校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.9 昭和44年〜平成時代、あざみ野の人たち

町の基盤整備、7年間に及ぶ造成に着工


 昭和4410月元石川・大場土地区画整理事業の起工式に出席の役員

 この日から7年の歳月をかけ、この役員の皆さんの熱意と努力が、今日の町の基盤整備を完成させました。                         
      提供:飯島武靖さん(あざみ野)

 上に居並ぶ役員紹介(敬称略)。

 前列右側から黒沼巷太郎、白井善吉、松本長蔵、谷野正之助、石渡長太郎(会長)、吉村晴治、白井高次、松本金作。
 後列右側から工藤義三、飯島敏行、酒井信久、飯島建一、黒沼政−、三橋政綱、野本俊太郎、飯島武靖、工藤昭義、飯島精−、平野正−、吉村緑、飯島芳夫、野本盛作、吉村弘、白木幹、黒田元彦、青木孝−、谷野健二



昭和56年、曲がりくねった農道が定規で引いたような直線の道路に

 あざみ野駅東口を鷲神社祭礼の神輿が練り歩く。提供:飯島武靖さん(あざみ野)

   
昭和51年、念願の「あざみ野駅」工事着工!
                   撮影」飯島一世さん(あざみ野) 同氏著書『写真集あざみ野』から


昭和51年、工事中の現場を電車が江田駅に向かう

左手の茅葺きの家は、西口駅前の野本ヤスさんの家。


昭和52年5月、あざみ野駅開業!








平成5年2月、市営地下鉄との乗換駅となる連絡口の工事が着工

平成5年3月18日、横浜市営地下鉄3号線、ブルーラインが開通しました。





現在の市営地下鉄の改札口
2013.9.9 
撮影:石川佐智子さん(日吉)
  横浜市内に住みながら横浜北部住民には横浜都心へ行くのが、きわめて不便でした。
  それが地下鉄の開通で横浜駅まで27分で行けるようになりました。
 今まではJR横浜線の「長津田→東神奈川→横浜」ルートか、JR南武線と東横線の乗り換えの「溝ノ口→武蔵小杉→横浜」ルートで横浜都心に出ましたが、地下鉄開通のおかげで乗り換え無しにほぼ直線で早く、便利に横浜都心に行けます。
 開業20年を迎えた地下鉄「あざみ野駅」の一日平均乗降客数は2012年現在、約4万人に達し、開業36年の田園都市線「あざみ野駅」の乗降客数約6万5000人に迫る勢いです。
  
あざみ野地区最大のイベント、「あざみ野まつり」

 第1回は昭和62年8月、あざみ野商店会の企画運営でした。その後、近隣5自治会との共催で開催され、回を重ねるごとに人出が増え、今ではあざみ野といえば「あざみ野まつり」を連想するほどの“名物行事”……。
撮影」飯島一世さん(あざみ野) 同氏著書『写真集あざみ野』から


       平成8年8月、第10回あざみ野まつり

 小学校建設予定地の広いメイン会場は満員……。メインステージは左手後方で、画面に載らないこちら方向にも人、人、人……。



 平成8年、あざみ野住民の市長も参加

 高秀秀信横浜市長は、あざみ野住民で、このとき初めて夫人と一緒に「あざみ野まつり」をご覧になりました。



平成8年8月、バス通りを練り歩く主婦の阿波踊り





  平成18年8月から劇団四季の団員が出演

 この年から劇団四季(社長・浅利慶太さん)は、本社をあざみ野1丁目に移し、まつりにも参加。会場は一気に盛り上がりました。





                  
             
あざみ野桜通り

                  


カリタス女子短大前から700メートルほど続く桜のトンネル

               平成21年4月、撮影:山田紀子さん(都筑区北山田)

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