編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 
NO.859 2016.01.20  掲載


 この道一筋  沿線の生業-5

  菊名の旧綱島街道沿いの職人たち


多摩川を渡って新丸子から日吉・綱島を経て菊名へ続く綱島街道。旧綱島街道は港北区役所の手前、師岡町で左に曲がり、綱島街道と並行し菊名駅に向かう。駅前手前で新綱島街道と旧綱島街道とが交差し菊名駅前を通って妙蓮寺に延びるが、この旧綱島街道沿いには昔ながらの店が残っている。そしてそこの職人たちが多く住んでいる。

旧街道のずっと手前に小泉糀屋、新道との交差点手前に宮田桶屋、交差点右に鈴木鍛冶屋(かじや)、交差点はす向かいに斉藤経師屋、菊名駅手前に河田箪笥(タンス)店、駅前の先右側に紳士服仕立の小原紳士洋服店漆原大工、横浜線のガードをくぐって大藪石材店、3代続く待田瓦店柳田竹材店などが続く。
 今なおこれだけ多くの職人たちが集中している街は、東横沿線で菊名だけであろう。
            (文:岩田忠利)



 河田箪笥店は祖父の代から菊名で桐箪笥作りを営み、一棹(さお)一棹の箪笥に丹精込めて仕上げる桐タンス職人がいる店だ。

“手先の魔術師” と言われる竹細工の名人、柳田鶴松さんは柳田竹材店・店主。
  雑談しながらも手は休まず竹を編んでいく。見る間に花カゴが出来上がる――。73歳の鶴松さんは背筋もシャンとして若々しい。実家が世田谷・深沢の代々竹細工職人。22歳で独立して東横線開通直後、菊名に移り住み、竹細工ひと筋。その当時、菊名周辺の家数は60戸、そのうち30戸が農家。その農家の注文で野菜カゴなどを作ってきたそうだ。時代は変わり、野菜カゴから始まった鶴松さんの仕事も多種多様だ。カゴにスダレにイス、そして工芸品まで……噂を伝え聞いてオーストラリアやアメリカの外国人が技術を教わりに来たりもする。「日本に竹がある限り、私の仕事の竹細工は無くならないでしょう」と。鶴松さんの声には静かな確信が感じられた。
       (上記2人の紹介文:板山美枝子)

 菊名の糀屋、15年ぶりに再開

 菊名の小泉椛屋が昨年秋(平成10)再開しました。明治時代から4代続く老舗「小泉椛屋」です。

 4代目当主として、味噌蔵を再開した小泉聡さん(30)は昭和58年、先代から受け継いで3代目を守っていた父親を突然亡くし、当時高校1年生の聡さんは家業を続けることは出来ませんでした。

 昨年秋、勤務していたIT企業を退社、子供の頃からなじんでいる味噌づくりを決意し、椛を作る室を直し、若い頃父親と仕事をしていた叔父さん(小泉正さん)にカンどころ″を教わりながら、昔ながらの製法で椛、味噌を始めました。
  最初につくった味噌は昔からのお客さんが待ち構えていて、すぐ売り切れになってしまったほどの人気。

 この冬に仕込んだ味噌は秋まで待たないと買えませんが、椛を使ってつくる甘酒のレシピが店に置いてあり、おいしい甘酒が簡単に手作りできます。





 添加物のない天然素材にこだわり、じっくり時間をかけて納得のいくものを造る、そしてお客さん一人ひとりの声を大切にして、小売りをメインに、できるかぎり安い価格で売りたいと、小泉さんは力強く話してくれました。   文:山路郁子(菊名)



再開した糀屋4代目の小泉聡さん。向かって左が麦麹、右は白い米糀

 所/港北区菊名5-24-25 ※夏場は休み 
         O454010436


     なんと創業220年の老舗があった!
      
  兵庫屋履物店


高架は高速道路、平地が第一京浜国道沿いの神奈川区神奈川2丁目。神奈川警察署のはす向かいに金看板で「兵庫屋履物店」。いかにも暖簾がものいいそうな老舗が目に入った。なかに入ると、下駄や草履を中心にサンダルなども並んでいる。



第一京浜国道沿いの兵庫屋履物店

 現れた、かっぷくのいい奥様、森千代子さん(76)と雑談するうちに、この店がとてつもない老舗であることが分かった。




 

 千代子さんは初代から数えて第11代目。初代は江戸時代の宝暦5年(1755年)、今から220年前。
 当時この辺りは神奈川町の仲之町、遊廓として賑わっていたが、その遊廓は明治期から反町に移っていった。兵庫屋は代々荒物屋であったが、下駄屋に商売替えしたのは祖父の代の明治5年から。

父・新三郎さんも神奈川小学校で教鞭を執るかたわら下駄屋を手伝っていたそうだ。明治5年といえば、♪汽笛いっせい新橋を……の横浜〜新橋間に日本初の鉄道が開通した年、すでに103年になる。

 東海道の神奈川宿で栄えたこの地域は大火、震災、戦災と3度も壊滅した。そんな中、戦後いち早くバラック建ての店を開いてお客さんに履物を提供したのは兵庫屋だった。今でも店内の「《標準品上場》神奈川縣選定第6号」という県認定の掲示板がそれを物語っている。
 今は下駄や草履を履く人も少なくなったが、欠かせない人たちもいる。その人たちのため、ご主人と千代子さんは朝6時から店を開けている。
 「すぐ近くに横浜中央市場があって朝が早い。その仕入の帰りに板前さんらが寄ってくださるんですよ」と千代子さん。
 ここに、老舗を守る心意気を垣間見たようだ。
            文:岩田忠利

店‥神奈川区神奈川21010 
    兵庫屋履物店 4414372


                         ★平成7年102月発行『とうよこ沿線』第64号から

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