編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.913 2016.05.17 掲載 
人物

 沿線っ子の父が南海の秘島、徳之島で働く日々を編集
                    
(動画)

   投稿:柱 敦史鹿児島県姶良郡姶良町在住) 


 以前,岩田様より『とうよこ沿線』発行の「神奈川区編」をわけていただきました鹿児島県姶良市の柱敦史という者です。それがきっかけで当サイトの「名木古木」に“蒲生の大楠”を載せていただきました。
 
 病床の父が、故郷、神奈川区新子安近くの神之木台の写真の載った「神奈川区編」を見て大変驚き,喜んでおりました。その節は大変ありがとうございました。
  その父も亡くなり,あれからもうすぐ10年になろうとしております。
 
 大正15年(昭和元年)生まれの父は昭和33年、今から57年前、33歳で鹿児島県奄美群島の「徳之島」に転勤になり15年あまりを徳之島で過ごしました。
 そのときに,写真好きだった父が,撮りためた徳之島の写真がたくさんあり,当時の徳之島の様子を見たい、知りたいという方々がいるのではないかと思い岩田様が写真集に編集されていらっしゃるように,何かできないかとずっと温めておりました。
 そこでこのたび,スライドショーにしてユーチューブで見られるようにいたしました。
 徳之島を故郷に持つ方々から,アクセスをいただき、また懐かしい貴重な写真だとの声をいただきました。
 
初めてやってみた素人編集で,見にくいものではありますが、お暇な折にでもご覧ください。
 
 きっかけをいただいた岩田様に感謝申し上げます。
 
 「徳之島あの頃の風景」で検索しますと、以下のURLが出てきます。


 
 

                 ★☆★☆★

  以上のお便りを鹿児島の柱 敦史さんからいただきました。

 「入院中の父にふるさと、神奈川区の写真を見させたい!」と遠く鹿児島県から写真集の注文をいただいたのが、柱さん仰るとおり、その出会いでした。
 縁とは本当に不思議なものです。当サイトに新連載『名木古木』を始めた私は、日本一の大木、「蒲生の大楠」が鹿児島県にあることを知り、「柱さんの友人知人のなかに
その写真を持っている方がいましたら紹介してください」とメールを出しました。と、なんと意外な返信がすぐに。
 「蒲生の大楠の写真なら私はたくさんありますよ」でした。
 こうして実現したのが、以下の紹介文でした。http://touyoko-ensen.com/koboku/kb-txt/kbk-02.html#p2no11
 









蒲生の大楠

左下の幹になんとカギのかかった扉が付いています

 提供:柱 敦史さん

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