編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
   NO.877  2016.02.04 掲載
人物     田園調布」ウォッチング
★平成3年11月発行『とうよこ沿線』第55号「見たか聞いたか、田園調布」から
     

    大田区と世田谷区にまたがる ひろ〜い田園調布 


 ひと口に「私は田園調布に住んでいます」と言っても、広すぎて地元の人はピンとこない。そこでまず、田園調布と名がつく地域を町名別に説明しよう。

 「大田区田園調布」という町名は1丁目から5丁目まである。西口が3丁目、駅前中央に小さな池がある広場。そこを中心に5本の道路が放射状に広がり、道幅は広く、歩道沿いのイチョウ並木は空を覆うほどだ。これがパリの凱旋門にあるエトワール″、何本もの道路が一点から放射されている星形の辻というのだとか。そしてその両側に広い庭付きの個性豊かな家が立ち並ぶ。

 プロ野球の長嶋茂雄・一茂親子やダイエーの中内さんらの家もこの中に。その先、西方の丘陵地に歌手・五木ひろしさんなどの大きな家が連なる4丁目。さらにその西斜面と丘を下った平地を多摩川岸までが最近司会で活躍の逸見政孝さんが引っ越してきた5丁目。

 西口駅前、右手の郵便局前の通りを2、3分歩くと、そこはもう世田谷区内で、同じ田園調布でも「世田谷区玉川田園調布」。環八を挟んで1丁目と2丁目に分かれるが、昔、東京市へ編入の際の町名改正で、田園調布の約3分の1の地域が世田谷区域となった。よって、住民である俳優・中井貴一さんやプロ野球ヤクルト監督の野村克也さんは世田谷区民だ。

  駅を中心に東口が2丁目。ここは昔、旭野という地名でその名の商店街、旭野商店会が駅前通りに沿って軒を連ね、さらに福徳商店街と続く。



同じ田園調布でも塀一つで区が違う。
右が大田区田園調布の縄谷家、左は世田谷区玉川田園調布の佐野家

 その先、六間通りの両側に六間通商店街が続き、どことなく下町的雰囲気が漂い、その裏に作家で衆議院議員・石原慎太郎さんなどが住む1丁目の住宅街が中原街道まで。東ロは多摩川園寄り以外は比較的平坦地が多い。

 中原街道の向かい側から新幹線までと西へ目蒲線沼部駅を越えて多摩川岸までが山下さんちの中学生に成長した“5つ子ちゃん”がいる「田園調布本町」。新幹線の南側には大田図書館や高校・中学校・小学校がある文教地区で、そこが「田園調布南」。     文:岩田忠利


           草創期こぼれ話


 渋沢栄一氏は大正5年に引退するまでわが国実業界の指導的役割を果たし、第一国立銀行設立を手始めに基幹産業となる500余の会社を設立、軌道にのせた。引退後は教育・社会・文化の各方面の社会公共事業に力をそそぐ。

 その欧米視察の帰国談話が「今後の都市生活者は事業所と住居を別にし、郊外の空気のよいところに住宅を持つべきだ」であった。これがいわゆる渋沢構想で、それを具体化するため大正7年資本金50万円のわが国最初の都市開発会社「田園都市株式会社」が設立される。

 「タゾノトイチ(田園都市)さん」

 4男の渋沢秀雄さんは、当時20代でその会社の重役に就任、父親の代りに単身船に乗り欧米の宅地開発事業を視察、今日の田園調布の基礎づくりに取りかかる。

同氏の著書『わが町』に当時の模様がこんなふうに書かれている。

 「もしもし、こちらは田園都市会社ですが、パンフレットの印刷をお頼みしたいのです」
 「はぁ? なに? デンケン?」
 もっとヒドイのになると「え、なに? 伝染基地?」とくる。
  社員が郵便局へ電報を打ちに行き、料金を計算する間ベンチで待っていると、「タゾノさん」と呼ぶ声が聞こえた。気にも止めずにいたら局長が「タゾノさん、タゾノトイチさん!」と大きな声で繰り返したのでやっと気がつき、「なるほど田園都市(タゾノトイチ)さんに違いない」と苦笑い―――。

