編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
   NO.885  2016.02.11 掲載
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地域
      
雪谷」 ウォッチング

★昭和63年11月発行『とうよこ沿線』第44号「Do You Know 雪谷?」から
編集スタッフ:佐藤由美(取材・文) / 川島稚左(取材) / 岩田忠利(取材・文・写真)


 雪谷ってどんな街?

 池上線の通る街、中原街道、新幹線、商店街に住宅街。(犬も歩けば何とやら)。

山あり谷あり、川あり人あり、歴史あり。

そんな雪谷の街を、古より今に至るまで、往きつ戻りつ、丸ごとレポート!

  Story- その

   雪の日は竹馬で登校

 信じられない話だが、昔はそれほど雪が深かったという。夏でも天然氷が出来るくらい気温が低く、冬は雪がどっさり降る。まっ白い雪でおおわれた谷は、さぞ美しい眺めであったろう。

  雪谷の地名もそこからきたといわれている。雪晴れの朝、雪合戦に雪だるま。はしゃぎ回る子らの姿も見られた。今は昔の話。

 左は、太田区立雪谷中学校の校章。雪の結晶、雪をかたどる校章は多い。




   雪谷は大企業の課長クラス

 雪谷の街は純然たる住宅地。戦後人口の急激な都市集中で都心の郊外住宅地として開けた街だ。
 今なおモミジの並木が残る紅葉ヶ丘は、昭和初期の分譲地でこのあたりで最も古い。道は碁盤の目のよう。また近くの雪谷商店街は、親しみ易い店が多く、特に生鮮三品は新鮮で安いと評判。



今もモミジの並木が残る紅葉ヶ丘

いっぽう石川台駅寄りは「希望が丘」。勾配の急な坂道を下ると、そこは全長680メートルもある希望ケ丘商店街。青空市で有名な石川台駅前商店街とともに、夕げ時は買物袋をさげた主婦でにぎわい、威勢のいい売り声が飛びかう。

 この街をこよなく愛す住民の一人、建築家(東工大教授)の清家 清さんはこんな話を。
「雪谷原住民″は、いま4代目ですが、かつて大企業の勤め人に例えれば、田園調布は社長クラス、久が原は部長クラス、雪谷は課長クラスが住む地域といわれたものですよ」。




  池上線は遊覧鉄道。
  雪ケ谷駅始発のヘッポコ電車(?)

 池上線は、目黒不動・洗足池・御嶽神社・池上本門寺を結ぶ遊覧電車≠ニして昭和3年に開通した。はじめ目黒〜大森間の予定も目蒲線との競合により、五反田〜蒲田間となった。

 当時、雪ケ谷駅(今の雪が谷大塚駅)から自由通りとほぼ並行して走る16キロの短い「新奥沢線」という路線があった。駅は諏訪分駅と新奥沢駅の2駅だけ。乗客はいつも調布学園の女学生が殆どで、地元では「ヘッポコ電車」と呼んでパカにしていたそうな。昭和10111日廃止になってしまった。



 昭和7年、中央のコの字型の建物が調布学園。その裏を走る“新奥沢線”の軌道。線路の右下に「諏訪分駅」ホームの屋根が見える
 提供:調布学園

   変身した雪が谷大塚駅舎

 中原街道沿い、雪が谷大塚駅近くには保健所・税務署・消防署・警察署・郵便局など公共施設が集中し、大田区内では重要なお役所街でもある。

 その表玄関、駅舎が本号編集中の105日、新しく生まれ変わった。従来の敷地を最大限に活かした鉄骨造り4階建ての建物で中に「東急クリエイティブライフセミナーBE」・東急直営の「ケンタッキー」・洋菓子の「モーツァルト」が併設され、雪谷地区の新しい核″としての機能を兼ね備えた駅舎が誕生した。
 工事期間2年余、総工費約12億円。
 なかでも沿線住民の注目を集めているのが東急セミナーBE。



新雪が谷大塚駅舎

  Story- その

    桜吹雪舞う呑川

 雪谷の街のまん中を黙々と流れる呑川。昔は、S字型でゆるやかに流れ、水車小屋の水車がコトコト回り、鯉・うなぎ・スッポン・シジミなどの魚介類もとれた。語源「呑む川」は文字どおり清流、飲料水となった。

