編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
   NO.882  2016.02.06 掲載
地域
  
港北ニュータウン」ウォッチング
文・写真:岩田忠利
★平成8年4月発行『とうよこ沿線』第65号「港北ニュータウン」ウォッチング」から

         やがて語り草になるだろう! この乗降客数
                  


平成8年1月、都筑区役所5階からセンター北駅を望む

センター南駅の区役所周囲は工事中で赤土がむき出し、ビルは一棟もない

                    撮影:岩田忠利

    駅名  平成7年2月時   平成25年時
仲町台駅  15,700  32243
センター南駅   7,800  76992
センター北駅   4,300  77007
中川駅   6,900  19,213人

 上の数値は、平成7年2月現在の港北ニュータウン内を走る市営地下鉄3号線の4駅一日平均の乗降客数(横浜市交通局調べ)である。ちなみに仲町台駅の隣、新羽駅は10,200人、中川駅の隣で田園都市線との乗換駅、あざみ野駅は44,400人。

この時点での都筑区内人口は119千人である。
 この数字からみて、一目瞭然なことはセンターと名がつく両駅の数の少なさだ。都筑区総合庁舎のあるセンター南駅、市歴史博物館のあるセンター北駅、ともに乗客は1万人に遠く及ばず、二つの駅が赤土もあらわに荒涼とした原にポツンと立っている。東京の新宿とほぼ同じ面積といわれる駅前の商業・業務ゾーン開発がバブル崩壊、不況の影響で立ち遅れていたのである。


 しかし今、この荒野には多くのブルドーザーと作業員が動き、地域冷暖房施設工事や両駅に500台収容の地下駐車場などの建設が進んでいる。

 そしてセンター南駅前に東急百貨店、センター北駅前に阪急百貨店の出店が決まっている。阪急出店は数年先のようだが、今年3月着工した東急百貨店は「催しができる大小二つの屋外ステージ」と「個性的な多くの専門店」をもち、規模・格とも港北ニュータウンの一番店″をめざしているという。また、センター北駅前に平成10年オープン予定で住宅都市整備公団が建設計画を進めている地上6階、地下4階の商業・業務施設ビル、仮称「プラザビル」も。

 21世紀に向け30万都市づくりの大プロジェクトがいま着実に進んでいる。
 あの荒野と田舎駅並みの乗降客数が、語り草になる日は、もうすぐだ。
 
 ★上記表から平成7年と平成25年時の一日平均乗客数
の推移を見ると、センター北駅は約18倍、センター南駅が9.9倍と急増していることが分かる。


    
      中川の街、その魅力


 本号特集地取材に港北ニュータウンを2カ月ほど回ったが、現地に行くたび寄ってみたくなったのが中川駅周辺。それはなぜか? よく考えてみると、それなりに自分を惹きつける魅力がその街にあるのに気づく。

 まず、街づくりがヨ一ロッパ風でなんとなく落ち着ける。街にゴミが少なく清潔だからだ。
 つぎに、高台にある中川駅は駅前から公園が続き、自然林がいっぱいの山崎公園や鳥山公園があって野鳥のさえずり、早渕川の流れや家並みを眼下に散歩ができることも魅力。

 もう一つは、ここの店と人のユニークさ。西口の港北ガーデンヒルズの滝の前、プリマべ−ラという店のパンは店主夫妻が大変な凝り性とみえ、天然酵母を使ったパンがどれもウマいこと。

 この店のすぐ裏の「ハウスウエア横浜」には、27棟のモデルハウスと本館内に「住まいづくり体験館」があり、こと住宅建築についてはハード、ソフトのどんな情報も得られること。とくに体験館では部屋の広さ、キッチンの高さ調整、階段の各種勾配、インターホーンの音色の高低、用途に応じたタイルの種類などを五感で体験できる楽しい場所である。




中川駅東口のショッピングロード。車進入禁止、落ち着いて買い物や散歩ができる
 

この中川に特筆すべきことがもう一つ。港北ニュータウン初の商店街が誕生した街なのだ。その名は「中川駅前商業振興会」。会長は西口駅前の大建商事・社長の皆川健一さん。そして副会長に大久保都市開発社長の大久保信正さんと岡本酒店店主の岡本政治さん。大久保さんはその街づくりに当たってドイツのルーテンブルグや米国コロラド山中のベ−ルという町に何度も通って研究したという。

 ともかく一度、あなたも中川の街を歩いてみて!


