編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
   NO.899  2016.02.28 掲載
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地域
  
「綱島(第2回」 ウォッチング

★平成元年41月発行『とうよこ沿線』第46号「Do You Know 綱島?」から
取材・文・:佐藤 由美(日吉


 綱島ってどんな街

  鶴見川の流れる街、昔は桃と温泉、今は繁華な街、花火。

  通勤通学、バス電車、タ暮れ時の人、人、人。

 でも、ちょっと足を踏み入れると、

  そこは未曾有のワンダーランド。

 さあて、探検の始まり、はじまり!




   Part.1   写真で見る昭和初期の綱島


「桃と温泉町」その名は全国に知れわたる



  昭和初期、「綱島温泉町駅」と呼んだ駅周辺

 現在の綱島公園付近からの町並み。後方の森は池谷光朗さんの屋敷。その左の建物は大衆浴場「綱島ラヂューム温泉」

 提供:吉原育雄さん(綱島台)



    昭和10年代の「綱島温泉浴場」(名称変更)

 浴場前の綱島街道は開通したばかりでまだ砂利道、ほとんど車は通っていません。
 当時は日本第3位のラジュウム濃度の温泉で、色はコカコーラのように黒い鉱泉で、よく温まると評判。家族連れや友だち連れで賑わう。
 2度の火災に遭い、戦後経営者が代り、名称「東京園」となり今日に至っています。

 提供:打越賢蔵さん(綱島西2丁目)



       昭和5年4月、桜と桃の花見

 写真は「大正堤」と呼ばれた鶴見川土手、現在のピーチゴルフの所。
桜並木の両側は一面の桃畑の桃の花。桜と桃の花が同時に咲きそろい、花を楽しむ人たちの列が続きます。
 
提供:「とうよこ沿線」編集室


    昭和7年、相川旅館前に並んだ芸者衆
  
 綱島の旅館街の最盛期、昭和27年当時は旅館70軒、芸者数300人と言われています。
  提供:飯田正巳さん(綱島台)







   Part.2  綱島の今ーその


 あの三橋美智也がボイラーマン(?)

 綱島といえば、昔は温泉街として一世を風靡した。大正15年、東横線開通当時の駅名は「綱島温泉駅」。往復乗車券所持者には、入浴料(20銭)無料のサービスあり。

温泉旅館に湯治客、芸者衆も華やかに、温泉まんじゅう、ラジウムせんべいなどの名物も生まれた。しかし戦後は、綱島の街も様変わり、温泉街も遠い昔をしのぶだけ……。
 と、思いきや、あった、ありました。ここ東京園には温泉を楽しむ人々の賑わい、お年寄りの顔、顔、顔が…。

 東京園は、前身割烹旅館。昭和22年、東京横浜電鉄経営の浴場を買って開業。当時の温泉街民謡ブームの波に乗って、その後上京した三橋美智也青年が、ボイラーマンをしながらマイクを握っていた話は、あまりにも有名。「腹に響く三味線の音色は、子供心にも良く覚えています」とオーナーの中村公紀さん(49)。

以後2度の火災にあうが再建。「低料金で遊べる普段着の温泉」は、今も一日500円の破格でがんばる。日本第3位のラジウム含有量を誇る鉱泉濃度、色は黒いが体に良いと開店前から長蛇の列。お目当てはやっぱり、カラオケの舞台かな?
   午前10時〜午後9時(金曜定休)


そもそも綱島ラジウム鉱泉は…

 大正3年、樽町の加藤頼三さんが井戸を掘ったところ、茶褐色の水が湧いたことに始まる。そして、神経痛、リウマチに効果ありと、樽町に初めて永命館という銭湯ができ、これが温泉街の源泉″となったのだ。


 右の写真は「ラジウム霊泉湧出記念碑」
 大綱橋西側、綱島街道と旧道の分岐点、菓子屋「杵屋」の前にある



 ほっと一息、水のある風景
      ――鶴見川の岸辺

 ちょっと汗ばむ春の日ざし。こんな季節には鶴見川の岸辺で時間をつぶすのもgood! 東横沿線では多摩川に次ぐ、広く長い流れが、綱島の代表的な風景。


町田市の山中に源を発し、鶴見で東京湾へと注ぐこの川、近年までは農業用水の水源として、また幾度とない洪水の原因として、良くも悪しくも地域の人々と密接な関係をもってきた。
 今や汚れきってしまって触れてみることもできない水だけれども、コイやフナ、ハゼなどの魚、水鳥などの棲むこの場所には未だ自然の包容力が見える。



