山岳信仰で賑わった大山街道
大山街道は、江戸時代、江戸商人や関八州農民が丹沢山塊の南東にそびえる霊山大山への信仰登山で賑わった街道です。ただ神奈川県内には各地から大山をめざす「大山街道」の支道が数多くあり、これを「大山道」と呼ぶ地域があるので紛らわしい。
「大山街道飛ぶ鳥は羽根は十六 目は一つ」と昔から歌われるほど多い。なかでも江戸赤坂御門から青山、三軒茶屋、二子の渡しで神奈川に入り、溝口の宿の次は写真右手の荏田の宿。ここを通って長津田、下鶴間、国分、厚木の渡しを渡って伊勢原に至るこの道は江戸や関八州の人々に多く利用され、「青山通大山街道」と言いました。
大山の山頂の石尊と山腹の大山寺の不動明王をお参りすると、大変ご利益があったそうです。農民には雨乞いの神と五穀豊穣の神として、江戸町人には病気治しの神と商売繁盛の神として関東
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、東海地方の人々の崇拝ぶりは現代の私たちには想像できないものだったようです。
今でも横浜市内に大山講が存続して年1回、「大山詣で」を行っている地域があります。私の知る限りでは、その一つに神奈川区六角橋に大山講があります。
国道246号の原形は矢倉沢往還
静岡から江戸へ反対方向から来ると箱根の矢倉沢の関所を通るので「矢倉沢往還」と呼び、この街道は東海道の人や物資の往来の発展で東海道の「脇往還」として利用されていました。この矢倉沢往還は、現在の国道246号の原形となっています。(岩田)
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