4年前、専業主婦から転身、事務長に
宮尾病院の院長夫人でもいらっしゃる世津子さんは、4年ほど前から事務長の肩書きがついた。結婚した時「君は働かなくていいよ」とおっしゃるご主人の言葉のままに専業主婦を続け二十数年。
しかし、目まぐるしく移り変わる医療事情の中で、ちょっとずつ「宮尾病院」が違う方向に行き始めているのを感じていた。このままじゃダメになる、という強い危機感もつのる。そしてついに自分が「やるっきゃない」という決断を下し、長い専業主婦歴にピリオドを打ったのだ。
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職員大半が退職、ゼロからの出発
とにかく生まれて初めての仕事。しかも病院の事務長という大役である。医療事務だけでなく労務関係、役所に提出する書類……。仕事は煩雑を極めている。 始めの1年半はそれは、それは大変だった。そして職員の大半が退職する、という一大ハプニング。
途方にくれるが、前に進むしか道はない。ゼロからの出発となった。看護師さん、職員を一人一人面接し、ご自分の目で選ばれた方だけを採用していった。自分たちの代で作り上げてきた病院、という気安さもあり思い切った改革ができた、と当時を回顧なさる。
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役立ったPTA活動
失礼ながら専業主婦歴20年にして、よくぞここまで…。実は世津子さんには、人のとりまとめに関して、長いキャリアがあつた。2人の息子さんのPTA活動だ。幼稚園から高校にいたるまで十数年、人の敬遠する役員を進んで引き受け、積極的に活動した経験があった。人生に無駄なことは何一つないのかもしれない。そこで学んだ事が大いに役立った。 引っ込み思案の人を引っぱり上げたり、その人の得意な分野で活躍してもらったり、と。みんなの輪のとりまとめ、という意味ではPTA活動と事務長の仕事の共通点は多かったのだ。
苦労のかいがあり、今ようやくいい輪が生まれつつある。やっと、「ああ、自分の病院だ」と実感できるようになった。医師も掃除の人も病院を支えてくれるという意味では一人一人「みな同じラインでしょ」。だから患者さんからの頂き物なども、職員全員で平等に仲良く分ける。世津子さんの思い描く理想の宮尾病院になりつつあるのだ。
「北杜夫は僕の叔父だよ」「ウソー!」
ご主人の直彦さんとは都立高校の同級生。しかし明治の歌人、斎藤茂吉の孫だと知ったのは、ひょんなことからだった。大学時代、遠藤周作が主宰する劇団「樹座」に所属していた世津子さん。
そこで出会った北杜夫の話を直彦さんにしたところ「北杜夫は僕の叔父だよ」と言われ驚いた。「え〜! ウソー!」。
院長先生の謙遜な人柄がしのばれるエピソードである。
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今の目標はフラメンコ初舞台
いくら遅くなっても夕食は、必ず家族4人そろって囲む。お子さんが小さい時から続く習慣だ。2人の息子さんは、ただ今医学部をめざし勉強中。現在の目標は息子さんの医学部合格か、と思いきや、「わたくし的には、フラメンコの初舞台かしら」。3歳からバレエで鍛えたしなやかな身体と舞台度胸。大学時代は演劇やダンスで舞台に立つことが多かった。
舞台で浴びる照明はなんともいえない快感である、と。だからフラメンコ。
「あと10年は続けたいわね。60歳のフラメンコもいいじゃない」。ポジティブな生き方の原点は舞台だったのかもしれない。舞台でもお仕事でもよく映える女性なのだ。
(文:品田みほ)
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