編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
   NO.887  2016.02.14 掲載
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地域
   
代官山」 ウォッチング

★昭和61年9月発行『とうよこ沿線』第35号「Do You Know 代官山?」から
編集スタッフ:鈴木ゆうこ(取材・文) / 小田房秀(写真)


    高級住宅地として発展してきた代官山、

   近年はシックでおしゃれな街としても、大注目をあびています。

   でも、歩いてみると、まだまだ知らない代官山の顔がた<さん。

   気になる代官山の情報をランダムに集めてみました。


  その    代官山探検、さぁ出発!

    代官山駅、到着!

 初めて代官山駅へ降り立つ。おや? と思う。何かがちがう。そうだ。ここには駅前につきものの、商店街というものが見当たらない。いきなり住宅地のどまん中だ。はて? 
 大きな道に出るにはどうしたらよいのだろうと、なんとなく人々の歩いていくほうについてゆく……だけじゃつまらない。この『とうよこ沿線』片手に、代官山の隅々まで歩いてみよう!!

 



代官山探検の入り口。現在、渋谷寄りに仮設されている代官山駅

   代官山に寄せる波

 かつて代官の館があったからとか、江戸時代の幕府の所管林があったからとか言われる代官山ですが、街としてクローズアップされるのはこれで3度目だそうです。

第一期は明治維新の頃で、西郷隆盛の弟・西郷従道をはじめとして、長州・薩摩藩の武士の屋敷・別荘としてのブーム時。

第2期は昭和初期、東横線が開通して代官山駅ができた時で、同潤会アパートもこの頃できました。そして第3期が現在。数年前からスタイリスト達に目をつけられ、洒落たショップが進出。ファッション雑誌等に取り上げられて、一躍ブームになっています。



雑誌を手にして代官山を訪れるギャルたち

      駅を東側に降りると…

 現在の代官山仮駅は、上り改札口が中目黒寄りで線路の西側、下り改札口が渋谷寄りで線路の東側、というわけで、ふたつの出入口がとても離れています。

 西側に降りると、旧同潤会アパート、そして八幡通り、旧山手通りの商店街へ出ますが、ちよっと裏通りっぽい風情があるのが東側。

 渋谷から東横線に乗って代官山で降りると(もっとも、健康な人なら、渋谷から歩いて乗れちゃうけどね)、すぐ恵比寿区民プール。ちなみに線路の東側はすでに恵比寿西という地名です。
 プールをすぎると、優秀な子役を次々輩出している劇団ひまわり。そのまましばらくまっすぐ行き、つきあたりを左に曲がると、ほとんど国鉄恵比寿駅前に出てしまいます。その駅前通り(駒沢通り)を中目黒に向かっても、おもしろいお店がありますが、やはり裏通りにポツポツとあるお店を探して歩くのが楽しいかもしれません。



建物も立派! 劇団ひまわり

  恵比寿の地名は、やはりビールから

 恵比寿4丁目にサッポロビール工場ができ、製品を恵比寿ビールとしたのが明治20年代。その積出し駅を恵比寿駅と呼んだのがこの辺の地名の起こりだそうです。















                 
  その    昔ながらの代官山と変わりゆく代官山

オレンジ色のシートにエンゼルマークといえば

 駅を西側におりて線路沿いに歩くと必す目に留まるのが、森永ベーカリー。この店を開いたのが森永製菓創始者の弟さんだったという話ですが、現在は、直接森永とは関係ありません。

 昭和7年頃五反田から代官山に移ってきて、八幡通り沿い(現在のセフティ付近)に店開き。しかし、戦災にあい、昭和23年頃現在地に移ったそうです。とにかく、安くておいしい、手作りの昧がうれしいお店。



戦前は店前の通りを東急バスが通っていた

  えっ!? 代官山まんじゅう

 昭和23年頃から約10年間売られていた、楕円形のおまんじゅう。色や味は「ひよこ」というおまんじゅうに似ていたとか。実はこれ、森永ベーカリーで製造販売していたのですが、食生活の変化に伴い、売り上げが伸び悩んできたため中止したとか。
  今もあったら、おちゃめな代官山みやげになったのにね。残念!



  古いものと新しいものの共存!?

 洒落たヒルサイドテラスのC舘とD館の間に、6〜7世紀頃の円形古墳があります。ここ猿楽町の地名の由来とも言われる猿楽塚がそれ。源頼朝がここで申楽(さるがく)を催したからとか、酒宴をはり、我が苦しみから去る場所″の意味で「去我苦塚」と呼ばれたから、とか言われていますが、本当のところはわかっていません。

発掘調査が行われていないため、詳しいことのわからない古墳ですが、このような古代の遺跡が破壊されずに、しかも近代建築と調和して残っているのは、とても珍しいことです。



代官山を代表するファッショナブルなショッピングゾーン、ヒルサイドテラスの敷地内に未発掘の猿楽塚古墳があるとは!?