             
仲町台にお・い・し・い話



 仲町台駅は港北ニュータウン4駅の中で最も横浜都心寄り、ニュータウン地区の入り口に位置する。その優位性を活かしたユニ−クな街づくりが今、積極的に進められている。
 それ何? ウマイものに目のないグルメ党が喜ぶ、食の名所づくり「グルメの里」のお話。場所は仲町台駅前の第4ブロック。



幹線道路に面した仲町台1丁目、グルメの里となる第4ブロック

 ここは第三京浜の都筑インター・港北インター方面と田園都市線荏田方面をつなぐ幹線道路の新横浜〜元石川線に面し、車でも電車でも足場はいい。
 周囲には一般向けと高齢者向けの400戸以上の大型集合住宅が2カ所、また850戸のプロムナード仲町台もある。また生徒数600人の東京横浜ドイツ学園、大企業の研究所や外資系銀行などのオフィスもあり、ここに外国人を含めた老若男女が集い、「食事し・遊び・余暇を美しむエリア」にしようというものである。


 遊びといえば、駅前のビーバンクというパチンコ店は仲町台一の吸引力がある。斬新な店作りと人気機種を抱えていることから再三テレビや雑誌で招介され、今や話題の店。遠方から来たフアンが店先でよく「ビーバンクはどこですか」と尋ねるそうだが、確かに外観はレストラン風、中の騒音は全く聞こえない。

 余談はさておき、この推進母体「グルメの里建設推進協議会」の会長・関 義和さん(勝田町)に本題を訊こう。

 「仲町台駅の周りは公園と農業専用地だから自然がたっぷり。駅近くに“サカタのタネ”の本社もあり、花壇の多い街にして四季折々、自然の変化を楽しみたい。そしてうまいものを食べられる里″を実現させ、みんなが仲町台駅で途中下車してもらえるようにしたいんですよ」

 各地から引き合いがあり、すでにソバ店・ベーカリー・コーヒー店などが出店。なお、「グルメの里」についての問い合わせは下記へ。

連絡:都筑区勝田町1216
    「グルメの里建設協議会」会長・関 義和










 

      

    〜個人で収集、私費で建てた〜
 東山田郷土資料館



 横浜市港北区と川崎市宮前区の区境に近い、都筑区東山田町のバス停「道中坂下」から歩いて3分ほどの高台。そこに黒い板張りの東山田郷土資料館″が建っていた。母屋続きの本館とかわいい2棟の別棟も。

 中を覗くと、昔の農機具や建築道具、いかにも古そうな生活民具類がきれいに手入れされ整然と並んでいる。本館は自在カギがかかった囲炉裏を中心に江戸時代の古文書や掛け軸など美術品、茅葺き屋根の農家のたたすまいを写した写真パネル、古銭や土器類が展示してある。その数、おびただしい。

 「小学生の頃、家の周りや畑にころがっている土器の破片を集め出したのが収集の始まりでしたね」。
  ソフトな語り口、いかにも謙虚なお人柄と見える館長の栗原満直さん(52)。
 本業は伊勢丹勤務のインテリア・デザイナーだが、ご先祖はと言えば、名主の子孫だという。幼い頃から歴史や考古学に興味があったうえに、ニュータウン開発で失われていく郷土の姿を次代に語り継ぐことに情熱を注いでいらっしゃるのだろう。

 「失われ、捨てられ、忘れられていく地元の民俗を一人でも多くの人に知っていただきたいのです。自分自身が今生かされていること、そして引き継がれてきたことを、私たちは子孫に伝える役割があると思います」。


 


東山田郷土資料館前で土地っ子の館長、栗原満直さん

この郷土資料館の目的をそう話す栗原さん。この日も地元の小学生80人が見学に来て帰ったばかりだという。

 たった一人で30年以上の歳月をかけての収集、私費を投じて建てた東山田郷土資料館。
 あなたはもう見学したのかな?

