編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.901  2016.02.289掲載
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地域  「港北ニュータウン(第2回)」 ウォッチング
★平成元年年4月発行『とうよこ沿線』第46号「Do You Know 港北ニュータウン?」から
取材・文・写真・マップ: 一色隆徳/(祐天寺)

 沿線でこれほどの変貌をとげようとしている地域は、まずない。圧倒的なまでの大開発地域、それが港北ニュータウン。

 計画面積2530万平米(東京ドーム約550個分)・計画人口30万人という大プロジェクトだけに、昭和40年の計画発表以来24年の歳月を費やし、今もって造成中の段階。

「完成は平成13年頃」(横浜市都市計画局)。その変容過程をぜひ見守りたい。



    Part.1  ニッポンの宅地開発の試金石



港北ニュータウンの一画、北山田地区の造成

 「♪うさぎ追いし…というあの歌のごとく、おだやかな農村地帯だった」
  と地元の人々に誇らせるこの辺りも、今やその面影をほとんど消され、新しい町に変わろうとしている。

 ブルドーザーが何世紀も続いた家を押しつぶし、田畑もろとも何メートルもの土を盛り、その上に整然と区画した町を造る。もちろん、山もことごとく切り開かれる。だから、自然は残らず、それまでの道や町並みや地形までが、一切生まれかわる。ともすれば、地元の人々さえも、かつての自宅や田畑の場所さえわからなくなるほど……。

 失うものも多いが、生まれる街(むしろ都市というべきか)は大きく、また新しい。まっすぐな広い道路と東京圏としては広い敷地、日当たり、充実した公共施設、緑と水を生かした公園。

 今後急激に増大するはずの人口をさばくべく、地下鉄も関内・新横浜方面からニュータウンを経てあざみ野方面へと建設工事中。
 また日吉を経て鶴見方面、横浜線方面双方への新交通システムも計画中。

 右の写真は、工事中の地下鉄。新横浜〜あざみ野、平成4年頃開業予定


 かつて、多<の都市がかかえてきた、乱開発・公害・災害・コミュニケーションの欠如・交通マヒ・福祉問題・産業経済の維持発展・地価高騰・犯罪といった諸問題をクリアできれば、港北ニュータウンは日本の地域デベロップメント新時代への礎石となるに違いない。


    Part.2  今は無き故郷、地権者の人々は……


 ニュータウン計画地区のうち、土地区画整理事業地は約半分。この用地はかつての住宅・田畑・山林を、所有者が寄託もしくは売却することによって造られた。

  先祖伝来の家や田畑を失った人々の行方はさまざま。
 土地を離れる人、一時的に転居して完成時は不動産賃貸業を営む予定の人、ニュータウン内の農業専用地区で農業を続ける人、農業からサラリーマンに転職する人…。

 北山田の小泉源次郎さん(67)もそんな一人。耕す土地を失って以来十余年、市の文化財調査(遺跡発掘等)に加わり、変わりゆく郷土への別れをかみしめている。



港北ニュータウン造成地では、工事中のいたるところから遺跡が発見される。小泉源次郎さんが発掘に参加した新吉田・神隠丸山遺跡の航空写真

また、同じく北山田の男全(おまた)富雄さん(61)は、かつての農家の長男を集め、土木会社・山田富士組(地域のシンボル北山田富士より命名)を設立。
  初の仕事場は立退いた我が町。「住みなれた家を自らの手で壊して歩くうちに涙がでてきた」と語る男全さん。その後は力を合わせ、県内を中心に活躍する毎日だ。


  
 造成前(昭和47年)男全富雄家の四季



牛の飼育



タケノコ掘り


田植え


栗畑で栗拾い



    Part.3  ニュータウンの中の“名所”


 丘の上に、にょっきり小さな富士山



これがウワサの北山田富士。誰でも簡単に登れるミニサイズ。裏山は自然歩道予定地

  ニュータウン北端、北山田の見通しのよい道路を車で軽快にとばしてゆくと、道端の小高い丘上に、さながら大きなプリンのようなものが……。

 「これってなあに?」とばかりに通りすがり見上げる人々。実はこれ、江戸時代に富士山信仰(富士講)のため築山された「北山田富士」。
 本物の富士山と同じように登山道があり、その途中には権現社や石仏、風穴まで造られている。山頂に登れば変わりゆくニュータウンが見渡せ、遠く富士の高嶺を望むことができる。

山のふもとには将来地下鉄の駅もできるとか。春は桜、中腹の桜が灯に照らされる様は、さながらたなびく雲海のよう。花見にもどうぞ。


   関東最古の民家

 中原街道沿いの勝田町に、なんと室町時代から残る関東最古の民家がある。
 関 恒三郎さんのお宅がそれで、茅葺きの長屋門や重要文化財指定の母屋など、豊かな自然の中に歴史の世界が展開する。



重要文化財の母屋。江戸時代には、徳川将軍も鷹狩りの折に立ち寄った

ただし、ここはあくまで私邸。街道から見て、その雰囲気を感じとるだけにしたい。すぐ先にはニュータウン造成地。開発と歴史が隣り合わせに見られ、妙に対照的なところ。







    Part.4  女性の趣味がこうじて…


  絶滅寸前、シダの保存に25

 ――勝田町一最乗寺住職夫人・日野智恵子さん(70歳)

 山菜のワラビやゼンマイが羊歯(しだ)植物であること、ご存知かな。知る人ぞ知る、シダの研究家・日野智恵子さんも、25年前、イヌシダくらいしか知らなかった。

 シダは華麗な花を咲かせるでもなし、連行く人も気づかぬほどの地味な植物。それだけにいとおしさを覚えたのか、日野さんは図鑑片手に連日港北区内の野山を歩いた。そして45種類のシダを発見!
  乱開発で絶滅寸前のシダたち、これを保存し残しておこう、と決意。

 以来自宅の境内に移植し、わが子のように育てた。

 それが今では、日本のシダ800種のうち、なんと300種が境内ですくすくと。「お寺さんへ行けばわかる」と、草花愛好家たちが訪れる。



シダの苗床の前で日野智恵子さん



  砥部焼(とべやき)に魅せられて 
 ――
勝田町・クラフト登花の遠藤勝美さん


 勝田団地バス停前の「クラフト登花」、店内には清楚な砥部焼の器がいっぱい。
  白地に深みのある藍色、のびやかな筆づかいがとても素敵。

 その砥部焼に魅せられ、商売はズブの素人の主婦、遠藤勝美さんが、「この素晴しさを地域の皆さんに……」と昭和59年の夏、始めたもの。

 「とくに自分で気に入った器だけを並べているので、心からおすすめできます」と遠藤さん。
 ご進物に買ってゆくお客様も多いとか。





大好きな器たちに囲まれた遠藤さん




 

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