鶴見川の源流は多摩丘陵、町田市の山中。清水が集まり、細い流れをつくる

 撮影:一色隆徳





綱島の顔・鶴見川。広い空の下、腰をおろしてのんびりしたい
撮影:一色隆徳


風邪を引いたらおしゃもじ様

 いずれの時か、わからねども、綱島東・永島茂治さん(53)の自庭におしゃもじ様と申す風邪の神様が御奉られ候。御神は六尺ほどのお堂に安置され、常々、幾つかのおしゃもじがお供えされている。

 祈願時、新品のおしゃもじを供え、古いものを持ち帰り、それでご飯を食すると完治するとの謂れあり。
 効きめはいかに?



右:おしゃもじが供えられているお堂



 横浜七福神めぐりでおなじみ−東照寺−

 毎通日曜日午前7時の坐禅会は、自由参加。主婦、会社員、お年寄り皆生き生きと住職・程木さんの話を聴く。始めてもう8年目。

 開山は寛文4年(1664年)。ご本尊は、大量を表現し堪忍と和合を教えてくださる布袋尊。以前本誌でも七福神として紹介、ご存じの方もいるはず。境内には、容姿の美しい観音像、慈悲深い動物慰霊碑がある。

  一方、裏手の断崖には、6世紀末のものと思われる横穴墓穴が3口。大戦中は、防空壕として活躍したが、今は土砂に塞がれひっそり閑。

右:境内で、にっこり微笑み、誰でも迎えるむ布袋尊

      



  Part.3   綱島の今ーその


 綱島でいちばん古いお寺――長福寺

 

文禄元年(1592)戦国時代、西国の落武者・綱島18騎のうち一人、佐々木賀典が出家し開山した寺。歴史は約400年。



御本尊がおさめられた本堂

 昔、2度目の火災の時、法然上人の南無阿弥陀仏の名号が松の梢にかかって残った不思議や、太子堂のいわれを聞きに、連日子供たちが佐々木典丸住職(64)を訪ねる。現在の荒んだ人の心を潤せたらと、住職は毎日願いを込めて梵鐘を打つ。

 附属幼稚園では、花まつり行列が25年も続けられ、街を行くお稚児姿、鼓笛隊が可愛い。


 これが新しくなった綱島公園だ

 東横電車の窓から見えるこんもりと繁る緑の丘。ここが、市民の憩いの場、綱島の名勝として親しまれている綱島公園だ。

 7千平方bとある土地は、以前、地主・池谷光朗家ほか数軒の所有地だったが、戦時中、高射砲陣地として帝国陸軍に強制的に安価で買収され、戦後、横浜市の管理となり現在に至っている。


 昭和62年秋から整備工事中だった公園も、今春改修を完了。その新しい姿は、ざっとご覧の通り。一番の話題は、何といっても、動的ゾーン、春のテニスコートが、夏はプールへ早変わりする。
 もちろん、区内唯一見学可能な綱島古墳(5世紀末)は、現状をとどめ、お花見、散歩の楽しめる森の安らぎは、そのまま。


綱島西一丁目地区センターが開館

西口商店街徒歩5分、1700平米の地に、鉄筋2階建て日当たり良好の綱島地区センター、ついに開館。1階は体育室・図書コーナー・プレイルーム・グループ。2階は会議室・工芸室・料理室そして、60畳もある和室。多目的に利用可。午前9時〜午後9時(日曜は5時) 月曜・祝日は休館  пi5454578



地域活動の拠点として今後の活用が期待される


楽しいナ、郷土にふれあう手づくり教育

――尚花愛児院――

「昨日は風が強かったから、今日は綱島公園へどんぐり拾いに行きましょう!」帰れば早速、独楽(こま)作り。
 みそにタクワン、梅干し作り、田植え、七夕、盆踊り、相撲大会など。



  郷土文化の伝承と自然とのふれあいが目標の教育は、バラエティに富む。


「すっぱいけれど、おいしいよ。ぼくらの梅干し味見にきてね」 ‘88秋、天日干し

昨年、「郷土文化伝承活動」特別保育科目実施園として厚生省より認定される。
  都市部の伝統文化の消滅が深刻な昨今、ここの園児270名は、どこ吹く風とばかり元気いっぱい!