 川岸にほど近い旧家、田中正光さん(東雪谷2丁目)の先祖は桶をかついでは呑川から水を汲んできて地酒をつくった造り酒屋であった。

 しかし川は、昭和初期の耕地整理で直線化し、下流はいつも洪水で悩まされた。大雨のたびに子供たちを田舟で向こう岸に渡す光景が見られたほど。

 有志が堤に植えた桜は、3間幅で30町に及び3000本。さぞや見事であったろう。姿の消えた今でも、“長栄桜”として語り草になっている。



昭和22年、ウナギがたくさんいた呑川と谷中橋

                  
提供:川合慎治さん(東雪谷3丁目)


 昨年ノーベル賞を受賞した
 利根川進博士は雪谷中学校OB

 区立雪谷中学校は昨年創立40周年を迎えた。この記念すべき年に「わが校の卒業生がノーベル医学・生理学賞受賞!」の朗報。この二重の喜びに同校はどっと沸いたのだった。
 利根川進博士は昭和30年卒業の6期生で、在学中には生徒会長も務める秀才であったという。

 この学校、休育館が2つもあり校庭も広い。5年前から健康づくりを目標に早朝マラソンを実施し、文部省から表彰されたりもしている。
 英才は、まず体力つくりから、か。



雪谷中学校

   キツネ追いし、かの山

 調布大塚小学校のそばに、こんもり木の茂る「鵜の木大塚古墳」がある。高さ6メートル直径27メートルの小山は原形をほぼ保ち、未発掘でナゾも多いとか。

 近くに住む天明タツさん(84歳)がお嫁にきた当時、そこにはキツネの凄み家の穴ボコがあり、たくさんのキツネがいて、麦畑を走り回っていたそうだ。

 ここには現在大塚稲荷神社が祭られているが、社の前の“キツネ石”が落ちている(左側)のは、子供がいたずらをした罰で、いくら載せてもまた落ちてしまうそうだ。



古墳の中にある大塚稲荷神社

  出世したけりゃ、一度はおいで

 石川台駅を降りて南へ数十メートル歩くと、緑に包まれた森。これが雪ケ谷八幡神社。創建は約4百年前の永禄年代。
 昔は湧水が豊富で冬場には天然氷を作って出荷していたという場所。
 かつて、かの有名な48代横綱大鵬が本名「納谷(なや)」のしこ名でとっていた幕下時代、ここ雪ケ谷八幡神社で地元の青少年と相撲を取った。

 以来大鵬と雪ケ谷八幡のご縁ができて、毎年2月の節分祭にはやって来るとか。境内には彼の手形を刻んだ“出世石”があり、ここの名物となっている。





雪ケ谷八幡の出世石

 最近女性雑誌に取り上げられたりして若い女性に人気があるのは、ここの縁結びのお守り。

 また文化遺産としては、300年前に雪ケ谷村の人たちが道標を兼ねて建てた庚申供養塔群もある。9月の例大祭、除夜祭、節分祭で賑わい、氏子青年たちのおはやしが好評だ。







  Story- その

   近くにこんな大黒様

 ドーンドンドン…。鳴り響くのは、大太鼓のお題目修業。こちらは雪谷念力大黒天(法友会)、昭和51年開堂以来、13回、罪障消滅、信力増強進を祈願。わざわざ遠方から来る信者も多いようだ。

  トレビの泉に劣らぬ泉は、
        歌手「雪村いずみ」の芸名に


 「円長寺の上あたりにカンニャクボと呼ばれる馬捨て場があった。昔はこの辺も山の中、馬による交通が主だった…。
 語るのは、飯田忠次郎さん(88歳)。雪ケ谷村で7軒7苗(苗字のこと)の頃の旧家の出。
 南雪谷5丁目10番あたりは、昔、湧水豊富な洗い場だったのでこの場所に“水神様”が祭られていた。これが最初、金製だったために何者かに盗まれてしまい、のちに木製にして社に納めた。(現在これは雪ケ谷八幡神社に安置)。
 当時この水神様のある小川にはカキツバタが咲き、ウチワホタルの群れが飛ぶ桃源郷だった。しかし今日でもこの地には清水がこんこんと湧き、東調布公園の野球場脇に流れているのだ。

