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 造成前の美しが丘
                   
                   撮影:井上早太さん(美しが丘)


 昭和30年代、稲の掛け干しの見える棚田の向こうに駅建設予定地の前に開発事務所が設置されました。

 


昭和41年3月たまプラーザ駅完成



昭和41年4月1日、開業5日前の3月25日撮影、完成した「たまプラーザ駅」

現在の改札口は跨線橋でした。撮影:飯島一世さん(あざみ野)


昭和41年4月1日、開業5日前の3月25日、完成当時のホーム

ホームの屋根は正面に見えるベンチの上だけでした。後方は鷺沼方面。
撮影:飯島一世さん(あざみ野)


      
    
昭和42年、早淵川沿いの水田
 

 手前の茂みの下を早渕川が流れています。右上の森は陣願堂山。中央は満願寺の森。水田の向かい側、長方形の建物は山内農協の倉庫です。

 
撮影:井上早太さん(美しが丘
 


        写真左の現在

 水田だった所を日吉・元石川線が走り、早渕川 はその中央分離帯を直線に流れています。川に架かる橋も交差点の名前も「平崎橋」

 満願寺の森は、中央のマンションの裏に隠れています。
  2013.9.10 
撮影:岩田忠利












    昭和44年冬、江田駅発登戸行のバスがゆく

   天々山の栗林下、倉本信作さんの家の前をゆく。
  
撮影:井上早太さん(美しが丘


    写真左の現在

 右手は日吉・元石川線沿いの玉泉寺。向かい側は美しが丘4丁目。
  2013.9.9 撮影:石川佐智子さん(日吉)



















昭和40年、造成工事が始まった「たまプラーザ」駅前方面
撮影:根本藤吉さん(あざみ野)


写真左と同じ場所から撮影した現在

正面がたまプラーザ駅
2013.9.10 撮影:岩田忠利







 開業(昭和41年4月1日)から5年後の昭和46年(1971)6月、高原の駅を連想する「たまプラーザ駅」。                         提供:矢口正男さん(美しが丘)

        街づくりのモデルと駅名「たまプラーザ」

 美しが丘の街づくりのモデルは、ニューヨークのラドバーン地区。映画によく登場するこの街は、車歩道分離、家の周りに塀が無く開放的な美しい街であることが特徴です。
 駅名「たまプラーザ」の名付け親は、東急元社長・五島昇さん。スペイン語の「広場」を意味する「プラーザ」の駅名は、だれでも気軽に集まれる空間という開放感がこめられています。今では「プラザ」の名称は全国各地で使われていますが、「たまプラーザ」の「プラーザ」が日本で最初です。

MAP:たまプラーザ地区

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NO.1
造成中の「たまプラーザ駅」とその周辺

校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利