
昭和42年、早淵川沿いの水田
手前の茂みの下を早渕川が流れています。右上の森は陣願堂山。中央は満願寺の森。水田の向かい側、長方形の建物は山内農協の倉庫です。
撮影:井上早太さん(美しが丘)
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写真左の現在
水田だった所を日吉・元石川線が走り、早渕川 はその中央分離帯を直線に流れています。川に架かる橋も交差点の名前も「平崎橋」。
満願寺の森は、中央のマンションの裏に隠れています。
2013.9.10 撮影:岩田忠利
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昭和44年冬、江田駅発登戸行のバスがゆく
天々山の栗林下、倉本信作さんの家の前をゆく。
撮影:井上早太さん(美しが丘)
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写真左の現在
右手は日吉・元石川線沿いの玉泉寺。向かい側は美しが丘4丁目。
2013.9.9 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和40年、造成工事が始まった「たまプラーザ」駅前方面
撮影:根本藤吉さん(あざみ野)
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写真左と同じ場所から撮影した現在
正面がたまプラーザ駅。
2013.9.10 撮影:岩田忠利
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開業(昭和41年4月1日)から5年後の昭和46年(1971)6月、高原の駅を連想する「たまプラーザ駅」。 提供:矢口正男さん(美しが丘)
街づくりのモデルと駅名「たまプラーザ」
美しが丘の街づくりのモデルは、ニューヨークのラドバーン地区。映画によく登場するこの街は、車歩道分離、家の周りに塀が無く開放的な美しい街であることが特徴です。
駅名「たまプラーザ」の名付け親は、東急元社長・五島昇さん。スペイン語の「広場」を意味する「プラーザ」の駅名は、だれでも気軽に集まれる空間という開放感がこめられています。今では「プラザ」の名称は全国各地で使われていますが、「たまプラーザ」の「プラーザ」が日本で最初です。
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