編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
   NO.888  2016.02.15 掲載
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地域
   
渋谷」 ウォッチング

★昭和61年12月発行『とうよこ沿線』第36号「Do You Know 渋谷?」から
取材・文・写真:一色 隆徳(祐天寺/36号デスクキャップ)



道玄坂

 沿線最大にして注目度最高の街・渋谷――。そのスケールは、「タウン」というより、もはや「シティ」だ! 
 誰でも知っている「渋谷」。
されど誰もが、もっと知りたい渋谷。歴史・プレイス、人・お店を眺めてみよう!

  PART.    ベーシック編  大発展の流れをおさえておこう!

    発展の端緒は明治18年鉄道の開通

渋谷の地名の起こりは、鎌倉時代の渋谷氏に由来すると言われています。現在の金王八幡神社(渋谷3丁目)あたりには、その居城・渋谷城がありました。

 田畑と森が一面にひろがっている‥‥‥江戸時代まではそんな風景のひろがるのどかな渋谷あたりも、明治時代になると、急に賑わいをみせるようになってゆきます。これには、鉄道が敷かれたことが大きく関係しています。明治18年、品川〜赤羽間に鉄道が敷かれ(現山手・埼京線)、停車場が初めて渋谷にでき、同42年、当時砂利電車≠ニ呼ばれた玉川電車が開通しました。
 その後、昭和2年に東横線が、同12年に地下鉄が浅草から渋谷まで全通し、ターミナル化されてきたのです。

 



東京・渋谷〜横浜・桜木町を結ぶ東横線の渋谷駅

 その結果、渋谷の人口も激増。また、昭和9年、東横百貨店(現東急東横店)の開店により、商業も本格的に興ってきたのでした。

が、この頃から時代はキナ臭くなってゆき、昭和11年には226事件が勃発。その首謀者15名は、代々木練兵場の陸軍衛戌刑務所で処刑されたのです。その慰霊碑が、渋谷税務署横にあり、往時を物語っています。


    戦災の復興に拍車をかけた東京五輪

さて、戦後、焦土となった渋谷は、交通網が復旧すると、近代的な建物の並ぶ繁華街、あるいはビジネス街として急速に発展。特に39年の東京オリンピック開催にあたり、メイン会場のある渋谷は交通網・上下水道の整備された、日本でも有数の近代都市へと発展してゆきます。



昭和26年、焦土から復興する渋谷。道玄坂を望む
提供菅野今朝吉さん(渋谷1丁目)

現在の渋谷は若者文化を軸に、日本の流行・話題をリードする、そんな街になりました。大発展を遂げた渋谷の街には、およそ存在しない店はありせん。渋谷に出れば全て事足りる……はやタウンではなく、シティと呼ぶのがふさわしくなりました。








    
  PART.    近未来編  
             

 常に変貌し続ける“生きている街”渋谷。今後はどのように変わっていくのでしょうか。

  鉄道網の整備計画

まず交通機関、3鉄道線の整備計画について……。川越・大宮方面と新宿を結んでいる国鉄埼京線。将来は山手貨物線を転用し、渋谷経由で大崎方面へ延長される公算が強くなりました。加えて地下鉄半蔵門線も、半蔵門から先、大手町・錦糸町経由で松戸まで延長される予定。さらに、渋谷→代々木→新宿→池袋→志木の経路をとる新地下鉄路線の計画もあります。

  これらの実現は当分先のことになりそうですが、その折にはいっそう人の集まる駅になることは間違いなし。
  バスの方も、渋谷は路線数・乗降客数とも東京一ということで、超過密状態。改善が望まれるところですね。




文化と地域情報媒体CATV

 文化の面では、青山に建設される国連大学、東急百貨店本店に建設中の東急文化村の2つが目玉。国際化と芸術の2点において、ますます注目されることでしょう。

 次にニューメディア。渋谷区内5万7千世帯を対象に、昭和62年秋、東急のCATV(有料の有線テレビ放送)がスタートする予定でUHF・VHF放送再送信をはじめ、映画・娯楽・教養などのソフトのサービス、地域情報番組の放送が見込まれ、住宅ばかりでなくお店や企業においても、強いインパクトを与えそうです。

