校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.2 駅開業の翌年、昭和42年の美しが丘
 急ピッチで進む街づくり
                        
提供:倉本文雄さん(美しが丘)



               駅前の空き地に県公社ビルが建つ

 これが 「たまプラ」最初のビル、ランドマークとして話題になりました。左手はるか後方の建物は鷺沼。














現在の県公社ビル


 中央歩道上に見える県公社ビル

駅前から少し離れると大きなビルに埋もれて目立ちません。
 2013.9.9
 撮影:石川佐智子さん(日吉)


 現駅前通り商店会の周囲にたまプラーザ団地や住宅が建ち始める

 商店の出店はこれから……。いち早く店を出した蕎麦店「花むら」の看板が左側に見えます。



  写真左の現在の駅前商店会通り

 写真左の蕎麦店「花むら」は、左側車線手前から2台目の車の前。じつは、この車には私を案内してくださった、地元あざみ野2丁目の金子直作さんが待機中です。
 2013.9.10
 撮影:岩田忠利 









左手、陸橋下に東光ストアが出店

現在の美しが丘中部自治会館前交差点です。



      写真左の現在

 街路樹が大木に生長。左手の鉄塔の左に美しが丘中学校。後方の高層ビルは川崎市宮前区。
  2013.9.9 
撮影:石川佐智子さん(日吉)



      昭和44年11月、横浜美しが丘郵便局が新築開設

 開局を控え、準備に忙しい初代局長・倉本文雄さん(右)。開局祝賀会を開こうにも周辺に集会施設が無く、やむなく小学校の校庭にテントを張り、地域の人たちを招待したそうです。



写真左の現在の横浜美しが丘郵便局

2013.9.9 撮影:石川佐智子さん(日吉)








        公団たまプラーザ団地、完成

 左から1-1号棟、1−2号棟、1−3号棟、1−4号棟、1−5号棟。右手は7号棟。手前の美しが丘公園、通称「三角公園」の外周に苗木が植えられたばかり。
 今は樹木が茂り、同じ方向は撮影できません。




         開店1号、喫茶店キング

昭和43年、たまプラーザの街で一番早く開店したティールーム・キング   
       提供:川辺 清さん(美しが丘)



平安時代は良馬を朝廷に献上する「石川の牧」という牧場


         昭和46年(1971)6月、造成中の駅前       撮影:矢口正男さん(美しが丘)

                牧場の変貌

 
同じ場所の定点撮影でも、わずか42年の歳月でこれほど変わった風景も珍しい。
 たまプラーザ駅の周辺は平安時代から良馬を飼育し朝廷に献上する「石川の牧」という牧場でした。それ以来、民家は一軒も無い多摩丘陵が連なる地域。

 悠久の歳月が流れていたこの地域に最初に着目したのが第2次大戦前の旧帝国陸軍。大演習場にするため地主たちから坪150銭で買い上げ、昼夜兼行で廠舎を建造し軍が使用していました。しかし敗戦、そして終戦後の農地改革。またその土地は、付近の農民に分割されました。
 次に着目したのが田園都市開発をめざした東急電鉄……。地元住民に呼びかけ元石川第1土地区画整理組合が結成されたのは昭和37年のこと。それから連日、ブルドーザーの轟音が静かな里に鳴り響いたのでした



昭和47年幹線道路の日吉・元石川線からの導入道路、22b道路開通

 後方は美しが丘の市街地。ゴルフ練習場のネットがいち早く建ち、歩道に街路樹を植えるため等間隔に土が見えます

 撮影:飯島一世さん(あざみ野)



   写真左と同じ場所の現在

 街路樹のケヤキが大木に生長し緑のトンネルに。写真左に写るゴルフの練習場は、2014年春に開店予定の家電・パソコン専門店の工事中です。
 2013.9.10 撮影:岩田忠利 









昭和47年、上の写真の逆方向、日吉・元石川線方面を望む22b道路

 左手は現在の新石川2丁目14〜15番地、右手は美しが丘5丁目13〜14番地から、あざみ野方面

 撮影:飯島一世さん(あざみ野)


    写真左と同方向の現在

 後方は日吉・元石川線の交差点「西勝寺北側」写真左と空の広さを比べてみてください。
  2013.9.10
 撮影:岩田忠利













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