
編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
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NO.906 2016.03.05掲載 |
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★平成9年2月発行『とうよこ沿線』第67号「食」特集第2弾!」から |
筆者: 岩田忠利(本誌編集長) |
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取材で出会った意外な人や店、地方からの贈答品でおいしかった食べ物の話など、私の独断と偏見で選んで書いてみました。
そんな情報を持ち合わせている方、ぜひお便りください。岩田忠利
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サハラ砂漠の国アルジェリアから来た
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手打ちソバの達人、ジンさんと麺
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「私は今、小杉でアルジェリア人の娘婿と手打ちそば屋をやってます」
何年ぶりかで偶然お会いした知人の金子貞子さん。内心、ほんとかいなと少々疑心暗鬼だった。
アルジェリアといえば、アフリカの西北端で地中海に面しアラブ諸国屈指の産油国ではないか……。サハラ砂漠のアルジェリアと日本の伝統食文化の手打ちそば″、この異文化どうしの妙な組み合わせに興味津々……。
「いらっしゃいませ! 何にいたしましょうか?」
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元住吉〜武蔵小杉間、法政通りにある店の店頭でジンさん
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白衣を着た青年がテキパキと流暢な日本語で応対。
しばらく待つと、注文の色鮮やかな黄色の変わりそば、「ゆず切り」が届く。柚子のさわやかな香り、歯ごたえ十分の腰のある麺、甘からず辛からず深みのあるツユ、三拍子揃っている。巷のおそば屋さんでは味わえない味だ。
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これがアルジェリア人のベルアザニ・ジンさん(34歳)の手打ちそばなのだ。
彼が麺の醍醐味を習得するまでにはやはり、それなりのキャリアが必要だった。大学生の頃、フランスはパリの日本料理店・OHSAKAでアルバイト、日本料理の基礎を7年間学んだ。さらに自分の目で日本という国を見ておきたいと来日し1年間滞在。その時、銀座スズラン通りで食べたそばの味″、これがジンさんには忘れられないものとなった。そして帰国後はパリで出会った金子郁穂さん(現在保育園の保母)と結婚、再来日し麺職人の道を志すことに。
知人の紹介で小田原のそば名人″諸星二郎さんのもとで2年半修業。朝は5時半起き、晴天にはバイクで、雨天には電車で川崎から通っては夜7時まで働いた。その熱意と努力が実ったのは平成6年4月、義母・金子貞子さんと「手打めん処 蕪庵(かぶらあん)」を開いた時だった。
ジンさんがいつも留意しているのは「小田原のオヤジさんの、『あがった皿を見ろ!』という言葉」。お客さんの反応は言葉よりも食後の器がすべてを物語るということだ。
店:中原区今井南町485−10
火曜定休
044−711−1147
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「めん処 蕪庵」店頭 |
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「菓匠錦水」の堀田侃三さん
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明治神宮で和菓子の奉納
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日吉の奥、港北区高田町の天満宮下の和菓子屋さんのご主人が、明治神宮で菓子を奉納≠ウれたという話を聞いた。横綱が明治神宮で奉納の土俵入りをする姿はよくテレビで見るが、菓子の奉納とは珍しい。
「菓匠錦水」ご主人、堀田侃三さん(65)は店の奥の仕事場で上生菓子を手際よく作り上げていく手を休めて菓子奉納のお話。
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明治神宮本殿前。古式ゆかしき服装で練り切りを作って奉納する堀田さん
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「私は明治神宮菓道敬神会の会員で、なぜか私に白羽の矢が立てられたんですね。緊張しないといえばウソになるが、前の晩はよく寝られなかったよ。当日はまず、明治神宮で身を清め、会から貸し与えられた衣装を着て、本殿前に正座する。そこで菊の御紋にちなんだ菊と、明治天皇のお妃・昭憲皇太后がお好きだった桃を選んで、練り切りを作って奉納させていただきました。昨年、一昨年と2年連続、10月29日のことでした」
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堀田さんは長野県生まれ、父親が湘南・葉山町の小学校の教頭に赴任したことから葉山で育つ。18歳で長野・善光寺の風月堂で修業後、各地の有名店で働き、和菓子の真髄を学んできた。
全国菓子大博覧会では昭和58年に「大納言最中」が《名誉金賞》、翌59年に幻の花といわれる辻が花をイメージした創作焼き菓子「辻が花」が《全菓博大賞》に輝くなど数々の賞を受賞。
また、横浜高島屋で隔年ごとに開かれる神奈川県名菓展の「工芸菓子」、この分野でも堀田さんは花や鳥、風景などを和菓子で実物そっくりの作品に仕上げる名人としても知られている。
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全国菓子博覧会で大賞に輝いた「辻が花」 |