 また、渋谷の街も過密を極めているとはいえ、さらに都市化は進むでしょう。ビル需要の増加、建物の再編、商業地帯の拡大、大資本のいっそうの集中、情報化など、その可能性は数えあげれば切りがありませんが、このような発展要素も、裏を返せば生活環境破壊、犯罪増加などの社会問題を招く恐れもあり、一抹の不安も残るところです。
 


  PART.    とぴっくす編  

  ――渋谷に住んだ人々――

 西郷隆盛・従道兄弟をはじめ、鹿児島出身の志士が、明治の渋谷には多く住みました。

 

桐野利秋、海江田正義らがそうです。他に鹿児島出身者では、日露戦争後に東郷平八郎が原宿の方に住み、死後「東郷神社」が原宿に建立され祀られている。






東郷平八郎(元帥・海軍大将)

 ――牧場――

 最近女子高生の間で、アイスミルクが大流行だそうですが、渋谷でしぼりたてのミルクが飲めたら、最高の「オッシャレー」でしょうね。でも50年前はできたんですよ。
 明治9年に、現在のNHK周辺に牧場ができてから昭和11年までの間は、渋谷区内にある牧場だけで、東京の牛乳需要をほぼカバーしていたそうです。

  ――渋谷は茶処(?)――

 現在の松濤町は、かつて紀州藩の下屋敷がありました。藩籍奉還の後、この広い土地を利用して、宇治茶を栽培したところ、「おいしくて安い」と東京中で大好評を博しました。
 その茶畑の名称が「松濤園」でした。町名は、この松涛園から由来したものです。他にも猿楽町や鉢山町でも、お茶を栽培していました。



茶畑だった松濤公園

――文学と渋谷――

 渋谷と関わりの深い文学者は4人います。
  1人は国木田独歩。離婚の傷手をいやすため、渋谷に移り、ここで田山花袋や柳田国男らと交流を深めました。花袋の「東京の三十年」によると、「宮益の坂を下りると、あたりが何処となく田舎々々して来て、藁葺きの家があったり、小川があったり」とあります。こんな風景を独歩は気に入り、ここで「武蔵野」と「わかれ」を書きました。

 2、3人目は、東京新詩社の与謝野鉄幹・晶子夫妻
 鉄幹は、短歌革命を目標に、「明星」を発刊。晶子は長歌や詩を発表する才女でしたが、家庭的な面もありました。

 第4の大岡昇平氏は、渋谷で生まれ育った自身の経験を「幼年」「少年」に反映させました。その中で、「渋谷館」という渋谷で唯一の映画館があったと記しています。今では、まるで考えられないことですね。

 ほかにも竹久夢二林芙美子なども渋谷に住んでいました。かつて、のどかだった頃のこの街は、文化人たちのお気に召したようです。



与謝野鉄幹と妻・晶子




鉄幹の「東京新詩社」跡が道玄坂にある





















  PART.    駅内探検編   何気なく通る場所だけれど…

 渋谷は日本でも有数のターミナル駅。山手線をはじめ、東横線・新玉川線・井の頭線・銀座線・半蔵門線と、地下鉄3路線を含む6鉄道路線が集中。これにバス(なんと76路線!)を足すと、100万を超す人が乗り降りするというからスゴい。駅構内・街中を問わず、あまりに人か多く、歩きにくいばかりか、時に脅威さえ感じてしまう。

  拾い屋のオジサン、旧玉電渋谷駅も… 

こんな雑踏だから落とし物も当然多い。そのため、「拾い屋」と呼ばれるオジサンが出没する。日夜構内を巡回し、誰かが物を落とすと即、拾い、「落ちました∃」。これで何がしかの謝礼をもらって生活しているとか。着服するわけでなく、落とし主も助かるのだから、一種の「社会事業」といえなくもない。




 都電・玉電(玉川電気鉄道)・トロリーバス……もはや渋谷の過去の顔。跡かたも無いと思いきや、玉電渋谷駅は生きていた! 井の頭線乗換え口の横、東急バス・大井町駅行き乗り場がそれ。旧駅を転用、袋小路のため、ターンテーブル(転車台)まであって、見ていても楽しい。



旧玉電駅。今はターンテーブル付きのバス停留所に……
  PART.    準備編   

   とりあえず待ち合わせ、かな?

