昔の市電「六角橋停留所」前。
その電車のごとく…
白楽駅を出て左折、下り坂の商店街を抜けると上麻生通りの六角橋交差点。そこは昭和3年から43年まで横浜市電の終点「六角橋停留所」があった場所で有名だ。
日本料理店「末廣園」はその真ん前。そこにはたくさんのお客さんを乗せてひたすら走る電車のような、元気印の女主人・鈴木ふみ江さんがいる。どのお客様にも明るい笑顔で接し、こまめに動く。
とにかく働くことが大好きで、じっとしていられない性(さが)。お店と家庭とを切り回し、従業員の食事まで作ってしまうタフな女性。日頃のモットーは、お客様になったつもりでお客様に尽くすこと。「皆さんが楽しんでいるのを見ることが何より好きなんです」。
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一見のお客様が満足そうにして帰る姿を見ると、「ああ、よかった!」と心の底から喜びが湧いてくるのだという。こうした温かく、きめこまやかな心遣いをするふみ江さんに、熱烈なファンが多いのもうなずける。
家と店が丸焼けになった時は…
20年ほど前、火事を出して、住居と店舗のほとんどを焼いてしまうという苦い出来事も遭遇した。
しかし根っからおおらかで楽天的な彼女は、クヨクヨすることなく、ご主人の鈴木喜也さんと二人三脚でこの難局を乗り切った。約1か月後、焼け残った柱を補強して店舗を作り、営業を再開。このときは、大勢のお客様が駆けつけ、ご夫妻を盛立て、励ましてくださった。
「主人がいてくれるから、やってこられました。主人の夢のお手伝いが私の生き甲斐なんです」と謙虚に語る彼女。2男1女に恵まれ、家族の結束は固い。
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現在、長男の喜宗さん(25)は鶴巻温泉の有名割烹で修業中。2年前の店舗改築時に地下に造ったパブ「房陽舎」を取り仕切るのは、長女の淳子さん(23〕と次男の喜雅さん(21)。母上のふみ江さんも「末廣園」閉店後には時々顔を出し、お客様の、勧めでカラオケのマイクを握ることも。
週に1度のお休みは馴染のお客様たちとボウリングをしたり箱根へ出かけたり。閉店後に時間があるときは、近くのボウリング場へ飛んで行き、1時間ほど汗を流して腕を磨いているらしい。彼女の辞書に「疲れる」という言葉はどこにも見当たらない。
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今の夢は…
当面の夢は、修業を終えたご長男を迎え、みんな揃って働く新末廣園″をつくること。
「それから、もしできれば、写真の勉強がしたいですね」と目を輝かせる。「当店で結納なさるお客様の写真を撮って差し上げたいんです」。
新しいことへの思いと行動が彼女をいつまでも強く、優しく、美しくさせている。
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六角橋交差点近くの「末廣園」正面 |
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(文:西尾真理子 写真:本田芳治)
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