戦後の青葉区内の交通機関といえば東急大井町線溝の口駅か東横線綱島駅、または国鉄(現JR)中山駅から1時間1本程度のバスしか通らない。通信手段も100軒に1〜2台の電話の普及率。緊急事態が発生しても十数分も走らなければ電話を掛けられない辺鄙な地域であった。
そんな折、「有線放送電話」なるものが千葉県で発明された。それを有力市会議員が知り、さっそく中里農協で導入。昭和31年6月のことであった。これを契機にこの地域一帯の農協に瞬く間に普及したのである。

昭和31年、電柱を建てる村人の勤労奉仕
村人総出で山内地区の各地に電柱を建て、これに鉄線を張り、各家庭に簡易な電話機を設置するボランティア活動。
提供:鈴木 進さん(町田市つくし野) |
|
|
|
有線放送電話局は山内農協に設置され、放送局兼電話局の機能を発揮して朝5時から夜9時頃まで活躍した。
「電話の時間」には交換手を通して自由に電話を掛けあい、また「放送」は学校、農協、自治会などの行事や農産物の市況など地域に密着した情報を流した。これで村中のコミュニケーションは飛躍的に改善され、明るい農村の構築に大いに貢献したのであった。

山内農協に設置された有線放送局
手前の人が有線放送指導技師の鈴木進さん。
|
|
その後、NTT電話の普及やテレビ時代を迎えてその役割を終え、昭和40年代に自然消滅、今は、お年寄りの語り草となったのである。
|