 近年の代官山への企業進出はかなりすさまじい勢いですが、今後も大手デザイナーズブランド、ファッションメーカーの進出が予定されており、また大手百貨店の出資によるストアー建設の話も出ています。
 静かな住宅地も今、都市化の波に洗われようとしています。




  その    タイムスリップ気分になれる代官山アパート一帯。
       でも、そこには生活がある



これが同潤会アパートの一画だ

旧同潤会アパート。関東大震災に寄せられた義援金を基金として設立された財団法人「同潤会」が、耐震・耐火の建物を! と、当時としては画期的な鉄筋コンクリートの集合住宅を建て始めたのが大正14年。ここ代官山のアパートは、代官山駅開業とほぼ時を同じくして、昭和2年に完成しました。その後戦争の拡大に伴い、管理は住宅営団に引きつがれましたが、戦後ほとんどが居住者に払い下げられました。当時からいる人を含め、現在も約300世帯がここに住んでいます。

 この一帯は自然の起状を利用した棟配置になっているため、坂道や石段も多く、道も入りくんでいて、ほとんどラビリンス。

古い家屋に囲まれた道を歩くと、一瞬、時も場所も超越した気分になりそうです。でも当然ながら、ここで生活している方々にご迷惑をかけることのないよう探検もほどほどにしましょうね。

近年、再開発計画が持ち上がっています。(詳しくは14ページ「ホットライン」をご覧ください。)

今こそこんなお風呂に入ってみたい

当初フロなしだったアパートの付帯施設として、ゴミ処理目的も兼ねて開業した文化湯。現在は改装して内フロのある部屋も多く、利用者が減っているとのことで、一般の銭湯として営業しています。でも、内フロがあっても通ってくるなじみのお客さんや、土地柄、外国人のお客さんも多いとか。

燃料は今時珍しく薪。古いコンクリート壁を埋めるように木材が積まれています。
 中はシャワーもなく、時代を感じさせる造りですが、改装なんて言わないで、このキッチュな雰囲気を残したい気もします。



“文化湯”の名は、当時近代的だったこのアパートにちなんでつけられました


  これまたユニークな靴修理屋さん

  文化湯の向かいに、アパートに寄りかかるように店開きをしている、ちっちゃなお店。靴作りひと筋という星野さんの手つきはあざやか。ここで商売を始めてもう25年になるそうです。



Shoes MakerR”のカンバンは、映画「ハウス」の撮影に使ったものを、はずさなかっただけで、本当の店名は“ほしの”ですって。













緑の中に囲まれて建ち並ぶ同潤会代官山アパート。駅前だというのに表通りとは打って変わって静か

今やギョウカイ人で賑わう代官山食堂にも
 長い歴史が…

線路寄り側の29号舘から33号舘は、当初独身者と称する家具付ワンルーム棟で、居住者が近くで食事がとれるように、との配慮から、アパートの付帯施設として、昭和5年に開業しました。雨天でもカサを持たずに行けるよう、居住棟から渡り廊下がつけられていたり、戦前は出前にも応じていたそうです。喫茶として、コーヒー、ビール等を置いていた時期もありました。

50年近くここを切り盛りしている大原さん(80歳)は、戦争中も一日も営業を休まず、毎日魚河岸まで買い出しに行ったとか。屋上に焼夷弾が落ちたこともあり、その跡が今も壁などに残っています。
 現在は、昼食時のみの営業で、欲しい皿を選んでとるカフェテリア(もしくは社員食堂)方式。
  マヌカンのお姉さんや、クリエイターの他、雑誌を手にした若い人たちも必す立ち寄っていくそうです。



2階を幼稚園として、子供たちに開放していた時期もあったとか


   夕方になると聞こえてくる
    ラッパの音の正体は?


 毎日夕方6時すぎ、アパート一帯に、プー、プー″というラッパの音が響きわたります。すると、家々から、鍋やボールを持った人が集まってきます。そう、お豆腐屋さんです。
 自転車に大きな木箱をつんで押してくるのは、恵比寿にある箕屋(みのや)豆腐店の横山さん。15年ほど前までは天びんをかついで来ていたとか。手作りのお豆腐は、とってもおいしい。都会にこんな情緒が残ってるなんて嬉しいですね。



4時すぎに出発して、ヒルサイドテラスの方も回ってここらへんに来るそうです



食堂の前の広場には、八百屋さんも店を出します

  その    通りに沿って歩いてみよう。面白いもの発見

  通りの名前がおもしろい

街がおしゃれな人々に注目され始めると、従来の名称に代えて、通りにも新しい呼び名をつける傾向がみられます。代官山もその例にもれず。

いちばんたくさんの呼び名があるのは、246線に抜ける「旧山手通り」です。
 ヒルサイドテラスの前を通っているので「ヒルサイドストリート」。通り沿いに大使館がたくさんあるので「大使館通り」。その先にバプテスト教会があるので「チャーチストリート」。また、槐の並木道と広い通りのイメージが表参道に似ていることから、第二の原宿″などとも呼ばれています。