 歌手・雪村いずみ(本名朝比奈知子)は「デビュー当時この泉にほど近い所に住んでいて、芸名をケ谷からとった」
 とその由来を話す飯田忠次郎翁。



 昭和16年春、水神様の湧水を引いて造った洗い場
春カブを洗うのは飯田忠次郎さんの父・浅次郎さんと母・なをさん
  提供:飯田忠次郎さん

  ここはSL停車駅、雪谷の丸の内

 こちらは東雪谷2丁目。荏原病院・大田区出張所・消防署が並び、ひと呼んで「雪谷の丸の内」。

 そのうえ、SLあり。ん。SLが!? どうして、こんな所に? ふと表札を見ると、あの建築家の清家 清さんのお宅。早速、訳を聞いてみました。

 「このSLは、ワーフー2600、主に東北地方を走っていて、昭和57年に廃車になる時、特別に払い下げてもらったんです」。
 中をのぞくと、ステキな書斎。さすが……。SLは子供の頃から大好きとあって話は尽きない。SL君の、喜ぶ汽笛が聞こえそう。


 
 すごいぞ! 地球を54


 雪が谷大塚駅から銀杏並木を南西に歩くと、東調布公園にあたる。
  こちらはD51428、昭和11年〜20年みちのく路を走り、走行2145187キロメートル、なんと地球を54周したSLだ。昭和47年、当公園に停車して、今ではすっかりチビッコたちの人気者。
  他にも、上記の水神様の湧水を利用した小川、交通安全を願う児童交通公園、水泳場、野球場、サイクリングロードと、レクリエション設備も豊富。休日は、家族連れでいっぱい。










   明治初期の雪谷甚句(唄)

 ♪ハァー 雪谷名物3つある

 ♪ハァー 1つは氷場

♪ハァー 2つは憲兵所

♪ハァ一 3つは八幡神社なり

 冬場に天然氷が宮崎・石井家で取れ、中原街道の石川橋のたもとに憲兵隊の駐屯所があった。

 この頃の出所は、明治中頃まで造り酒屋をしていた前述の当主・田中正光さん76歳。木のくさびで建てられた旧家には、今でも木製の恵比寿様が安置されている。
 田中さんは雪谷小学校の生徒たちに郷土史の勉強としてお題目を披露したり昔話を話して聞かせたりして郷土文化の伝承に努めている人。地元の伝説である「朝日長者の財宝」、「おしめ洗い地蔵」、「直井家の家系」などの話が得意で、とっても面白い。

   知ってる!校名の由来

 大田区立池雪(ちせつ)小学校といえば明治11年創立、110年の歴史を誇る。
 当初、児童数は3040人。わらぶき屋根の校舎も今では鉄筋コンクリート。きょうも1000人の生徒が元気に登校して来ます。

 で、この池雪小、校名の由来にこんな話が…。
 創立当時の学区域は、上池上・道々橋・裏石川・雪ケ谷など5か村にわたっていた。そのうち、大きな2村名を取り「池雪(いけゆき)」としたが、安易すぎるので<ちせつ>と読み変えた。な〜るほどねえ。

 小学校のそばに、むかし日蓮上人が花を摘んだという伝説がある「花抜き坂」、行った?



花抜き坂から遠く池上本門寺の五重塔、近くに新幹線の軌道が見える

    なぜか信州中仙道!

 南雪谷2丁目18番地。古ぼけた木の道標が建っている。ここが信州中仙道? 「とんでもない」とは、ご主人の吉澤さん。むかし宝塚で仕事中、芝居の小道具だったのをもらい受けたそうだ。

 それにしても旅人泣かせ。たまに「ここが信州ですか?」と訪ねてくる珍客も。



旅人泣かせの道標

さすがぁ、DENENCHOFU POST OFFICE

 郵便局の建物というと、どういうイメージ? 四角四面のコンクリート。白い壁に〒マーク。

 ところがどっこい、ここ田園調布郵便局は規格品じゃない。まず入り口が造形的でユニ−ク、それにマッチさせて、玄関の郵便局名もDENENCHOFU  POST OFFICE と横文字なのだ。窓口にカーペットを敷いたのも、全国初だそうだ。各階は郵便・貯金・保険の3事業別に赤・緑・青のパステルカラーで色別、屋上のタンクは目隠して石庭風に。

そのうえ、テニスができるレクレーション室も。
 地域の特性を生かし、地域の文化的ストックとなるように設計した当の本人は、東京郵政局建築部の観音克平氏だそうだ。

 場所は環八と中原街道の交差点、大田区北嶺町21番地。



眺める角度によって異なる田園調布郵便局の姿

   なんだ坂! こんな坂?

