校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

MAP:藤が丘駅地区

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         昭和15年(紀元2600年)、池の堤防工事
                                     提供:石原 博さん(柿の木台)
 
 場所は現在のもえぎ野池(当時は上谷本町・大谷戸の池)。後方の水田は現在ガソリンスタンド。 各家の当主が出て、紀元2600年記念事業として灌漑用溜池の堤防工事に精を出している情景。 手にツルハシやスコップを持つ人、地面を固める土突きを持つ人、左手前にはモッコで土を運ぶ二人がいます。後方の羽織袴姿は谷本 保さん(医薬神社先代宮司)。



昭和42年3月、もえぎ野池(旧上谷本池)

提供:青葉台コミュニティハウス/撮影:橋本きよ子さん(たちばな台)



写真左の現在のもえぎ野池

2013.9.19 撮影:石川佐智子さん(日吉)













       昭和41年、田園都市線開通当時の藤が丘駅

 駅舎以外に2〜3棟のビルが見え、246号線に数台の車しか見えず、閑散としています。

 提供:石原 功さん(柿の木台)



    昭和48年、藤が丘駅ホーム
         提供:谷本明徳さん(柿の木台)

  駅名「藤が丘」の由来

 かつての港北区一帯は、富士の霊峰を朝に夕に仰ぐことができ、富士信仰が盛んな地域でした。またこの地には山野に自生する藤が多く、春は紫や白の可憐な花弁が人々の心を和ませてくれました。それを同時に眺められる美しい丘陵地であることから駅名「藤が丘」となりました。


昭和39年、池はやまとフィッシィングセンター。左の家は飯田貞夫家
 提供:飯田勇二さん(藤が丘)


       写真左の現在

 写真左の池とその周囲は自動車学校に変わりました。
  2013.10.19 
撮影:石川佐智子さん(日吉)




         昭和40年4月、イチゴ畑の向こうの大きな建前
                    提供:吉浜忠雄さん(千草台)/撮影:藤田政雄さん(北八朔)

 千草台に五色の幣串(へいぐし)があがった大きな建前です。畑の左下に投げ餅を待つ人たちが見えます。


         昭和43年3月、区画整理中の大谷戸(現柿の木台)
                                     提供:石原 博さん(柿の木台)

 中央の森は現柿の木台18-4 石原第3ビル。手前左は現在柿の木台郵便局です。この風景の定点撮影は住宅が建てこみ、困難でした。


昭和47年、医薬神社の前を通る大山街道

電柱の後方に医薬神社の屋根が見えます。
提供:谷本清子さん(柿の木台)


写真左の旧大山街道は造成で埋没し不明。後方左手が医薬神社
  2013.9.19 撮影:石川佐智子さん(日吉)











昭和47年2月、246号線の再勝橋からしらとり台を望む
提供:石原 博さん(柿の木台)


再勝橋から写真左と同方向の現在

2013.9.20 撮影:石川佐智子さん(日吉)









昭和48年3月、鉄町〜桜台団地入口間の道路新設工事

右手が祥泉院、右手後方は桜台。家並みの左端は藤が丘駅方面。

撮影:橋本きよ子さん(たちばな台)
NO.19
 藤が丘、あの場所、昔と今