編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
   NO.870  2016.01.27 掲載
人物    23年前の、街の話題
★平成5年3月発行『とうよこ沿線』第58号「街かどルポ」から

  洗足   雅子様ブームにわく洗足駅周辺


 全国民注視の皇太子妃がわが沿線のその真ん中、目黒区南1丁目にお住まいの小和田雅子様に119日正式に決まった。

 小和田邸は目蒲線洗足駅から商店街を抜け環七通りに沿って約7分。閑静な住宅街、その中の白いコンクリート造り2階建、目立つ斜めの大きな屋根が小和田邸。周囲の角々は制服のお巡りさんががっちりガード、腕章をした一部マスコミ関係者以外は立入禁止。雅子様の家の前には連日150人ほどの黒山の人だかり。



ガードがかたく近寄れない小和田邸は右


 世紀の慶事に地元は沸いている。とくに地元の洗足駅前商店街ではこの朗報以来にわかに来街客が増えた。そこで商店に雅子様の横顔とその反響を訊いてみた。
 フ工キカメラ店の奥様の話。
 「以前は雅子様ご自身が店に見えてご自分で撮られた写真のDPをお持ちになったり、最後に来られたときにはアルバムを買って行かれました。ご本人はさわやかな普通の可愛らしいお嬢様という感じで、外交官という硬いイメージではございませんでしたね」。

急にお客さんが増え、商売繁盛の店も。小和田家の近<の(大江戸ラーメン)では「2月から雅子様にちなんだ新メニューを出し、ご成婚当日は全メニューを半額サービスします」と意気込む。

 お祝いに付き物の生花、駅前の(花政)は「小和田さんの家への花の届けが急に増えましてね、多い日は2回くらい。おかげで売上げは伸びましたねえ」。雅子様、様々といった感じでニッコリ。寿司の(北島)は「あれ以来、小和田家への道順を聞きに来る人が増えましたよ」と女将さん。

 全国民がいま最も注目する地となった小和田邸周辺。この落ち書いた住宅街の中の小和田邸へ通する道、ここはご成婚を期し《プリンセス通り》と改称されるとか。
             (取材・本田芳治)



肉体的ハンディを乗り越え 講談社「野間児童文芸新人賞」受賞
 都立大学                       岡田なお子さん


 目黒区八雲1丁目の東光寺近くに住む岡田なお子さんが、第30回野間児童文芸新人賞を作品『薫ing』で受賞した。

 物語は、女主人公・薫が養護学校でなく都立の普通高校に通い始めたところから始まる。身障者を受け入れた学校側の戸惑いや生徒たちとの関わり合いの様々な姿が率直に描かれている。登場人物の女性たちの中には自分の分身もいる。また、つっぱりで心優しい少年の姿も描かれ、全編にたくさんの人の長所を集めて人物像を創り上げている作品。

 選書の一人、作家の井上ひさし氏はこう選評している。
 「女主人公の心の設計に凄まじいばかりの迫力がある。健常者の世界に対して抱く彼女の『敵意』は正直でごまかしがなく、読む者は自分の心の中のねじれを発見する。
(後略)」

 なお子さんは脳性マヒ″で足以外の全身がマヒ。とくに両手が不自由で、わずかに左手の小指と薬指が動く程度。執筆も自分の体験を思い出しながら手と足の指を使ってワープロを打つ。その不自由さをも彼女は「床や畳の上ですることは足も使えますし、外の都内では人間がウジャウジャいますから、『お願いしま〜す』といえば生きていけるんです」。
 さらに「自分の生きる価値を自分で見出し、自分自身が種になろうと思いました。マイナス面でなくプラス面を探すことに気づいてから、前向きの生き生きした人生を過ごせるようになりました」と笑顔で話すなお子さん。






 彼女は公立小学校長の父、母、妹、弟、祖母の6人家族。最近実家隣りのアパートで独り暮らしを始めた。夕食は家族一緒だが、朝と昼の食事は近くのコンビニで買物して自分でやる。独立してみると、家族にいかに多<のことを手伝ってもらっていたかを実感として知り、改めて家族の有難さを痛感したという。

 彼女のアパートには同人誌の仲間が集まる。その会話の中からも健常者と身障者の関係について彼女の考え方がわかる。
 「健常者が身障者に何をしてあげるかではなく、自分がうれしくなることを相手にしてあげればいい。障害を『太った人』や『眼鏡をかけている人』と同様に一つの特徴として見ることね。そう難しく考えなければ、お互いに人格と人格の触れ合いができるのです」



同人誌のお仲間と岡田なおこさん(前列左から2番目)

 筆者の私も、なお子さんと話したことで生きていくエネルギーを彼女からもらったような思いで彼女の元を後にした。          (文 藤川育子)



         
 尾山台   書道界の重鎮、青山杉雨(さんう)先生文化勲章受章!