 渋谷へ行くなら1人より2人。老若男女問わず、これ鉄則。で、当然どこかで待ち合わせしなければならない。まず思いつくのが「ハチ公前」。渋谷のシンボルともいえる「忠犬ハチ公」は、主人(東京農大・上野教授)の死を知らず、駅まで毎日迎えに通いつめた秋田犬「ハチ」の忠義を称えて作られたもの。

初代像は生存中の昭和9年作。これは戦時中供出され、現在のは23年作の2代目。ちなみに本物のハチ公は、死後、剥製にされ、上野の国立科学博物館にいるから、会いに行って見てはどうかな?






 さて、お次は南口・東急百貨店わきの「モヤイ像」。こちらも有名。伊豆諸島の新島から贈られたこの石像、表裏に2つの顔が彫られ、ちょっとシブい。

 東口では東横線改札(2階)先・東急百貨店入口前の「メディアターミナル」・交通や街のガイド・シス

テムをいじったり、旅行のパンフレットを見て退屈をしのげる。「狭いのが難点かな」って人には、東急文化会館への橋上通路がおすすめ。それほど混んでいないし、眺めはいいし、何てったって冬場でも寒くないのがいい。

 ところで、渋谷の駅周辺には、悪質なキャッチセールスやしつこい新興宗教団体が多数出没。寄付集めの人々の中にも、いかがわしいのがいるから要注意。鳩の糞にも気をつけてね。


  PART.    ぶらり編   隠れた渋谷、再発見!


    ぶらり、道玄坂方面へ


   まずは道玄坂から入ろう

 渋谷はやっぱり商業の街。だからといってショッピングだけして帰ってしまうのでは、もったいない。昔を今に伝えるもの、見て楽しめるもの、雰囲気を楽しめるもの、etc。タウン・ウォッチしなくちゃね。

 で、やっぱり始めに行くのが道玄坂。地名の由来では古く、鎌倉時代に遡る。通説によると、渋谷氏の居城・渋谷城が攻め落とされた後、家臣の子孫・大和田太郎道玄という男が、坂上の松に登って獲物を待っていたとか。その坂が今の道玄坂となったのだけど、ビルが林立する今では、松の木一本探すのにも苦労しそう。



 道玄坂を含め、この周辺で最古の建物。レンガの外壁と長屋式の構造。昭和6年、完成した頃は、このあたりでは最もモダンな建築。55年間を経た今では最もクラシックに

  ナマで笑える 見番寄席

 円山町・三業会館で月に1度、とっても楽しいコントの寄席が催される。若手や無名の″お笑い芸人″たちの研修の場として、また登龍門として、知る人ぞ知る「見番寄席(けんばんよせ)』だ。仕掛人は地元のパブ「ファミリー」のママ・野田恭子さん。
 「渋谷は、その発展ぶりとは裏腹に、実は何もないところ。何か文化的なものを根付かせたいと思って……」
 と8年前に始め、延べ200組を超えるコント師″を世に送りだしてきた。
 ここは新ネタを試す絶好の場。だから、「コント赤信号」「パワーズ」などは、有名になった後も通ってくる。しかもノーギャラ。だから入場料も破格、銭湯と同じ260円。赤字ながらも、老若男女問わず、地元はもちろん遠方からも集まる見物者で、毎回大入り満員の盛況ぶりとか。

 次の寄席は1218日(水)夜7時〜 出演『ウッチャン ナンチャン』『キャラバン』他
 034182110 のン企画



笑いの文化を! 見番寄席


   いかにも頑固。拍手したくなるお店

 お一っと、これはユニ−ク!  東急本店通り、109の建物に食い込むようにして建っているのは、知る人ぞ知る小料理屋「玉久」。

何しろ渋谷の一等地のビルの陰。木造平屋とは、いかにもアンバランス。しかも家の裏から道路に向かい、大きな木がニョキニョキ生えているのがなんともいい。大資本による買収を頑として拒み、ポリシーを貫く不屈の精神に拍手を贈りたい。