たくさんの呼び名がある旧山手通り。普段は車の流れが絶えない通りですが、今は早朝の6時

 この通り沿いには最近、ビギ、メルローズ、Dブレース、ジュン・アシダといったデザイナーズブランドのプレスルームやアトリエの他、ジュンコ・シマダ、トキオ・クマガイ等のブチックが点々と並び、独特の街並を作っています。

また、鎗ケ崎と恵比寿を結ぶ駒沢通りを「代官山サウス」と呼ぶそうです。代官山からちょっと離れて個性を売る店がポツリポツリ。

渋谷の金王八幡神社に向かう道ということで名のついた八幡通りも、どういう訳か、「フランス通り」という呼び名があるとか。
 由緒ある名称を変えてしまうのには抵抗があるけれど、愛称はいくつあっても親しみがもてて良いかもしれません。

代官山に来たら建物もチェックしておきたい

代官山はお屋敷の街。気をつけて歩いていると、なかなかすごい邸宅に出合います。個人の住宅なので紹介できず残念。

建物といえばちょっとユニークなのが、奈良県渋谷寮の向かいにあるオンワードのビル。外装だけでなくインテリアも実に考えて造られてるから注目!



とにかく必見のオンワードのビル

そこから旧山手通りに出ると、左手にはメイフェア(この建物もちょっと面白い)、対岸にはヒルサイドテラスの一群がみえます。このヒルサイドテラスは、建築学会賞・日本芸術大賞を受けるなど高い評価を受けている建物(というよりひとつの小さな街?)で、建築家・槙 文彦氏の手によるもの。A棟からE棟までが昭和44年以来、3期、10年を費やして完成されました。

ヒルサイドテラスの隣がデンマーク大使館。概して大使館の類いもまた凝った建物が多いので一応チェック。

 デンマーク大使館の隣に、猿楽荘の入り口があります。いかめしい門構えの奥に、かつて個人の所有だった屋敷と、広い庭園があります。しかし現在は住宅として使用されておらず、公開もされていません。




 その他この旧山手通り沿いには洒落た建物が点在。この並木道をゆっくり散歩して、西郷山公園で休憩というのはいかが?


近い将来、何らかの形で公開される(?)猿楽荘

お地蔵さんまでおしゃれ!

 ヒルサイド脇の交差点、交番の並びに、写真のような道しるべ地蔵があります。以前はその先の暗闇坂のへりにあったもので、江戸時代の旅人の目印であったと思われます。(ちなみに現在地の脇のビルは、ビンクハウスというブランドの事務所!)



お洒落なお地蔵さん

      八幡通りに沿って

 お地蔵さんのある交差点から並木橋のほうへ向かってみましょう。右手角が奈良県渋谷寮。玄関先が斜めに突っ切れることで有名(?)。その向かいがオンワードのビル。
 次に右手に見えてくるのが、有名人も多く住んでいる東急アパート。旧同潤会アパートの一角をすぎると、本号「ケーキDEデート」に登場のシェ・リュイ。同潤会アパートを改装して作ったとかいう話です。要予約。
 さらに行くと恵比寿ナイトクラブのカンバンが目に入ります。夏の間、風通しを良くするため、とか言ってかき氷屋さんをしていましたが、今はまた夜だけの会員制クラブ(?)になってしまいました。

その先の信号左手が写真有賀。都内の3つの大きなホテルの写真を一手に引き受けている有名な写真館です。
 有賀から左に折れると、弥生式住居跡のある猿楽遺跡。昭和52年に、茅葺きの住居が復元されましたが、2年後、浮浪者による失火で全焼してしまいました。

八幡通りに戻って先に進むと、右手に小川軒。メニューに値段が書かれていないと言われる高級レストランです。それをすぎてしばらく行くと、アンティックドールの仏蘭西館。ウインドウも素敵だけれど、中のお人形には圧倒されます。喫茶コーナーもあり、コーヒーを飲みながら見ていると、人形の持つ不思議な魅力に、時の経つのも忘れてしまいそう。

寅さんにアイスおごってもらっちゃった!

 八幡通りで渥美清さんと握手してもらってる女の子を発見、インタビューしてみました。
 代官山は初めてで、「ハラッパA」を探していて通りがかりの渥美さんに会い、アイスをごちそうになっちゃったとか。



高2の若月尚子さん(左)と中村志津香さん(右)

「代官山は、米屋の隣にブチックがあったりして面白い。お店を探して歩く楽しみもある。有名人に会えるとは思ってもみなかったけど、渥美さんってすごくやさしそうな人」と、興奮ぎみに話す二人。

代官山は渥美清さんを始めとして、有名人がけっこうたくさん事務所を置いていたり、住んでいたりします。
  この日は井上陽水さんも歩いていたとか。

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