編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
   NO.883  2016.02.09 掲載
地域
  
沼部・鵜の木・下丸子」 
               ウォッチング


★平成2年12月発行『とうよこ沿線』第52号「見たか聞いたか沼部・鵜の木・下丸子」から


   全国同じ地名「鵜の木」
             「全国鵜の木まつり」
盛大


全国11カ所の“鵜の木めぐり”

 全国に点在する「鵜の木」という地名の地を調べ、そこを訪ね、「全国鵜の木まつり」開催を呼びかけ、実際に昨年第1回目の祭りを主催し、大成功をおさめた。
 その実行委員長は、もちろん東京・鵜の木にいらっしゃる。

 稲名清和さん(53歳。イネナ電気社長)がその人。
 そのきっかけは、NHKテレビを見ていて秋田県若美町に「鵜木小学校」という学校があることを知ってから――。よそにも同じ地名があるのに驚き、すぐに全国各地の地名調べを開始、今までにわかっただけでも12カ所の「鵜の木」。
 稲名さんは机上でのことだけでなく、忙しい仕事の合間をぬってはその地へ出掛け、この夏すべてを回り終わったという。

 どこにも市町村名となっている「鵜の木」はなく、大字や小字の30戸から200戸の小さな集落であった。しかし、そこには非常に興味のある歴史・文化・産業があり、大都会で失われつつある人情の花″があった。

 秋田県若美町の鵜木地区は、国の重要無形文化財「なまはげ」の伝承の地で有名であり、米の秋田こまち″やメロンの産地。また中日ドラゴンズの主砲・落合選手の出身地とか。
 福岡県甘木市鵜木の「獅子舞」には独特の妙技を継承し県の重要文化財の指定をうけているなど、各地の鵜の木″に特有の風土と人とのかかわりをつづる文化や歴史、そしてその他の経済基盤を支える特産品の数々があった。



全国各地の「鵜の木」特産物が
       東京・鵜の木に集合!

 稲名さんはこうした全国の「鵜の木」が手を結び、地域間交流″や産業の発展に役立つことはできないかと考えた。それが、昨年7月大田区鵜の木の銀嶺商店会(加盟店35店)の創立40周年を記念した、表題のイベント。

 秋田県若美町と岩手県前沢町からは町長が、各地の鵜の木からは役人や農協役員など、また地元の大田区からは西野区長が来訪し、祭りを盛りあげた。
 なかでも最も人気があったのは、全国各地の「鵜の木」から持ち寄った特産品。福岡県大刀洗町の「蜂ミツ」、福岡県甘木市の「ぶどう」、宮崎県北郷町の「フキ」、秋田県五城目町のお米「秋田こまち」、岩手県前沢町の前沢牛″の精肉などの産直。

地元の東京ガスの協力で35キロ炊き大釜に産地の美味しいお米とフキ(宮崎県北郷町産)を入れた炊き込みご飯″。新潟県頚城村からはドジョウとホタルが土産に届き、子どもたちは大喜び。

 こうして成功した初の試みは、今年から発展的に鵜の木全域の商店会である鵜の木商店街連合会、鵜商連″(渋井光三会長)にバトンタッチ、地域の祭りとして大きく飛躍することとなった。 
               文:岩田忠利







  
目蒲線(現・多摩川線)3駅、街の話題


心うるおす復元″六郷用水

「沼部」発

 徳川家康の命により14年の歳月をかけて掘られた六郷用水は、灌漑用水として約50カ所の田畑を潤していたが、昭和時代には流域の様相の変化とともに分断され、一部では緑道となり、ある流域ではドブ川と化していた。

 平成の現在、私たちは「復元された六郷用水」を散策することができる。

 沼部駅近くの広場から続く用水沿いの歩道を歩けば、玉石の積まれた用水路に水生植物が茂り鯉が泳ぐ。    文:佐藤由美



復元された流れは約400b














 名物多摩川鵜の木寄席″

「鵜の木」発

 

世話人代表は成瀬正澄さん(56)と山田信之さん(56)。鵜の木二丁目会館が新設され、文化的活用をと考えたときに「落語しかない!」と成瀬さんはひらめいた。
 落語家の立川談志師匠(本名・松岡克由)は鵜の木育ち。成瀬さんが「かっちゃん」と呼んだ竹馬の友。この際一役買って席亭たちの世話人に……。そして「鵜の木を古典落語を中心に伝統芸能の普及と住民の語らいの街に」と呼びかけると、たちまち50名の有志が集まった。