          


 世田谷区等々力5丁自に約60年住み、わが国の書道界では等々力天皇″とまで呼ばれる重鎮、青山杉雨(さんう)先生(本名文雄。80歳)が昨年113日、文化の日に天皇陛下より文化勲章を授与された。

 先生はみずからの書を評して「私の作品は大きな視野からみれば絵″かもしれないよ」とおっしゃっていた。
 今回の受章はやはり、漢字を視覚的に表現するという独自の境地をわが国書道界に切り拓いたパイオニアとしての功績、また日本芸術院会員や日展常務理事などとして後進指導育成に尽力された日頃のご苦労が認められたもの。

 快晴の皇居。青山先生と52年間先生を支えてこられたトク子夫人が井深大さん(ソニー名誉会長)ら4名の受章者の先生方と並んでいる記念撮影のお姿、それをテレビで拝見したときには思わす胸が熱くなった。




 声も体も人一倍大きく、初対面のときは威圧感、いや恐怖さえ感じさせる先生。だが、話すほどに優しさがにじみ出てくる。
 戦中戦後の波乱に富んだ半生、さらに大手術後も体力に鞭打っての創作活動、そのお身体で私どもの雑誌『とうよこ沿線』の度重なるご無理なお願いにも厭わずご協力くださる先生は、人の痛さを察知する天才″。



新刊が出るたびご自宅にお届けしていたのに、本号に限ってご本人にお渡しできず、う〜む残念!

 青山先生、遅ればせながら「文化勲章、心からおめでとうございます」。今後はくれぐれもお身体ご自愛を!                   (岩田忠利)



                      井田病院の裏山、井田山に墓地とマンション建設計画
 元住吉    住民は猛反対、市へ対案



市立井田病院の裏、自然の生態系が残る井田山


 「自然林で覆われた井田山、これが不動産業者の手で墓地とマンションの建設計画……」。
  いま、中原区井田地区ではこの計画に反対する住民運動と川崎市長へ住民からの新しい提案がなされている。

 この井田山の下に住む主婦・紀本静江さんはこんな意見を。
 「最近の井田は田んぼや畑だった場所が駐車場やアパートに変わり、自然が急激に減ってきています。なのに、うわさで井田山がなくなるという話を聞きました。もしこれが、本当に実行されるなら子供の遊び場は永遠に消えてしまい、大変なこと! 私たちは昔からある井田山を今後もずっと残しておきたいのです。この自然は私たちにとってなくてはならないものなのですから」

 こうした反対意見をもとに「井田山の自然を守る会」会長の本田文彦さんにその実情をうかがってみた。
 「井田病院に隣接した裏山は幅100m、長さ200mほどの丘陵地で、中原区に残された最後の自然林です。ここだけは今でも自然の生態系が残り、野鳥の憩いの場所であり、クワガタ虫などのいる子供たちの夢の場所。そのため、小学校や幼稚園の格好のレクレーションの場として利用されているだけでなく、井田病院のリハビリ・医療センター・長寿荘などにも快適な環境となっています」。
 


 「ところが最近、この山を削り取って『東側をマンションに、西側をコンクリートの墓地に』という建設計画が2社の不動産業者から川崎市へ申請されています。
 病院のすぐ隣に墓地なんて非常識! また、すぐ近くの由緒あるお寺、善教寺の存在も全く無視しているのです」

 掛け替えのない井田山の自然は市指定の風致地区です。これがいかに民有地といえども、私企業の利潤追求のために墓地やマンションに変貌してしまうのは、筆者としても反対である。

 本田さんらは昨年10月2日、その善後策として「川崎市がこの斜面緑地を買上げ、自然公園として残してもらいたい」
 と自然の保全を川崎市議会に請願した。さらに昨年12月初旬には、高橋清川崎市長へ陳情書と野村敏行市議会議長への審議促進要請の署名3万余の運動を終えた。

 この結末は、どうなるものやら? いま井田地区住民は市議会の審議結果をかたずを飲んで見守っている。
             (文:石野英夫)

連絡先‥ 「井田山の自然を守る会事務局」阿久沢
            044-1766−4644



   
  新横浜〜あざみ野  横浜市高速鉄道3号線ブルーライン 念願の3月開通!

