編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.843 2016.01.12 掲載 

   WOMAN  PROFILE―――― はつらつ女性



 昭和2610月港北区大曽根台生まれ、室町時代から続く名家の長女。捜真女学校卒業後、動物好きだったことから麻布大学獣医学部で学び、獣医師となる。同50年、大倉山動物病院開院。公務員で食肉検査員のご主人と結婚、大学生と中学生の2人の子息。余暇は手芸と英会話



  横浜市港北区大曽根台在住
  大倉山動物病院院長・
   獣医師
 茂木知子さん













 大倉山公園の梅林の北山から鶴見川を前景に綱島・日吉方面が一望の大曽根台。緑濃いその山裾に「殿谷(とのやと)」と呼ぶ広いお屋敷の富川登さんの家がある。

 室町時代の明応9年(1500)、小机城主の笠原能登守源義俊の弟、平六義為がここに籠居。その孫の廣信は小机城が落城したため姓を「富川」、名を与右衛門と称して身を隠したと、『新編武蔵風土記稿』に富川家について記されている。
 その敷地内には富川家第19代当主の長女、茂木知子さんが院長の大倉山動物病院がある。

診察室では白衣を着た女性が大きな紀州犬(写真。名は「竜王」、飼い主は近所の磯川瑠美子さん)を診ていた。彼女は港北区内ではただ一人の女性獣医師、ペットの飼い主には「動物に優しい知子先生」で親しまれている人だ。



 診察が終わると「写真を撮るなら、ちょっと待ってくださいね」と言って、口紅をつけて帰ってきた。普段、あまり飾り気のない人のようだ。

 捜真女学校でも唯一の獣医師

 名家のお嬢さんと獣医師との関わり、そのいきさつを母上の富川百合子さんに尋ねた。
 「あの子は小さい頃、子供好きだったから幼稚園の園長でもやらせたかったのよ。それが捜真女学校の最終学年のとき、学校から呼び出しがあったんです。先生が私に『お母さん、ご存じですかぁ、知子さんが獣医さんになるってことを? この学校では獣医志望は初めてなんですから……』と驚いた様子でおっしゃるんです」

 お元気でまさにはつらつ女性″の母上は、知子さんがミッションスクールの同校で第1号の獣医さんになられる以前の話をされた。


   港北区内唯一女性獣医師。眼世界


 傷ついた野生の動物たち

「私の所に来る動物は多い順で言えば、猫、犬、ウサギ、ハムスター、フェレット(いたち科)ですね。 他に傷ついた野生の動物のハクビシン(ねこ科)・ツバメ・メジロ・ムクドリ・キジバト・ヒヨドリなども診ます。この辺には野生のタヌキが棲んでいてよく交通事故に遭いますから、保健所の方が悲惨なタヌキを持ち込みますよ」

 大曽根地区は自然が残る丘陵地と鶴見川に囲まれた地、知子先生のもとにはいろんな動物が助けを求めてやってくる。往診もある。(★知子先生が面倒みている野生の動物たちは『とうよこ沿線』の「ペットくん登場」をご覧ください)。

「車のない家庭やお年寄り夫婦、共働きで帰宅が遅いご家庭もありますし、口がきけない動物ですから手遅れで重体の場合も……」









外国の女性獣医の姿を見たい!

 忙しい合間に週2回、ご近所のアメリカ人主宰の英会話教室にも通う。それは彼女の夢を満たす手段のようだ。「将来、外国の獣医大学の現状や女性獣医さんの働く姿を自分の目で見たいのです」。この話になると、一段と彼女の目が輝いて見えた。

 昨年、横浜で天皇陛下ご臨席のもとに世界獣医師大会が開かれた。このとき彼女はロシア人の身元引受人になったり、世界中の獣医さんの前で「鑑賞魚の]線診断の可能性について」という論文を発表したりで、人気者となった。その感想は、
 「日本では考えられない学問があって面白いですね。日本人はものおじしますけど、私は絶対ものおじしないようにしているんですよ。そして、日本人は他人をケナすけど、外国人はケナさず、逆にホメますね」

 彼女は地域の女性たちと一緒に、人形作りを通して国際親善に一役買う文化活動も行っている。会の名は「さくらの会」。自宅を開放して在留外国人を交え、人形を作りながら風俗習慣や悩みなどを語り合うものだ。
 女性獣医師、知子先生の視線はいま、世界へ熱く向けられている。   (文:岩田忠利)


★平成8年9月20日発行『とうよこ沿線』第66号から転載
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