  水車は回るよ どこまでも!

 コトコトコットン、流れる滝に回る水車、のどかな田舎と思いきや、なんと個人のお宅。
  ご主人は宮田利徳さん(42)、相模女子大附属高・国語の先生だ。自ら設計、学園祭で利用したものを、「もったいない」と自宅に設置、滝も池もすべて手作り。いやあ、お見事!



庭に水車がある光景。通行人も足を止めて眺め、楽しんでいます


  水泳で腰痛もノックアウト!
    
――ザ・オワフクラブつなしま――

 現代人の体の悩み第1位は腰痛。その痛みを緩和し予防することができたら、しかも楽しく。そんな願いで生まれた腰痛水泳コース=B

 まずストレッチ体操で体をほぐし、次に水中体操そして水泳と、浮力を利用し腰への負担を軽くして血行を高める運動。練習は軽快な音楽の中で行なわれるため、自然と体がリラックスし和やかな雰囲気。
  始めてまる3年、20歳〜70歳まで会員約60人が、今日も元気に1、2、3!
  マタニティ、幼児、グッドライフ、各種水泳コースの他に、最近アスレチックジムを利用した体力・シェイプアップコース″も開始。忙しい人ほど運動不足とか、あなたはいかが?
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温泉キャンプは楽しみの一つです。河津にて

 ジャイアント馬場から水戸黄門まで
          ――坂田記念資料室――

 見てびっくり! この大きな靴下。実は、プロレスラー・ジャイアント馬場さんご愛用のもの、一足作るのに普通の靴下の4倍の糸が必要(31a)、まさに日本−の大物なり。

 ここは、株式会社ナイガイ、靴下博物館。元専務取締役、坂田氏の遺業をたたえ昭和53年春設立。そのコレクション(15干点)を見れば、日本の靴下の歴史が手にとるようにわかる。
 特に変わり種は、水戸黄門の靴下(複製品)恐らく外国からの献上品と思われるが、あの黄門様も靴下をはいていたとは、驚き。他にも、明治天皇、吉田茂、川端康成、11万円の高級靴下など、結構楽しめる。
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左が馬場さん(31a)、右はあなたの靴下


女性ストッキング各種

  Part.4   綱島の人ーその


 93歳、真冬でも素足の最高齢者

 ――綱島台・吉原篠次郎さん(93) ――

 恐らく生粋の綱島っ子≠ナ最高齢者であろう。

明治2910月綱島台の農家に生まれ育った“シノちゃん”こと、吉原篠次郎さんは明治から大正、昭和、平成と、激動の4時代を生き抜いてきた気骨の人だ。

 取材が2月の寒い日であったが、庭一面に並んだ盆栽の水くれの最中だった。それも素足…。

少々耳が遠い程度で、持病は何もないから医者いらず。
去年まで自家栽培の野菜や庭の柿や粟を自転車に積み、日吉まで売りに行っていたという。

 それが何よりもの楽しみだったそうだが、家族から“営業停止命令”。


長寿の秘訣はシノちゃんのこの笑顔

 「信号を自分の都合で渡っちゃうから危険で…」とは長男清一さん。<赤信号みんなで渡れば>とも言うのだが…。(文:岩田忠利)



   靴一筋に60
    ――綱島西・中野角造さん(78歳)――

 「何たって、手作りの物はいいよ。履き心地が違うね」。ノミを持つ手を休めて、自作の靴に目を細める。靴作りは根気、まず足型をとり木型を作る、皮を切り出し縫製に入る。一足に丸2日。中敷きもすべて皮製。

 その技能を認められ、昭和46年「日本技能推奨状」を、59年には皇室ゆかりの「経営佳菊花乃位」を受賞。靴作りにかける姿勢がうかがえる。

「良い靴は、大切に履けば56年はもつよ」と中野さん



 タネと仕掛けは3千種

 ――綱島台・荻 正義さん(76歳)――

 カードの下をゴキブリがあれよ、あれよと逃げてゆく――ユニ−クなオリジナル・マジック「ゴキブリカード」の妙技。

 軍隊中、生死の極限波乱万丈の半生を経て、中国芸人・劉先生に手解きをうけ、それがきっかけに。現在、全国奇術家の神様的存在。

自宅の2階はまさに宝庫、まるで手品の博物館。特設舞台で、日夜技の向上に努める。

手先の器用さは日本人が最高、「中華セイロ」ビデオは海外でも評判。

 独学でワープロもマスター、「芸は体力と毎晩体操、自転車こぎ、若さのひけつにトリックはなし!




