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NO.11 駅名は江田、町名が荏田

校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

MAP:江田駅地区

大山街道筋の町、荏田

提供:徳江義治さん(荏田町)

昭和41年4月、田園都市線開通当時の大山街道・小黒谷戸の家並み
下の写真は左右つながっています。拡大してご覧ください。


 山岳信仰で賑わった大山街道

 大山街道は、江戸時代、江戸商人や関八州農民が丹沢山塊の南東にそびえる霊山大山への信仰登山で賑わった街道です。ただ神奈川県内には各地から大山をめざす「大山街道」の支道が数多くあり、これを「大山道」と呼ぶ地域があるので紛らわしい。
 「大山街道飛ぶ鳥は羽根は十六 目は一つ」と昔から歌われるほど多い。なかでも江戸赤坂御門から青山、三軒茶屋、二子の渡しで神奈川に入り、溝口の宿の次は写真右手の荏田の宿。ここを通って長津田、下鶴間、国分、厚木の渡しを渡って伊勢原に至るこの道は江戸や関八州の人々に多く利用され、「青山通大山街道」と言いました。

 大山の山頂の石尊と山腹の大山寺の不動明王をお参りすると、大変ご利益があったそうです。農民には雨乞いの神と五穀豊穣の神として、江戸町人には病気治しの神と商売繁盛の神として関東

、東海地方の人々の崇拝ぶりは現代の私たちには想像できないものだったようです。
 今でも横浜市内に大山講が存続して年1回、「大山詣で」を行っている地域があります。私の知る限りでは、その一つに神奈川区六角橋に大山講があります。


 
国道246号の原形は矢倉沢往還


 静岡から江戸へ反対方向から来ると箱根の矢倉沢の関所を通るので「矢倉沢往還」と呼び、この街道は東海道の人や物資の往来の発展で東海道の「脇往還」として利用されていました。
この矢倉沢往還は、現在の国道246号の原形となっています。(岩田)
 
     
平成14年当時の写真上と同じ場所の風景
  撮影:岩田忠利


手前の広い道路は国道246号です。

荏田の変遷
提供:徳江義治さん(荏田町)


昭和38年10月、子供たちが遊ぶ田んぼ
                   


    写真左と同じ場所の現在

 田んぼは246号に変わりました。中央後方のマンションは、東急ドエル・アルスあざみ野。
 2013.9.12 
撮影:石川佐智子さん(日吉)




昭和38年10月、246号の工事が始まりました

                     


   写真左の現在の246号線

 後方は江田駅。左車線は江田駅前から続く渋滞の難所ですが、きょうは空いています。右手にはスタンレー電気研究所や島忠家具センターなど。
 2013.9.12 撮影:石川佐智子さん(日吉)


昭和41年12月、富士塚区画整理事業の役員が現地調査

  
                      


      写真左の現在地

 道路は港北ニュータウン経由の幹線、新横浜・元石川線。後方は江田駅前、右手が荏田消防出張所。
 2013.9.12 撮影:石川佐智子さん(日吉)







昭和37年1月、高尺谷(こうしゃくやと)の棚田
                      


    写真左と同じ場所の現在

 右側が棚田だった高尺谷、左側が荏田富士、通称土富士だった荏田第2公園下から南方を望む。
2013.9.19 撮影:石川佐智子さん(日吉)











昭和41年2月、現荏田西の猿田公園南方から江田駅方面


 写真左の現在地は荏田猿田公園

 すぐ後ろを東名高速が走り、樹木が生い茂り、江田駅方面を望めません。
 2013.9.17 
撮影:石川佐智子さん

 

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