 今年3月には、いよいよ横浜市営地下鉄が新横浜駅から延伸、一部東横沿線地域を通過して田園都市線あざみ野駅まで乗り入れることとなった。延伸部分は新駅として「新横浜北」、「新羽」、「仲町台」、「センター南」、「センター北、「中川」、「あざみ野」の7駅、その距離は109キロ。

 この新線の特長は3点ーー。
 まず「地下鉄」といえども「高架」を走る区間が殆どであること。全線7駅のうち、地下鉄部分は新横浜駅を出てすぐの鳥山川までで、ほかはすべて地上または高架を走る。「高架は地下工事よりも工費が低く、工期が短く速いことが一つの理由」と横浜市交通局高速鉄道建設部計画課の日下部係長はおっしゃる。つぎに、全線にわたり体のご不自由な方々が積極的に外出して社会参加ができるように車椅子のまま利用できるエスカレーター・工レベーター・警戒誘導ブロック・専用トイレなどを設置してある。


 最後に、新横浜周辺の横浜副都心の発展を促進するため、新横浜の隣町である新羽町内には短距離で「新横浜北」、「新羽」と2駅も誕生した。

 ついに横浜市営地下鉄は、これで市の西端の戸塚駅から市街中心地や港北区を通過し最北端のあざみ野駅まで市内を貫通し全線開通した。現在l日の乗降客26万人が32万人に増えるという。

 東横沿線から最も近い駅の新羽駅は大倉山駅から歩いて15分。新線には名所の港北ニュータウンや東京横浜ドイツ学園また国の重要文化財などの旧跡も多い。
 あなたも、ぜひ試乗してみて!
             (文:山室まさ)







 妙蓮寺   フルマラソン出場70回の“鉄人”  全盲の上杉 惇さん

世界初の「第1回世界盲人マラソン大会」は昨年12月6日、23力国300人以上の盲人選手が参加し宮崎市で開かれた。 この模様はTBSテレビでご覧になった方もあるだろう。

 この大会のシニアの部(50歳以上)の優勝者がなんと3時間1510秒の好タイム。しかも横浜市磯子区に住む上杉 惇さん(56)だった。全盲でありながら、妙蓮寺駅から徒歩10分ほどにある横浜市立盲学校の英語教諭である。

 約束の時間に学校を訪ねると、上杉先生が玄関で出迎え、校内を杖もつかずに廊下も階段もスイスイ歩き、こちらが後をついて行くのが精いっぱいの感じだ。上杉さんは市立中学校教員の42歳のとき、網膜剥離(もうまくはくり)で失明、市立盲学校に転勤した。



平成2年6月の第7回西湖・青木ヶ原樹海さわやかレースで。
左端の選手が上杉さん、右が伴走者の安藤祐二郎さん


 マラソンは体力づくりが自的で始めてすでに14年。健常者でさえ困難なフルマラソン、42195キロの大会へ出場すること、じつに70回! それが北海道から九州までの一般の大会で伴走者と一緒に走るのだから、まさに超人的。

 今までのベストタイムは、ソウルのパラリンピックに日本代表で出場したときの3時間2分14秒(第4位)。素晴らしい記録だ。

 練習は週1回。東横線の始発電車を妙蓮寺駅で降り、ここで港北区篠原町に住む伴走者の安藤祐二郎さん(写集中央の伴走者)と待ち合わせ、1時間の練習後、そのまま出勤する。やはり週1回のJR大口駅での待ち合わせのときは高橋さんという伴走者となど、いろいろ工夫しながら練習しているようだ。
 中でも最も苦労するのは、ボランティアの伴走者を探して友好的な関係を保つこと。なにしろ練習も大会も、50センチのロープを介して運命を共にする伴走者なのだから。

 毎日体調を整えるため就寝は夜9時、起床は朝4時の生活。将来は「もともと健康のために始めたこと。記録は落ちても走れるだけ走ります」と努力と忍耐の人、上杉さんはキッパリ。             (文:本田芳治)









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