   ちょっと寄り道 千代田稲荷

 一見派手な道玄坂も、奥へ入れば、こんな神社があったりする。百軒店の奥、千代田稲荷神社は、名のとおり千代田村に開かれたもので、江戸築城の折に小伝馬町へ、その後、宮益坂に、そして大正12年に道玄坂へと移る。その土地土地で御利益を振りまいてきた(?)に違いない。



百軒店裏にひっそりと……



渋谷ブランド″2点

 まずは地酒「神宮橋」。渋谷酒販協同組合が岐阜の酒造メーカーに造らせている。1合力ップは180円也。

  こちらは「ハチ公ソース」。渋谷区内在住・秋田出身の小川礼三さんが、秋田犬のハチ公にちなんで名付けた。業務用一升びんは600650円。小びんもあるが入手困難。


  ひとときリッチな気分。松濤

 最近では森進一・昌子の森・森″新居で話題の松涛。

そびえ建つ超豪邸の住人はみな、大会社の社長・会長、芸能人(山本富士子ほか)など各界の大物ばかり……。

デートなら、区立美術館や観世能楽堂、鍋島松涛公園(明治時代、このあたりは佐賀の鍋島家の茶園だったというからオドロキ)を入れた静かなコースがおすすめ。



うらやましい限りの街並み





 ただ今、建設中! 東急文化村

 東急百貨店本店裏。このあたりが近未来の渋谷の核になるかもしれない。
 東急グループのプロジェクト、「東急文化村」の建設用地では、工事が急ピッチで進んでいる。昭和64年秋には、2150席の大ホール(バレエ、オペラ、クラシックなど)、中ホール(ミュージカルなど)、2つの映像ホール(非ロードショーの映画など)、美術イベントホールなどを擁する、地下2階地上7階の、文字どおりの文化施設が誕生する予定。










    ぶらり、公園通りの方へ


  「迷宮都市」の構成部分・スペイン坂

 道玄坂・宮益坂・公園通りなど、大通りは当然人通りも多いけれど、渋谷一の飲食店街・センター街や、そこからパルコ・公園通りへ抜けるスペイン坂は狭いながらも大人気。

スペイン坂は、石段のある曲折した、ファショナイズされた小路。「スペインの風景に似ている」と、地元の人が命名したとか。
 法政大の助教授・陣内秀信氏の某新聞紙上での記述を引用させていただくと、スペイン坂の人気は「山手独特の土地の起伏がもたらす意外性のある風景によって、歩行者の気分を高めるのに成功している」から。



スペイン坂

ちなみに同記述によると、渋谷という街自体が「いくつもの特徴ある街がそれぞれ独立した、まとまりを持つと同時に、坂や階段で相互に結ばれ」「刺激的な迷宮都市」であり、「多様な価値を包み込み、街歩きの楽しみを味あわせてくれる」わけ。この記述、「渋谷」の街を実に的確に言い得ていると思わない?



このあたりでは、交番までお洒落





センター街

  ファイアー・ストリート

  ハチ公前から山手線に沿って原宿方面へ。丸井を挟んで直進すると「ファイアー・ストリート」、左が公園通り。どちらも最も若者にウケているところだね。その一つ、ファイアー・ストリートの名は、道に面した消防署から…。小ぢんまりしたファッションショップが並び、見て歩くのも楽しい。東京電力の最新テクノロジーの結晶、電力館もー見の価値あり。



名の由来は消防署から…

    公園通り

 新しい渋谷″の代名詞みたいなのが、この公園通り。名のごとく、代々木公園のほか、代々木競技場・区役所・公会堂などの重要施設を結ぶ道の両側には、いかにも新人類好みの店がいっぱい。

