昭和43年、火の見やぐらが建っていたバス停「保木」                        提供:加藤弘年さん(港北区綱島西)

             初めての保木

 日吉の自宅から私用で初めて美しが丘西地区センターまで出かけたのは、十数年前の春のこと。目的地を地図で調べると「蓬谷戸(よもぎやと)」。日吉・元石川線を車で飛ばしたが、行けども行けども目的地に着かない。道路標識を見たら「柿生」。ここはなんと川崎市麻生区ではないか‥・。
 約束の時間は刻々と迫る。気はあせる。辺りをぐるぐる回って、やっと「保木入口」という交差点にやってきた。読み方は「ほぎ」なのか「やすき」なのか、ともかく奇妙な地名の所に出てきた。
 しかし辺りの情景は素晴らしい。左手の丘は緑一色、道沿いの畑に桃や梅など色とりどりの花が咲き競う。右手の家並みは高くなく、どことなく落ち着いている。里山の風情の、まさに“美しが丘”である。横浜市内で見つけた“楽園”のように思えた。例の“あせり”のほうもこの景色のおかげで鎮まり、約束の時間にもどうにか間に合った。
                            (岩田忠利)


    写真左と同じ場所の現在

 火の見やぐらは今はありませんが、消防小屋は残っていました。後方の信号は「保木公園前」交差点。
 2013.9.10 
撮影:岩田忠利















 



     昭和43年、保木の名所・保木薬師堂

 薬師堂は入母屋造りの妻入りの木瓦葺き、天明3年(1783)の作。昔から部落の集会所として使われていました。御本尊の薬師如来坐像は鎌倉時代の作で県重要文化財。普段は県立博物館に序蔵されています。

 提供:加藤弘年さん(港北区綱島西)


 昭和62年、土地区画整理事業で移転改築、落慶式

大きさは5間四方、銅葺きに変わりました。
 撮影:根本藤吉さん(あざみ野)





昭和62年、美しが丘西1丁目のバス通りと保島公園周辺を望む
撮影:根本藤吉さん(あざみ野)


写真左と同方向の現風景

後方、鉄塔は川崎市宮前区水沢2丁目です。2013.9.10 撮影:岩田忠利










    昭和62年、中央の森の裏が交差点「保木公園前」

 交差点を左折すると美しが丘西地区センター、手前右は近藤 保家。後方稜線の向こうは川崎市宮前区水沢。
 撮影:根本藤吉さん(あざみ野)


写真左と同方向の現風景

2013.9.10 撮影:岩田忠利













    昭和62年、左手に川崎市の王禅寺清掃工場の煙突を望む

 煙突の手前右に保木薬師の森が見えます。
 撮影:根本藤吉さん(あざみ野)


   写真左と同方向の現風景

 左手に見える白い塔の名称は、現在は「リサイクルパークあさお処理センター煙突」でコンクリート製の筒の高さ98b。この筒の中に長さ100bの筒が3本入っています。この新焼却施設は川崎市麻生区王禅寺に2012年春、完成しました。
  2013.9.10 
撮影:岩田忠利


校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

画像をクリックすると、拡大されます。拡大後は左上の戻るボタンをクリックしてください

NO.4 保木(美しが西)の風景

TOPに戻る

NO.5 へ