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店:港北区高田西2-7-5 045−592−2344
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「鮎がいた頃の多摩川への郷愁
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多摩川駅前、大黒堂の鮎焼
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年配の人たちが子供の頃よく連れて行ってもらった多摩川園遊園地。その開園の昭和2年から園内でお土産屋を開いていたのが大黒堂主人・大黒法信さん(86)のお兄さん。彼が兄から駅前支店を譲り受けて独立したのが昭和4年。そしてその遊園地が俄かに賑わってきたのが昭和10年に菊人形を始めた頃からだった。
「当時、浅草には名物の人形焼があった。じゃあ、ここでも多摩川にふさわしい土産物を、と兄と二人で考えついたのが鮎焼でした。当時は清流で、アユがたくさん釣れましたからねえ」
と当時が懐かしそうな大黒さん。
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大正7年、屋形船の中では鮎料理で旦那衆がアユ漁を見ながら舌鼓を打つ光景。現在の丸子橋の下あたり
提供:榎本幹雄さん(中原区上丸子八幡町)
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昔の店は目蒲線の工事で駅前通りの左側から右側へ移転し、店構えは小さくなった。が、職人の飯田幹夫さんが手際よく鮎焼を焼いている姿がガラス越しに見える。
卵をふんだんに使った皮はふっくらとして薄い。よく漉した餡は甘みを抑え、さっぱりとして後味がいい。3、4個はペロッといけちゃうから困るのだ。 |

創業80年、たった1軒だけになった大黒堂の鮎焼
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全国に根強いファン、“佐野生ラーメン”
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麺一筋に130年、上岡商店「鶴里(つるり)麺」
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甘く、みずみずしく、粒ぞろいで、はずれがない伊予柑……。これを毎年2、3月に食べるのが楽しみだ。
この伊予柑は編集室スタッフが四国を旅した折、松山城のロープウエー下の果物店で買って以来、この店から取り寄せているもの。わが家でもこの黒光果物店に注文して送ってもらうが、最上級品でみかん箱1箱(約40個人り)、年により変動もあるが大体6千円(送料別)。
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この伊予柑は瀬戸内海の興居島という島の産。瀬戸内海の潮風をいっぱい浴びて育っているため独特の濃厚さとコクがある。
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瀬戸内海の興居島と伊予柑 |
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その味が忘れられないファンが多く、黒光果物店だけでも県外に700軒も毎年送るそうだ。
連絡先:愛媛県松山市喜与町2−4−11
黒光果物店(店主・黒光比呂文)0899−21−9050
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「鍋料理に、また、サラダ油を少し入れてドレッシングにして召し上がってみてください」
と港北区新吉田町の読者の方から頂戴した2本の500mlの「ぽん酢しょうゆ」。
鍋物や焼き肉のタレにしても、生野菜にかけても、ユズの香りがプーンと漂う自然の酸味と本場土佐カツオだしの甘みのある醤油味、これがわが家ではとても好評だ。
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500ml 700円 |
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これは高知県の馬路村の産。「うまじ」とはいかにも牧歌的な村名、一度は遠い四国の地を訪ねてみたくなる。そんな話を編集室でしたら、「そこには大阪の父がよく釣りに行くんですよ!」とスタッフ松本智子さんが話す。
彼女の父上、田中義之さんは大阪・豊中の家からこの村の魚梁瀬ダムへよくヘラブナ釣りに出かけ、風光明媚な風景と人情味あふれる村人にふれ、今ではすっかり馬路村のファンとか。
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太公望とバイクフアンに人気、馬路村の魚梁瀬ダム
撮影:豊中市・田中義之さん |
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人口1200人ちょっとの小さな山村には、もちろんタクシーはなく、ハイヤーが1台。だが、そこには安田川という清流や馬路温泉とダムがある。子供は川遊び、大人は温泉、都会の疲れを癒すには現地の人は「ばっちり」と言っている。
しかし今、村は過疎化のハンディと闘いながら村を挙げてコツコツとユズ作りに励み、この「ぽん酢しょうゆ」を村の特産品として売り出した。ところが、これが全国の101村展で最優秀賞まで受賞、村の名産となったのだ。8千円以上まとまると送料無料で送ってくれる。
連絡先:〒甲62高知県安芸郡馬路村3762
馬路村農協 08874−4I2211
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地方の美味しい土産物、数々あれど…
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意外に知られていない私の好物
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