 まさか、この会社が今日の東急電鉄の前身となり東急王国″とまで呼ばれるほど成長するとは、だれも予想しなかったであろう。





 「あれが電気の光だ!」

分譲が始まり、やがて家が建ち、ポツリ、ポツリと電灯が灯るようになる。丘の中腹に点在するその明かりは多摩川をはさんだ対岸、川崎市中原区小杉あたりからは漆黒の森の中にひときわ輝いて見えた。
 どの家もまだ石油ランプ時代のこと、小杉御殿町に住む原平八さん(
82)は友だちと多摩川岸へ行っては雨天でも煌々(こうこう)と光る様を見て「あれが電気の光だ!」と珍しそうに眺めたという。

 ドロボウも見向きもしない田園調布

 当時、田園調布に人家が増えたとはいえ、夜道は暗く人里離れたように寂しく、一種の不安を感じさせた。
 そこで、渋沢秀雄さんは治安を心配してお巡りさんのいる交番を田園調布に置けるよう警視庁へ交渉に行く。と、担当の警察官が笑いながら、
 「泥棒から見れば、電車賃を払って出かけても家数が少ないから、狙った家に入りそこなえば、すぐ他の家という訳にはゆかない。そんな歩留まりの悪い所へは行きませんよ。泥棒が入り、火事があるようになれば、町もー人前です」
 当時はまだドロボウも見向きもしない田園調布だったのである。


               文:岩田忠利  イラスト:俵 賢一

     “一人前”になった田園調布  空き巣にご用心!


 少々物騒な話だが、10年ほど前、本誌に田園調布在住の某大学法学部教授の先生が、こんな記事を寄稿してくださった。

 「<田園調布に家が建つ>というギャグで有名になる以前から、東京近郊の刑務所の受刑者の間で『食いつめたら田園調布がいい』との噂が広まっている由。皆さん、ご用心を!」

 そういえば、田園調布住民のあの長嶋茂雄さんが最近、某警備保障会社のCMに盛んにご登場になる。ニガイ体験でもしたのかな。

 全国の高級住宅地の両横綱を挙げれば、東に田園調布、西に芦屋となろう。その共通点はお屋敷が広いこと、奥様が昼間自宅にいないことが多いこと。





 とくに最近ゆとりある主婦はカルチャーセンターヘ通ったり、終日ショッピングで外出したりして家を空ける。
 先の法学部の先生のお話のとおり、その道の専門家″にとっては、そこが成功率の高い格好の稼ぎ場となる。
  実際にあった話――。芦屋を舞台にした高級住宅地荒し″が神戸で捕まった。取調官の追及に余罪をつぎつぎと自白した。その余罪の多くが、なんと東の横綱、田園調布だったとは……。
 ああ、「あの町も泥棒が入って一人前」といわれた時代とは、隔世の感……。
                文:岩田忠利  イラスト:斉藤春江

      

   近年の不動産事情。宅地を買うのはどんな方?



 駅西口に降り立つと、そこはどこの駅前風景とも違った別世界――。数軒の店が目に入るほかは、緑濃き樹木と放射状に広がるゆったりした道路、歩行者もちらほら。イチョウ並木沿いの大きなお屋敷の広い駐車場に外車が3台も入っている家も。初めて訪れたときは外国映画でも見ているような錯覚に陥ったものだ。
 しかし年ぶりの景観は少々姿を変えている。絵のように美しかった町並みの所どころ、荒れ果てた空地が目立つ。

 そこで、駅の真ん前の不動産屋さん「方円堂」に飛び込み、最近の田園調布事情を訊くことに。
 社長・井上満夫さん(
60)は戦後昭和21年から続いた同店を引き継いで35年、不動産業を通して田園調布の町を見てきた。

 固定資産税と相続税に苦しむ住民

 「ここ3丁目の公示価格が平米400万円近く、坪1000万円を超えますからねえ。この辺は150200坪の家が多いですから固定資産税も年200万円余りですよ。そこへ生活費や教育費もかかります。どんなエリ−ト社員でもやりくりはタイヘンですよ」



 うむ、どこに住んでも人間、現実はキビしいのだ。そのうえ、ご主人でも亡<なると?

