編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.915 2016.07.31 掲載 

その2
 投打の攻防、投手打者

 文:岩田忠利

 
連日、各都道府県で予選の決勝戦が行われ、きょう7月31日、最後の神奈川県と大阪府の甲子園出場校が決まり、これで全国49校が出揃いました。
 神奈川は最速152キロの豪速球の藤平尚真投手擁する横浜高。大阪は完封した左腕の好投手、寺島成輝の履正社。やはり野球は投手が試合を決するの感を強くしたのでした。
 
 今春の選抜準優勝に輝いた公立校、高松商は香川県大会決勝で私立の尽誠学園に敗れ、1試合3本のホームランを放った植田響介捕手の姿が見られないのは残念です。
 
 公立校といえば、激戦の埼玉県大会で6回戦の準々決勝まで進んだノーシード校、市立川越高のがんばりも賞讃に価します。
 5回戦では昨秋と今春の埼玉の王者、浦和学院を1-0で破ったのです。その立役者は左腕で小柄なメンディス海投手(2年)。
 

  8回を5安打無得点に抑える好投で、打っても自ら三塁打を放って決勝のホーム踏んだのです。
 メンディス海投手については次の編「ハーフ球児」をご覧ください。

 今回は、野球の醍醐味である投打の攻防、投手と打者を取り上げます。



8月の炎天下、熱戦が連日くり広げられる甲子園外野スタンド
 投手については甲子園の高校野球100年の歴史上、どんな“熱投”の記録があるか。また、打者については野球の花、ホームランを歴代の強打者の本塁打数ランキングを紹介します。





  
甲子園100年史上初、投手の記録  
朝日新聞社データから

                                       ★黄色の地色は現役プロ野球選手です。

                          記録に残る投手

     甲子園初の“完全試合男” 松本稔投手(前橋高 昭和53年)


 私の母校は地元で「マエタカ」と呼ぶ群馬県立前橋高校です。後輩の松本投手が上の表の最上段トップに載るとは、なんとも名誉な輝かしこと! 誇らしく思う同窓生の一人であります。
 1978年4月の第50回選抜高等学校野球大会で滋賀県の比叡山高との試合をテレビ観戦していた私は、この試合ほど9回裏の最後の一球まで、まさに“手に汗を握る”緊張の連続でした。

 8回裏に実況のアナウンサーが「もしかしたら春夏の甲子園で今まで誕生していない世紀の大記録“完全試合”が誕生するかも…」と興奮気味に期待込めた一言を発したのです。完全試合といえばノーヒット、ノーエラー、死球や四球で一人も走者を塁に出さないことが絶対条件。松本くんは投手で4番打者、チームの主将という大黒柱です。キレのあるスライダーと抜群の制球力で淡々と投げているようですが、味方の野手が完全試合を意識して緊張の余り、ゴロをはじいたり、悪送球でもするのではないか、こちらがヒヤヒヤ、ドキドキ
一球一球のいくえを固唾をのんで見守っていました。

 8回が終わって1-0。わずか1点差だが、先方は敗戦と大記録を意識したのか、淡白な攻めが目立ち、外野フライさえ飛ばず、ゲームセット……。

 投球数78、奪三振5、外野への打球はわずか3という完ぺきな内容で高校野球の全国大会史上初めての完全試合を達成しました。




試合後インタビューを受ける松本投手
 27人目の打者を迎えた時に実況のアナウンサーが松本を「あまりにも淡々としていますね」と評し、初球のピッチャーゴロを処理し大記録を達成した際も、最後に捕球した一塁手が喜びを爆発させたなか、松本は笑顔を浮かべただけですぐに整列へと向かいました。
 勝利後のインタビューでは「相手に申し訳ないことをしてしまいました」と述べ、「史上初のパーフェクトですよ」と問われても
落ち着いた様子で「ああ、そうでか…」と答え、その知的なコメントと立ち振る舞いが世間の感心を得たのでした。





   夏の甲子園“奪三振王” 松井裕樹投手(川崎市・桐光学園)


  横浜市青葉区の最寄駅あざみ野生まれの裕樹少年。彼は、横浜ベイスターズファンで、小学校2年生から野球を始める。山内中学のころ、全国少年野球大会で投手で登場し優勝します。私立の桐光学園に進学。1年間は投げ込みと、とくに走り込みに精を出して下半身強化に努めます。すると球速が増し、ストレート・スライダー・フォークのキレが見違えるほど改善されます。
 2年夏の神奈川県大会で3期連続優勝の横浜高校から11三振を奪って準々決勝を制し、決勝は桐蔭学園を三振15を奪い、チームは5年ぶりに甲子園出場を決めたのでした。
 
  夏の甲子園第94回大会の第1回戦、今治西高では史上初の「10連続奪三振」と「1試合22奪三振」を大会史上新記録。2回戦の常総学院戦でも19奪三振を挙げて2試合41奪三振、これまでの徳島商業の坂東英二の2試合最多奪三振記録を更新したのでした。


 身長174センチ、あまり大きな体格でないのになぜこれほど三振を取れるのだろうか……。

 いろんな資料で調べるとその原因が分かりました。
 まず本人が研究熱心で問題意識をもって問題解決に地道な努力するそうです。


甲子園で熱投の桐光学園の松井裕樹投手
 「消える」といわれる縦に落ちるスライダーは、高校1年のとき「カウントをとれる球腫がほしい」とボールの握り方を一人で研究し開発。相手の打者が死球を受けると珠の縫い目の痕がつくというほど、彼の投球は球のキレ味が鋭い。これも研究の成果だそうです。


