 昭和393月、現在の駅前の公団住宅あたりは一面のクヌギ林。ここに可憐な花の春蘭やワラビが生えていて、それを採るのが春の楽しみの−つ。ワラビはバケツがすぐいっぱいになるほどの大収穫。
 写真のこの日は喜田家で句会が開かれ、そのお仲間とワラビ採り。



     初夏はヤマユリの群落

 初夏ともなると、駅周辺の丘はどこも大輪のヤマユリの花が咲き競い、辺リー帯が白一色に染まるほど。花粉を撒き散らすユリの香りが風に乗って広がっていました。
 写真は昭和397月。ヤマユリの花を持つのは撮影者の長女、富田直美ちゃん(8歳)




        こんこんと湧き出る泉

 昭和397月、現在の駅近くの246号線に架かるつつじ橋の下に−年中、こんこんと清水が湧き出る湧泉がありました。ここは子供たちにとって格好の遊び場でした。






     初秋はキノコ採り

 昭和389月、現在の公団住宅あたりでのキノコ採り。後方の上、木の間につつじが丘の富田家や古性家などの家が見えます。この丘に昭和422月、公団住宅が建ちました。


      晩秋はススキの原

 昭和4011月、場所はつつじが丘と千草台の境で、昔の地名は「地獄田」という谷戸田。ここを今は環状4号線が通っています。
 左方向が地名「軽井沢」、手前はつつじが丘(旧地名・榎久保)、正面の丘が、しらとり台(旧地名・曲がり坂)です。

    故富田克己さんのアルバム

 カメラメーカー・ヤシカ勤務の富田克己さんが家族人で川崎・溝の口から新天地のつつじが丘に引っ越してきたのは、昭和387月のことでした。まさに開発前夜……。緑と青空、静寂の中にブルドーザーの音がこだまし、日に日に景観が変わっていく頃。多趣味な富田さん、町の変化をカメラに収めることを見逃しませんでした。
 
 富田家の隣は古性 浩さんの家(つつじが丘自治会・会長)。昭和五十年代に富田さんが相模原に移り住んでからも古性さんは高齢の富田夫妻の身を案じ、しばしば相模原まで足を延ばしました。
 あるとき、富田さんは古性さんにこう呟きながらアルバムを手渡しました。「ワシが(アルバムを)持っているよりも古性さんが持っているほうが後で役立つかも……」。それは、町の草創期を心に焼きつけた思い出の写真集冊でした。



       冬の再勝峠(さいかちとうげ)

 昭和402月、246号線の再勝橋から藤が丘、市ヶ尾方面を望む



写真左の再勝橋から同方向を望む現在
2013.9.20 撮影:石川佐智子さん(日吉)



    昭和39年3月、つつじが丘から望む現在の駅前周辺

 田園都市線の開通前、つつじが丘から現在の駅前周辺を見渡した景色。建物らしきものは右手に造成工事の飯場、左手にトンネル工事の飯場が見えるだけです。後方の丘は右が松風台、左は榎が丘



  昭和40年1月、つつじが丘から駅前の西北方面の眺め

 手前の道路は246号線、右手に線路の高架が見え、その右手が1年3ヵ月後に開業する青葉台駅です。

雪を投げて遊ぶ女の子は、富田克己さんの長女・富田直美ちゃん(9歳)


     昭和40年1月、つつじが丘から駅舎方面の眺め

 手前の道路は246号線、右手の橋はつつじ橋。左の松の木の下枝の向こう側、丘と丘の間に青葉台駅が建ちます。右手後方のナイフで切ったような丘が駅裏手の公団住宅建築現場です。
NO.22
 駅開業前の青葉台