 一人1万円の年会費を資金に企画を立て備品をそろえ、平成元年6月には立川流真打ちを迎えて、おひろめ会開催にこぎつけた。

 老若男女の客が高座と一体となって楽しめる「鵜の木寄席」」。いまや町の名物に。    文:佐藤由美

 開催は年3回、木戸銭は干円(大人) 
連絡先:鵜の木二丁目町会館 пi37501722



出囃子(でばやし)が聞こえそう


「お祭りルンバ」を地でゆく
        おばあちゃん

「鵜の木」発

 「せいや、せいや。ピーツピッピッ」。威勢の良い神輿かつぎの先頭をきって、笛吹き鳴らし音頭とるハッピ姿も勇ましいこの人は? 伊藤理髪店の元気者、大川つねさん(81歳)

 生まれは沼津。子供の頃から大のお祭り好きなのは、浅草生まれ神田育ちのお父様の影響とか。「昭和30年にこっちへ来てからずっと笛吹いてるよ。何てったって皆んなが一緒に、男も女もなく気どりもなく楽しめる、お祭りは最高だよ」
 と、つねさん。自慢ののどを生かした民謡も今年で35年、『チャッキリ節』が十八番。

「孫は6人、大学生もいるよ。この年齢じゃ、周りが心配するから笛吹きも今年で引退よ」
と目を細める。いやぁ、チョッピリ残念。フアンとしては、いつまでも続けてほしいのだが……。             文:佐藤由美



神輿を従えて音頭をとる、
つねおばあちゃん









  健康一番、朝の多摩川
 
『鵜の木早朝運動クラブ』

「鵜の木」発

 白々と明けていく朝。まだ明けきらぬ空に、ハンマートーンの塗装のような鱗雲を見ながら、運動靴にスポーツ着の出でたちで玄関を出る。
 6時から始まる「鵜の木早朝運動クラブ」の体操に、駅前の二丁目通りを多摩川土手に向かって急ぐ。この頃、いつもにこにことして歩いてくる老人に出会う。

「おはようございます」――。一日のはじまりの調子が整っていくかのように、思い切って明るく、美しく大きな声で挨拶する。
 夏の頃は土手に賑わった体操仲間も、寒さが加わると少しずつ減っていく。それでも、この清々しい朝の大気が五体に流れ込むような早朝の気分を体の隅々まで吸収しようとする人々が、湧き出る雲のように集まってくる。

 坂田先生の号令に合わせて休操が始まる。夢中で約30分、最後のブロッチ体操を終えて深呼吸する時は、今日一日の充電を広い多摩川の自然から吸い込んだようなうれしい気分になる。

 昭和46年から続くこのクラブの人々に、温かい人情を育むかのような朝日がやがて輝きだす。



地元のPTAが中心になって始めたこのクラブ、20歳〜80歳の方が、冬でも50名ほど参加。
連絡先:越山しづか пi37581524
                           文:佐藤由美

  鵜の木富士見通りの「朝市」


「鵜の木」発

 富士見通りのイベントに朝市がある。

「私どもの商店街を愛し、毎日生活に必要なものを買って行ってくれるお客様に、何かサービスをしてあげたい」と商店会が思いついたのがこの朝市である。

 当日には金券入り福袋(300円)も用意される。中には最低400円から500円、700円、1000円相当の金券が入っている他、タマゴ券、醤油券、各商店の名前の入った引換券などさまざまな券が入っておもしろい。

 初めは地元の買物客しか来なかったが、今では久が原方面からも来て賑わっている。
 
 この朝市は今年で9年目。毎年4回開かれ、朝9時から11時まで通りいっぱいに並ぶ。今年は鵜の木まつりがあったため、10月の朝市は12月2日(日)に開かれた。 
               文:菅間映二



この日ばかりは、朝から大賑わい








六所神社の神事「弓引き」       「麦つき」

「下丸子」発

六所神社は鎌倉時代前期、文暦元年の創建。かつてここで行われていた2つの神事とは?

「弓引き」は豊作と無事を祈願するもの。毎年17日に氏子たちが、白と黒のだんだらに塗った丸い的を36本の矢で射て、白に当たれば豊作、黒で不作。一種の占いだ。



氏子世話人手づくりの的
弓引きの的

提供:鎌田朝太郎さん

「麦つき」は麦の収穫を祝う行事で、毎年6月14日の祇園祭の宵祭に行われていたもの。

 ♪ヤレー  ボウサマトーヨ  ユワレヨカ
 ♪ハンニャノミタ一  アシオンジョロ  シュクカイタアシー(以下略)

 これは「下丸子麦つき唄」の一部で、歌いながらついた麦を、祭の翌朝、神前に供えて、氏子たちにも配ったというもの。
 六所神社は今から756年前に、大國魂神社(府中市)を勧請(神仏の分霊を他の他にも祭ること)したことによって創建された由緒ある神社。今では姿を消してしまった「弓引き」と「麦つき」だが、この伝統行事を復活させようという動きが、地元にはある。
 その模様をお伝えできる日が待ち遠しい限りだ。                文:木村敦郎

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