 雪谷は坂が多い。花抜き坂、宮前坂、権現坂をはじめ、名もない坂が数十カ所。
 中でも異彩を放っているのが、東雪谷5丁目20番の「この先、行き止まり」の看板の坂。下を見ると、キャー! 急な坂道、下り坂。ガードレールで出入口をふさぎ、通行止は数十年前。「行き止まり」ならぬ「行き止まらぬ」坂道なり。

 そういえば、石原裕次郎主演「陽の当たる坂道」のロケが行われたのも石川台駅前線路沿いの坂だ。

  Story- その
    雪谷ひとすじ人間 

 富士を見つめて15年、嵐の日でも傘さして

 「とにかく富士山が好きなんです」という、小谷内栄二さん(81歳)。
 なんと、東調布消防署の
望楼(現在は屋上)から、毎朝富士山を観測すること15年! その間一日も欠かさず。午前8時の空を見つめ、スケッチブックに思いを込める。
 気象庁の清水教高さん出演のテレビを見て、空の汚染に共鳴、始めた観測も、昭和57年東京都知事から表彰状、昭和62年気象台長から感謝状をもらうほど、精巧な写生。

 中学生の頃、夜中に一人で杖をつき登り始めた富士山も、嵐のためにやむなく下山。「若かったんですね、純情でしたよ」。それ以来、一度も登山しないとは意外だ。
 「若い頃から変わってて、ねえ。ずーっと続けたらいいわねえ」と微笑む、妻の英子さん(80歳)が応援する。
 秋は空が美しい季節。今朝の富士山は、いかがかな。



今朝も富士山をスケッチする小谷内さん

  生きています、職人気質

 18のときから料理に取り組み35年、その人は「鳥料理喜久仙」の料理人・大山博久さん(53歳 南雪谷4丁目)。こだわり続ける、かたくなな姿勢を″頑国者″と呼ぶ人もいる。

 良い材料を極め生かすには、毎日が自己との闘い、追求と勝負の連続だと語る瞳は、真剣そのもの。5代も続くごひいきや、各界の著名人に根強いフアンが多いのも、無言でうなづける。



七転び八起の精神、大山さん

 「息子に、こんな苦労は継がせたくないねえ」と苦笑い。
 通称おやじさん″として愛されている温かみが、チラリと顔をのぞかせる。













    雪谷のホロヴィッツ!

 杉浦正三さん(76歳 南雪谷1丁目)は街のピアニスト。毎日3〜4時間はピアノに向かう。レパートリーはモーツァルトの「ソナタ全曲」、べ−トーヴェンの「月光、悲愴」、ショパンの「ワルツ、ノクターン……」など。

 男性で、しかもこのお歳で、といったら、現役のご本人に失礼にあたる。ほかにも三味線、ヴィオラなども弾く芸達者ときているから、唖然としちゃう。
 「健康とボケ防止のためですよ」とご謙遜の杉浦さん。

 本業は元銀行マン。現在はボランティア活動で、リハビリや歌謡クラブのピアノ伴奏をなさっている。「老人にはバロック音楽が向いている」ともおっしゃる。
 杉浦さんは6人の子宝に恵まれ、お孫さんも12人で、その家長。



自宅でピアノをひく杉浦さん

   雪谷の長老は満

 意気軒昂な増田啓次郎さん(百歳 東雪谷4丁目)の一日は、7時起床、新聞読みから始まる。つぎに読書。これも当方には苦手な経済書、とくに通貨論など。元の職業が大学の経済学教授かと思ったら、映画興業と35ミリフィルムの貸出しと映写が仕事だった。

最近の本で感動したのは「日本の経済が破綻するとき」という本だそうだ。やがて読書に疲れると音楽鑑賞。オーディオが趣味で、レコード120枚、CD40枚、テープ70本を収集し、これをつぎつぎと聴いて楽しむ。

 97歳までは独りで日本橋まで買物に行ったというから、そのご健勝さには敬服する。今でもあの急な雪谷の坂道を登り降りして洗足駅前の本屋さんまで足をのばすのを日課のように。健康法は「酒、タバコをやらないこと。そして新聞を読むこと。テレビはバカになる」とか。
 うむ、確かに。素晴らしい長老。



きょうも外出、百歳の増田さん
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