これぞ、華やかなステージ


  

  たかが土鈴と言うなかれ
    
   ――綱島台・飯田江助さん(71)
――

 「数? わかんないねぇ、750以上あるかも…」。何しろ壁一面が土鈴。
 昭和39年、鈴が魔除けになるとは面白いと集め始めたのがきっかけ。

以来その魅力にとりつかれ、旅に出ても真っ先に駆け込むのは民芸品店。最近では、旅の目的そのものが土鈴探しになってしまったそうだ。

 またサボテン好き。庭に高さ3メートルを超す大ウチワ・サボテンがひときわ目立つ。春先1000個の花が咲く。



ずら〜〜っと並んだ土鈴、これでも、ほんの一部です

 「ここまできたらどこまでも、吊るせるならば天井までも…」と、ますますヒートアップ気味。  文:岩田忠利


  Part.5   綱島の人ーその


  毎日が歴史そのものです

 ――綱島東・池谷光朗さん(64歳)――

 綱島の歴史のことなら、この人あり。先祖は名主の大惣代(おおそうだい)。15代当主の池谷さんは今も大屋敷に住み、先祖伝来の農器具、美術品などの保存に余念がない。武蔵工業大学の電気通信科出身だが、根っからの歴史好き。

 「綱島桃」を作り日月桃″を普及させた祖父・道太郎さんの桃園は、現在ピーチゴルフ場として活躍。畑で採れた季節の桃のサービスが好評。

 郷土史ビデオ制作のため、自ら百姓姿で熱演、くるり棒で麦を打つ。
 「
日常が歴史の積み重ねですね」という池谷さんの日記は、中学時代から書きためた歴史そのもの。



この姿なかなかきまっていますねえ。友人の西山末吉さん(右)と麦打ちの実演を披露した姿で


  

 トイレに夢を描く人

トイレ壁画デザイナー・松本はつ子さん(41)

 「あれっ?これがトイレなの!」思わず叫んでしまうような不思議な空間。夢色の空に飛ぶ白いユリカモメ、青々と茂る熱帯樹。

住宅、店舗、JR駅のトイレ壁画を手がけ14年。すでに横浜駅、お茶ノ水の駅でおなじみの人もいるはず。「かながわ住まいまちづくり推進協議会」の一員である彼女は、現在車椅子トイレの研究に余念がない。




ご自宅のトイレで、パチリ!

特に東横線はヒドい。トイレとは言えない代物。住民のみんなだって怒ってるんだぞお!


  歌謡曲「港おんなの子守歌」

 ――綱島東・草野美寿里さん(21) ――

 「両親の歌を聴いて自然に歌いました」。昭和52年、「ちびっこのど自慢」優勝。当時はまだ綱島小学校4年生。その少女も、昭和57年「街角テレビ1100」(TBS)で最優秀個人賞を受け、昨年リバスターレコードよりデビュー。今年1月「港おんなの子守唄」が横浜市推薦歌謡曲に選ばれた。

 運も努力。高校時代、作曲家・猪俣公章のもとでレッスン、基礎を学ぶ。厳しいけれど充実した毎日。幼い頃、カイコを飼って蛾を放してあげた、そんな心優しい気持ちを今も持ち続ける。ガンバレ美寿里、綱島の星!

 
演歌は心意気。がんばれ、生粋の綱島っ子、美寿里さん!



   年に一度の、はっけよい!
   
――綱島相撲大会――

綱島といえば昔から相撲が盛んなことで有名。一時は下火になったが、昭和56年七夕、綱島小学校の土俵完成と共に気炎も復活。

以来例年、8月15日、自由参加の綱島地区相撲大会が開かれる。この日ばかりは家業も休み、ご主人もチビッコもフンドシ一張で「のこった! のこった!」今夏も、綱島相撲で熱血感動だ。

 のこった、のこった、ガンバレ元気なチビッコ相撲!





























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