場所:都筑区東山田町13621バス停「道中坂下」3
    水曜のみ開館(9時〜午後5時)入場無料
    5916493



    〜子供たち15名も稽古に励む〜 

           南山田
お囃子(はやし)連中


 港北ニュータウンという大規模開発の中では、とかく新しいものが優先され古き良きものが軽視されがちだ。

 そんな中で地域の祭りや行事に欠かせない郷土芸能の一つ、お囃子(はやし)″は今、どうなのだろう? 
 都筑区内に現存しているものは南山田、鳥山、茅ヶ崎など10組あると聞き、ほっとしたが、どこも「後継者育成とその継承」という共通の悩みを抱えているようだ。

 しかし、南山田町会(栗原 毅会長)の南山田お囃子部″(小泉光秋部長)は中原街道に面し山田神社を町の中心地に構え、今でもその祭礼や伝統行事の虫送り″、新春獅子舞や各種イベントに出動し活発だ。

 昭和22年に4人が発起人となって発足し、現在大人の部員11名、子供15名の陣容である。大人は自営業2人のほかは会社員や公務員、それぞれ忙しい間隙をぬって毎週土曜、夜8時から町内会館で稽古に励み、がんばっている。

 子供15名は小学3年生から高校2年生までの男女のうち、3分の2は女の子。稽古は1時間で切り上げるが、笛、鉦、太鼓、踊り、調べと各部門を師匠から一通り教えてもらう。



山田神社の祭礼での師匠たち

 現代っ子はお囃子も音楽やダンスのノリで、覚えも速く、将来が楽しみだ。

 ここでの悩みは「大人の平均年齢が55歳と高いこと」。それだけに将来を担う子供たちの成長に大きな期待がかかる。



     〜身障者の強い味方、日本アビリティーズ社〜

            身障者たちが設立した会社


 健常者でもいつ突然、病気や交通事故で倒れ、障害者になるかもしれない。皆さんはそんな不安が頭をよぎることはないだろうか……。

 港北ニュータウンを車で走っていて、「ライフサポートステーション」という看板が幹線道路の大きな交差点の角にあり、ひときわ目立つ。

後学のため店内を見学させてもらった。車椅子・介護用ベッド・おむつ・日用品などの在宅療養品、入浴システム・理学療法機器、病院などが使う諸機器、階段昇降機や浴室・トイレ用手すりまで並ぶ。

そこの所長・小泉白行さんに総品数をうかがうと、なんと「2900種類から3000種類」。ここに来れば殆どの福祉用品が揃うのだと聞いて、非常に心強く思った。



このビルの1階が、ライフサポートステーション横浜店。車で都筑インターチェンジと港北インターチェンジから10分以内。仲町台駅から徒歩10





企業化に成功した日米の身障者たち

 ここは「日本アビリティーズ社」という会社が業界で初めて郊外型大型店として開設したものだそうだ。

 創設者の伊東弘泰さんは身体障害者。高校卒業のとき「身体障害者は採用しない」との理由で100社以上から就職試験目前に応募書類を返される屈辱を味わった。
 その彼を勇気づけたのは、アメリカ・ニューヨークのアビリティーズ社の創業者たちの行動だった。

  わずか4人の発起人が、しかも「4人合わせて満足な足は1本、手は3本」という重度身体障害者ばかりだった。その事業のスタートは薄汚い空きガレージ。この4人で興した会社がアメリカの激しい競争社会の中、すでに30年前、障害者500人が働く中堅企業に成長していたのだった。

 伊東さんは1966(昭和41)、大学の卒業試験が終わった翌日から「日本アビリティーズ社」設立の準備に取り組み、総員6名、うち4名が障害者で5坪ほどの小さな印刷会社を大田区内で始めた。それ以来30年、今は社員250人、リハビリ介護福祉用具の専門企業として業界のリーダーとなっている。

 この日米の身障者たちが歩んだ企業経営の道は血のにじむような壮烈なものだった。
 私は本『敗北を知らぬ人々』(日本アビリティーズ協会刊)でその事実を知り、自分は五体満足なのに、何をそんなにクヨクヨ悩み、何をモタモタしているのかと大いに叱咤激励されたものだった。
 上記の本を読んでみたい方は下記へ。
 場所:ライフサポートステ-ション横浜店 
   都筑区仲町台5-2-11

     無休 10時〜夕6時 9431150

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