 西武百貨店・同SEED館・パルコなど、西武グループが結集し、いわばイメージリーダーとなっているから、ファッションのメッカとなるのも当然のこと。
 ここでのチェックは、「たばこと塩の博物館」。地味だけど、歴代日本のたばこを眺めたりするのも楽しい


新しい街の象徴、公園通り

し、売店では、国産・輸入物の全銘柄のたばこを買えるのも嬉しい。ちなみに渋谷・原宿では、特別バージョンのマイルドセブン(5本入り)。見たら「買い」だね。

  会いに行くべし! 出世弁天さま

 公園通りを歩いたら、ここへ寄ろう。公会堂から原宿に向かって200メートル足らず、北谷稲荷神社の境内に、鎮座ましますのが、この出世弁財天。
 金運と出世に霊験あらたか、というから、見逃がす手はないぞよ。



これが出世稲荷だ!

    ひと休み 穴場は屋上

 渋谷に行けば、まず遊びには事欠かない。でもタダでのんびりできるところって意外に少ないもの。そんな中、穴場はデパートやビルの屋上。東急本店・東横店、丸井本館、西武、東急文化会館には屋上があって、それぞれペットや園芸の売り場のほか、ベンチやゲームコーナーがあって、一休みにもってこい。

中でも西武のは、なかなか凝っている。正午には時計台から人形が飛びだし、ラッパが鳴る。10分くらい前に、ここで待ち合わせるのもいいかもね。



西武百貨店の屋上

    宮下公園  明治通り界隈

 渋谷に来ても案外、足が向かないのが明治通り周辺。山手線沿いに細長く続いているのが宮下公園。寒くなってアベックも少なくなったから、一人身のキミでも歩きやすくなった。この下には暗渠化された渋谷川があって、東急東横店の下へと続いている。つまり、東横店は珍しい河川上のデパート″というわけ。

また、駅前線路沿いの「のんべい横丁」は、ちょっと異様な雰囲気が飲む″人にはウケているみたい。明治通り沿いにはバッティングセンターやボウリング場もあるから、ただの思いつきで汗を流すのも、たまにはいいかもしれないね。



のんべい横丁


宮下公園は絶好の散歩道


     ぶらり、東口方面へ




   東邦生命ビル

 これも渋谷名物、というより、渋谷のシンボルタワーというべきかな。何しろ地上131メートル。渋谷唯−の高層ビルだから、ちょうど10年前、こんなビルが建ったがために、山手線を挟んで、こちら側はオフィス街、向こうは商店街という色分けが


高さ131bの東邦生命ビル
、なんとなくできてしまったんだ。

30階以上は東京が一望できるレストラン街。夜景を眺めながら、「もう酔ってしまいそう」などと呟いてしまおう。

   東急文化会館

  東急系映画館4館と三省堂書店、それになんと、プラネタリウムもこの中に。
  屋上の『利再来(リサイクル)本屋』は、不要の古本を交換でき、ユニーク。



映画・読書・天体の、ファンの殿堂だ

     宮益坂

宮益坂という名は、中途にある御嶽神社と関係があって、宮の御利益によって、かつては渋谷一栄えたあたり。今後、再開発が進めば、青山方面と直結する超人気タウンになりそう。



  女子の文教地帯

  渋谷、東、広尾の各町は、ちょっとした文教地帯。
 青山学院、国学院、実践女子、東京女学館、聖心女子、日赤短大、渋谷女子、ほかに各校の附属校や専門学校・公立校など、20を超すほど。
 こんなバックヤードが「若者の街」を支えているのかもしれないね。



青山学院の正門

    こどもの城

  青山劇場、プール、コンピューター・プレイ・ルーム、AVライブラリー(ビデオソフト200本)なんかもあるから、大人でも楽しめちゃう。

青山通りに面した広場には岡本太郎の彫刻があるけど、コレ、大阪万博の「太陽の塔」に似てない? 
 爆発している芸術は、「なんだかわからない」!?



