電燈・自転車、事始め
雪谷に初めて電燈がついたのは、私が生まれた大正初期だったと思います。
子供の頃、私もほや(ランプの火を覆いかぶせるガラスの筒)掃除をやりましたよ。広い家の中に薄暗い電燈が2本だけで、どうしてもランプが必要でしたね。
自転車が走り始めたのも大正初期。
私が小学校高等科に入学した記念に父に自転車を買ってもらった記憶があります。当時お菓子屋がこの近所に一軒もなくて、中原街道を自転車で走って荏原警察(品川区荏原6丁目)の近くの「大久保団子」という店まで買いに行きましたよ。
あの辺は、関東でも有名なタケノコの産地で昼でも暗い竹林がどこまでも続いていました。
自転車といえば、大森の方から自転車の荷台に魚をつけた魚屋さんが、たまに行商に来たのを覚えています。
2カ所の氷場(こうりば)
冬場の寒さと谷合いの地形という条件の中で天然の湧き水を利用して氷を作る天然氷の採集場、いわゆる“氷場”というのが、雪谷には2カ所ございました。
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1カ所は、南雪谷1丁目の宮崎照義さんの家で現在の南雪谷1丁目15番あたり。もう1カ所は、道々橋のすぐ近く、久が原1丁目5番の醍醐康之さんの父親・尚周さんが水神様の湧き水を使って氷を作っていました。
氷場は、北側の寒い場所に板やコンクリートで囲いを作り、その中に湧水を入れて凍らせて氷にします。 この氷場の経営は、昭和初期まで続いていた、とその家族から聞きました。
水車小屋は4カ所
昔の呑川は、曲がりくねって川幅も狭く、深さも子供の膝下くらいと浅かった。また、水害の多いことで有名でした。
雪谷地区を流れるこの呑川には、4つの水車小屋がありました。石川橋のちょっと上流に石川町の鈴木さんが、そしてその石川橋のたもとで山久という酒屋さんがやっていました。もう2つは東雪谷5丁目の永久保曽兵衛さん(当主・宣義氏)の水車と、道々橋の樹林寺の裏、小原厚さん(当主・正久氏)のもの。
水車では収種した米を精米したり大麦をひいたり、小麦を粉にしたりしたのです。
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