  ホームランは野球の花 高校通算本塁打数ランキング


通算本塁打は公式試合、他校との練習試合を含む本塁打のことです。カッコ内は甲子園での本塁打数

  赤字は現役プロ野球選手、在籍球団

1位 山本 大貴(神港学園)   107本    JR西日本

2位 里瀬 健太(初芝橋本)    97本    ソフトバンク

3位 伊藤 諒介(神港学園)    94本(1)  法大・大阪ガス

4位 中田 翔 (大阪桐蔭)     87本(4  日本ハム

5位 大島 裕行(埼玉栄)      86本(1)  西武

6位 横川 駿 (神港学園)     85本     立命館大

7位 鈴木 健 (初芝橋本)     83本(1)  西武〜ヤクルト

8位 中村 剛也(大阪桐蔭)     83本     西武

9位 高橋 周平(東海大甲府)    71本     中日

9位 奥浪 鏡 (創志学園)     71本     オリックス

11位 平田 良介(大阪桐蔭)      70本(6)   中日

12位 城島 健司(別府大附)      70本        ダイエー〜マリナーズ〜阪神

13位 筒香 嘉智(横浜高)       69本(3)   横浜

14位 平尾 博司(大宮東)       68本(1)   西武

15位 藤島 誠剛(岩陽)        68本      日本ハム

16位 吉本 亮(九州学院)        66本(2)    ダイエー(ソフトバンク)

17位 大田 泰示(東海大相模)     65本      巨人
    

18位 清原 和博(PL学園)      64本(13)   西武〜巨人〜オリックス

19位 今宮 健太(明豊)        62本      ソフトバンク

20位 工藤 智 (関東一高)     61本      広島〜巨人〜西武

21位 松井 秀喜(星稜)           60本(4)    巨人〜ヤンキース〜アスレチックス〜レイズ


      上の表に往年の強打者の名前が無い?!  それはなぜ…


 甲子園100年の歴史の中には身体能力抜群の名選手は、たくさんおりました。1試合最多盗塁(5盗塁)、連続試合本塁打(3本)などの大正10年から新記録は残されています。しかし、打撃部門には、往年の名選手であった王 貞治(早稲田実業)や阪神タイガースで活躍した藤田 平(市和歌山商業)らの名前が見られません。それは、なぜなのでしょうか……。

   折れない金属バットの登場

 金属バットの使用が、1974年(昭和49年)春の高校野球地方大会から採用されました。その理由は、経済的理由から。一本1万円前後する木製バットは折れやすい。バットが折れるたび野球部部費の出費になってしまうからです。



昭和49年から採用された金属バット

 金属と木製の違いは、飛距離に格段の差があること。木製バットは、珠がバットの芯に当たらないと打球は遠くに飛ばず、打法の“技術”が必要です。金属バットはボールがバットに当たれば遠くに飛び、ホームランも多くなります。
 そのため上の表に載る21位の松井秀喜までの全員が、金属バットで打ったホームランです。金属バット使用後は、本塁打や長打が増え、高校野球が予想以上の投手受難、打者有利、“打高投低”時代を迎えているわけ。


                松井秀喜の5打席連続「敬遠」事件 

 



 打席の松井秀喜(星稜)を敬遠する明徳義塾のバッテリー
 30代以上の方なら写真左のシーンを覚えていらっしゃることでしょう。
 1992年(平成4年)8月、
第74回大会の明徳義塾(高知)対星稜高(石川)でのことです。
 明徳義塾のバッテリーが、星稜の4番打者・松井秀喜を1打席ならともかく、なんと1試合の全打席、連続5打席もボールを大きく打席から外して敬遠。この試合で松井は一度もバットを振ることないまま星稜が敗退した出来事です。

 試合途中から場内は騒然とし、明徳義塾が勝利した後も騒ぎは収まらず、マスコミが明徳義塾の戦法を高校野球の有るべき姿かと取り上げるなど社会的問題となったほどでした。


 これはまた、松井がいかに並はずれた強打者、相手が恐れる恐竜“ゴジラ”であったかを象徴する出来事でもあります。

  松井そっくり“ニューゴジラ”に注目

 そのそっくりさんは、今年の甲子園に登場する「松井2世」とも言われる寺西 建投手兼外野手(星稜)。身長は松井と同じ191センチ、左打ちの4番打者。松井と同じ根上中学校から入学、まだ2年生の投打の中核。 3年生までに果たして松井並みのゴジラになれるか、その成長を見守りたいですね。
 日本航空石川高戦との石川県大会決勝では投手で4番打者。先制のホームランを放ち、投打に活躍しました。甲子園での活躍が楽しみな選手です。


              甲子園へ行けなかった清宮幸太郎 (早実 2年 一塁手兼外野手)


  昨年、甲子園に鮮烈なデビューを飾り、U−18の全日本でも高校1年生でありながら4番を打った早稲田実の清宮幸太郎選手……。
 今年は高校2年生、ホームランも高校通算50発を超えて確実に成長をし、さぞ昨年以上に甲子園で活躍することだろう。私はそう彼にそう期待し甲子園での彼の姿をを楽しみにしていました。

  7月18日の西東京大会5回戦では、早実は国士舘との対戦、「3番・一塁」で出場し、高校通算53本目となる2ラン本塁打を放ち、2打数1安打2打点で2四死球でした。試合は4−0で勝ち、順調に準々決勝へ……・。
 いよいよ7月23日は神宮球場でその準々決勝、シード校の八王子高戦。清宮はまともに勝負してもらえ無い場面もありました。


   54号不発、早実まさかの敗退

  試合は、4-6で早実が2点差を追う立場。後半7回二死走者三塁、清宮に最後の打席が回ってくる。一発で同点のチャンス…。渾身をこめて振ったライトへの大飛球は、フェンスの手前で失速、54号不発。結局、早実敗退!  清宮の野球人生は、まだまだこれから。がんばれ、来季に向けて! 


ライトへの大飛球を打った清宮
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