何だかわからない彫刻がある、こどもの城




    国際連合大学

「人類の存続、発展および福祉にかかわる緊急かつ世界的な問題の研究」推進を目的として、こどもの城に隣接する旧都電車庫跡地に建設される国連大学(日本政府が用地・施設を提供)。
 現在、丹下健三氏によって設計中。渋谷においては、オリンピック以来のインターナショナルなトピックだ。



国連大学建設予定地











  PART.    人物編   渋谷ならではの、パーフォマー総登場!


    芸術的パフォーマンス

 ギリヤーク尼ケ崎56歳。大道芸人……。この人のパフォーマンスは、渋谷の名物人間の中ても、ひときわ文化的≠ニいえそう。週に1度、平日の夕方、ハチ公前の雑踏の中て彼は踊る。ボロ布のような衣装をまとい、持参のラジカセで曲を流し、「精いっぱい生きる様を表現し、情念を全身でぶつける」踊りは人間臭く、情熱的で躍動感に溢れている。通行人は思わず足を止め、次第に見物の輪が厚くなる。



ハチ公前の広場に人の輪がますます広がる…

彼は18年間、国内はおろか、ニューヨークやパリの街頭でも踊り続けてきた、筋金入りのパフォーマーだ。原宿の若者など比較にならない。

メインの『じょんがら一代』では赤フン姿で踊り、たびたび警察に連行される。が、芸人として「渋谷の街に育てられた」彼が、ホームグラウンドであるこの街を去ることはない。1226日または27日・夕方、ハチ公前で今年の踊り納めが見られる。

笑って笑って〜、
       の、パフォーマンス



又兵衛さん
 

このオジサン(失礼!)、見覚えのある人も多いはず。日本テレビ「お笑いスター誕生」などに出演し、茶の間を笑いの渦に巻きこむコントグループ『キャラバン』のリ−ダー・又兵衛(芸名)さん、36歳。

 演劇の世界(劇団民芸)からコントに転身したのが2年前。メンバーの松崎さん、有本さんも同様に演劇人という異色の3人組は、上記の「見番寄席に常時出演、渋谷の人を笑わせながら育ってきたんだ。
 都市化され、とかくギスギスしがちなこの街には、こんなパフ
ォーマーがもっと出現するべきだよね。


  快楽追求型パフォーマンス

ちょっとアブナイ人もいる。NHKの見学コースで、女優のパネルに顔をスリスリする「匂いかぎおじさん」(いわゆる変態というヤツですナ)。

 某デパート制服売場へセーラー服を着て現れ、女子制服をしげしげと眺めて帰る「セーラー服おじさん」と、同デパートに嬉しげにヌイグルミを抱えて現れる「ヌイグルミおじさん」。


イラスト:畑田国男(漫画家)

(電車に乗って来るのだろうか?)ボロボロの背広にゴミ袋を背負い、某上場企業に現れ、「社長に会わせろ!」とわめく「ゴミ袋おじさん」、ハチ公前に出没する「カラオケおじさん」などなど……。まいったネ!

 ほかにも、毎日午後、宮下公園のベンチに娯楽と暇つぶしを目的に集う「公園将棋士のおじさん」たち、道玄坂あたりで火事があると、自前の消防服を着て現場へ急行、消火作業に協力するという「消防の三ちゃん」(立派な社会奉仕だネ)など、渋谷の名物パフォーマーは、たくさんいるよ。


  有名志願のパフォーマンス

道玄坂上、R246と山手通りの交差点で、回転いすに坐り、車や通行人に向かって手を上下に振り続けているこの人・金城博吉さん。沖縄出身。牧師になろうと上京したものの神が信じられなくなって挫折、こんな妙な活動(?)をしつつ全国を行脚(野宿だよ)して有名になり、いつの日か新しい宗教を作ろうとしているんだって!? 人は彼を「おはようおじさん」と呼ぶ。



きょうも道玄坂上の交差点でデモする「おはようオジサン」

   番外編

人ではないが、宮益坂のラーメン『天下−』のおニャン子『ポチ』くんも人気者。いつも看板の上にゴロンと寝ており、誰もが頭を撫でてゆく。



“営業中”に寝ている猫の「ポチ」くん



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