編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.897  2016.02.25 掲載
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地域   「妙蓮寺(後編)」 ウォッチング

         ー 斎藤茂吉の足跡を訪ねてー
★昭和62年3月発行『とうよこ沿線』第37号菊名・妙蓮寺特集「Do You Know 菊名?」から
取材・文:鈴木ゆうこ(日吉) / 取材:末永芳秀(武蔵中原)



歌人 斎藤茂吉
 アララギ派の歌人として、また作家・北杜夫さんの父親としても、その名を知らぬ人のない斎藤茂吉。
 でも氏が2度にわたって妙蓮寺付近を訪れ、20首もの歌を詠んでいることは地元でも意外に知られていません。

 そこで、妙蓮寺在住の茂吉ファン、神部健之助さんの案内で、氏が歌に詠んだと思われる場所を訪ねてみました。
 茂吉の生きた時代をしのびながら、あなたも妙蓮寺を散策してみませんか?





  その1.  妙蓮寺駅から富士塚へ


 茂吉が妙蓮寺訪れたのは昭和12年(1923)の10月。当時住んでいた青山から、東横線を利用して来たと思われます。

妙蓮寺の駅から商店街を抜け、菊名池を過ぎると、今は住宅が密集していますが、当時は畑が広がるのどかな風景だったことでしょう。

 坂を登って数分歩いたところに、かつてロシア人がニコライ教の伝道所を置いていた場所があります。礼拝でもやっていて珍しい光景だったのか、茂吉はここで5首ばかり詠んでいます。



伝道所跡。現在は赤レンガの塀と生け垣に囲まれた民家となり、面影はない。立っているのは案内くださった神部健之助さん


 風呂桶なども据ゑつけありて露西亜びと
        山ふところに傳道をせり

 ガリラヤのむかし目のまへに見るごとき思ひしながら 吾も蹲跼(しゃが)みぬ

 現在は、残念ながらその跡形すら残っておらず、一般の住宅が建てられています。

 そこからさらに数分歩くと右側に富士塚の住宅地を見下ろす高台に出ます。遠くに東横線、綱島街道、松見町の高台が見渡せる眺望のよい場所ですが、当時はこの辺りにトウモロコシやゴボウの畑があったらしく、茂吉は次のような歌を詠んでいます。






















 もろこしはあかく實りて
    秋の日の光ゆたかに差したるところ

 秋の日のそこはかとなくかげりたる
       牛蒡
(ごぼう)の畑越えつつ行けり


 西の八幡さまの方に傾く夕日が畑を照らして美しかったのでしょうか。現在は温室が並び、鉢植えなどの栽培をしているようです。



トウモロコシ畑跡。三角屋根のビニールハウが近代的とはいえ、この一帯はかすかに面影が残っている


 そのまま道なりに石段をおり、民家の間の狭い路地を抜けると富士塚1丁目と2丁目を区切る広い通りに出ます。これを右に折れると間もなく右手にはきれいなマンション(ヴェルドミール菊名)、左手には駐車場と、奥にビ二−ルハウスが見られます。現在は埋め立てられて軽やかな起伏を示すこの付近も、当時は急斜面の丘があり、雑草を焼き払う野火も見られたようです。


 すすきの穂日に照らされて
     かがやける丘のふもとに心しづめぬ

 ゆくりなく野火をし見たり風のむた
            赤き炎は飛びつつゐたり

 斜面を飛ぶ火の粉と、ふもとに生い茂るすすきの情景がなんとなく目に浮かぶような気がします。



かつて野火が見られた丘の斜面も、現在はわずかに隆起した土手程度の高さしかない。ここ10年ほどで大きく様子が変わったとか



  その2.  松見町へ


 以上が、茂吉が104日に詠んだ地点です。その後1031日に再び茂吉は書生の山口氏を同行して妙蓮寺を訪れています。

今度は駅の東側、松見町の交差点から丘にのぼってゆきます。その登り口、水道道を見下ろして左側が切り通しになっています。



松見町交差点近くの切り通し。下は、車がひっきりなしに通る水道道

 切どほし通りて来れば横濱の方にあたりて
              砲のとどろき


 ちょうどここを通りかかった時に防空演習の大砲の音が港から聞こえてきたものと思われます。次第にキナ臭くなってきた当時の空気が感じとれます。

 まっすぐに坂を登っていくと、左手の視界が開け、現在でも畑が残っている場所があります。ここからの眺めがかつて留学したドイツの風景を思い出させるものだったらしく、

 ここの野を過ぎてむかうに部落あり 
     寺の塔あらば獨逸
(ドイツ)にし似む

 と歌っています。ドイツと違うのは尖った教会の塔がみられないことだという訳です。














 また、前方に見える丘の上に煙りが見え、人の気配を感じたのでしょう。

  岡の上にもゆる火ありて煙のむた時をり 
                炎だつ人は近きか



 斜面を住宅が埋めつくしているものの、丘のイメージは今も変わらない。この辺りからこんな景色が見られるとは、大発見!

 という歌も詠んでいます。
 50年前、まだ人家もまばらだった妙蓮寺付近も、現在は閑静な住宅地として発展を遂げ、当時の面影はほとんど見ることができなくなりました。

  でも茂吉の歌集を片手に、当時の様子を思い描きながら、茂吉の足どりをたどってみるのも楽しいのではないかと思います。ひと廻りすると約1時間の散歩、休日を利用して、のんびりといかがですか?

(文中の歌はすべて、岩波書店刊の歌集「暁紅」に収録されている妙蓮寺関係の20首より、抜粋引用しました)。

 案内してくださった神部健之助さん   

神部健之助さん86歳・公認会計士・菊名2丁目在住

 昭和10年頃から地元のことを調べているうちに茂吉の歌と出合い、研究を行っている。元神奈川大・芝浦工大経済学講師。

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