「理事長はただ今診察中でございます」 取材申し込みの電話を入れると、そんな答えが返ってきた。ベッド数136、職員130名という病院のトップである理事長自ら診察なさっているとは……。スポーツでいえばプレーイングマネジャー、さぞかしがっちりと逞しい人なんだろうなあ、と勝手にイメージをふくらませていた。
ところが…。ひらりと白衣で現れた百合子さんは、「理事長」という、いかつい肩書がおよそお似合いにならない女性だった。
華奢で楚々となさっていて、聡明さの中にもどこか少女の面影を残されて。
ご両親とも医師、お祖父もお医者さま。少女時代を当時父上の経営する精神病院を見ながら過ごされた。
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初の挫折を乗り越えて…
ちょうど北杜夫の「楡家の人々」の世界である。場所も田園調布とくれば、まさに絵に描いたような恵まれた環境だ。ところがそんな百合子さんに生まれて初めての挫折が訪れる。
医学部失敗! 多感な思春期に哲学にのめり込み、進路選択の迷いもあってか医学部は不合格。やむなく入った薬学部でふつふつと沸き上がってくる思いがあった。「やっぱり私は人間が好き!」。人間を自然科学的に勉強してみたい。そして再挑戦、見事難関を突破されたのだ。
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患者さんといる時が何より楽しいんです
山本記念病院は日吉駅からバスで20分ほど、港北ニュータウンが一望という絶景の丘の上に昭和59年に建てられた。まわりはナシ園や養鶏場と実にのどかな田園風景が広がっている。創立者のお父さまが探しに探して最後にやっと辿り着いた土地である。父上にとって自分が入りたい病院を建てるのが夢だったという。 病院名の中にある「記念」は、決してメモリアルの意ではない。やさしい看護師がいて、やさしいドクターがいて、患者さんが気持ち良く治療を受けられる病院にしたい…その思いを“念じて記す”という意味なのだ。
その父が平成3年に急逝。「夢の病院」の夢を百合子さんが引き継ぐことになった。1年前に大規模なソーラーシステムを取り入れた。全国でも珍しく、通産省のモデル的存在だという。患者さんにはもちろん、環境にもやさしくを実践なさっているのだ。
その、はかなげな外見からはとても想像できないが、医学生の頃は解剖がお得意だったとか。そんなりりしさの半面、あふれる程のヒューマニティーが流れている。「人が好き」という強い気持ちには、しばし圧倒されるほどだ。
皮膚科を選ばれたのも、あまり人が亡くならない科だから。皮膚はその人のすべてを表しているともおっしゃる。週2日の外来が今一番楽しく充実する時間。子供も大好き。先生を慕って遊びに来る子も少なくないそうだ。
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「年老いても咲きたての薔薇」
春には桜、夏にはヒマワリ、と病院の敷地内で花たちが季節を感じさせてくれる。職員の疲れが癒されればとミニハーブ園も造った。女性ならではのこまやかな心遣いである。職員にも患者さんにもお見舞いの方にも、みんなに温かい……そんな病院にするのが何よりの夢。地域の方たちにも愛され、気軽に利用できる空間であってほしい。
受付にはアロマランプがほのかに匂い、病棟ではレモンエキスのリボンがさわやかに香っている。
「年老いても咲きたての薔薇」(茨木のりこ作)
お好きな詩のフレーズ。そしてお名前も百合子さん。お人柄、センスの良さが病院の至る所でうかがえるようだ。
趣味の日本画の腕前もプロ並み。作品の一つが待合室に飾られている。柔らかい色合いの、シクラメンだった。一瞬、絵から香りがふんわりと抜け出てきたような錯覚にとらわれた。
(文:品田みほ)
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