 「それは相続税で、のこった者は生き地獄ですよ。家屋敷を売って相続税を払おうとしても、バブル経済がハネ、買い手がつかない。で、最近は土地を丸ごと関東財務局へ物納する人が増えています」
 物納された大蔵省もその物件に買い手が付かなかったら、どうなるのかな。

    変わった客層

  ところで、昔と今の客層の変化は?
 「昔の西口には各界のスーパースターが住んでいました。田園調布に住みたいと物件を探しにくる方も、名刺をもらうと『あの、新聞やテレビによく出る人はこの方か……』と、すぐわかりました。それが最近のお客様は豪華な外車なんかで来ますが、名刺をいただいてもお顔も名前も知らない人が大半ですね」

 なるほど、昔の田園調布は名声と収入を兼ね備えた人が新住民となった。ところが今は、名声より一握りの超お金持ちだけ。筆者なんか宇宙かどこかの話を聞いているようだ。
            文:岩田忠利


       田園調布に伝わる郷土芸能  沼部囃子(はやし)    

  読書の中には本誌53号「ナイトウオーク実況中継」をお読みになった方も多いと思うが、そこに登場する「多摩川園、浅間神社のお囃子の音」がここに紹介する沼部囃子(ばやし)。

 この沼部囃子は、現「田園調布囃子連」代表の酒井千里さん(59)の師匠、故鈴木要次郎氏が江戸期の享保年間に目黒の会津藩松平出羽守下屋敷で行われていた目黒囃子″と厚木市に伝わる相模流囃子″を明治初期にミックスしてアレンジしたもの。



浅間神社祭礼での「田園調布はやし連」

 

 それ以来、地元の有志が集まって田園調布囃子連を結成。現在のメンバーは個人タクシーの運転手である酒井さんをはじめ、サラリーマン・クリーニングや青果店の店主などさまざまな職業の人々22名で構成。各人が横笛、大太鼓、締め太鼓、鉦(かね)を使ってあの賑やかなサウンドを作り出している。演奏は初詣をはじめ、成人式、節分、浅間神社祭礼(毎年6月上旬)、結婚式などで、ほかに依頼があれば外部出演も。中でも北品川一丁自町会祭(毎年6月)での演奏は恒例とか。

「地元の人でも沼部囃子を知らない人が多い。一度聴きに来てほしいですねえ」と酒井さん。
高級住宅地というイメージの田園調布に、素晴らしい伝統芸能が生きていた。本当にいいもの見つけた!              文・木村敦郎

連絡:大田区田園調布本町721 
  酒井千里 
03-37212954








     都内では珍しい民間の弓道場  浦上道場弓友会


 田園調布駅東口から歩いて約7分。環八通りから数軒入った住宅街の中。

 「民間の弓道場は都内に4カ所、東急沿線ではここだけですね。公営の弓道場はほとんど指導者がいないのが欠点でね」
 との説明は当道場主の浦上直さん(74)と奥様の博子さん。
 ご夫妻によれば、当道場は現在3代目と古く、2代目の浦上直置氏が現在地に最初に建てたのが昭和7年というからすでに約60年、初代が明治末期に市ヶ谷八幡宮境内に弓道場を開いていたのを合わせると約90年の歴史。



静かな住宅街の中、精神統一、放った弓が的に当たる音が静寂を破る

 102坪の敷地に浦上家の平屋住宅部分と道場部分。標的″が3つ並び、その距離が28メートル。主婦やOLや会社員の人たちが3人並んで一心に弓を引く。
 その横で奥様の博子さんがひと言、ふた言、アドバイスされる。
 じつはこの人、我が国弓道界の有名人。全国広しといえども《全日本弓道連盟弓道範士・8段》という高段位をもっている女性は彼女のほかに一人いるだけ。

 最近また、日本の伝統的武道が見直されてきたのであろうか。ここ浦上道場に初心者の入門が多いという。定年退職者・主婦・小学生など口コミでその輪が広まり、鎌倉市や干葉県、遠くは福島県いわき市から来る人も。とくに最近の傾向はここでも女性の増加だそうだ。

 精神統一、健康増進に、あなたも弓道はいかがかな?
                      文:岩田忠利

連絡:世田谷区東玉川2-30-15 03-3720-3259






「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る