編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.836 2016.01.10 掲載 
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連載「思いつくまま」
                          
★昭和57年10月1日発行『とうよこ沿線』第13号から転載


  昭和初期の都立大学駅付近

        会社役員 前田武夫(目黒区平町)

  



      昭和2年9月、東横線開通直後の都立大学駅南口付近

筆者が目黒区平町に移り住む5年前の情景。八雲の氷川神社祭礼神輿の行列が波打つ稲穂の中を駅前に向かう。左手の森は平町の桜森稲荷    提供:新倉 達さん(八雲堂書店)


 私の家が東京都心から平町に引っ越したのは、昭和7年のことである。当時、大岡山駅からわが家まで人家が続いていたが、わが家から東西から北方は武蔵野の面影そのままの田園風景であった

 今の都立大学駅は、当時は呑川の清流のほとりの小駅で、どちらを見ても田畑が続き、杉林や森が望まれたものである。わが家からの道は農道で、雨が降るとぬかるため、長靴を必要とした。また、夜は途中墓場の所に一つだけ外灯があるほか、数軒の農家の窓の灯が遠近にちらつくのみでこわかった。で、もっぱら大岡山駅から通学していた。

 付近には樹木が多く、中でも現在の中根公園辺り、都立大学駅東側、碑文谷の八幡さま辺りに大きな森があった。特に八幡さまの裏から続く森は広く深く、周囲を竹林と灌木の群落で包まれた典型的な天然林で、中はうす暗く、いつも湿り気と匂いが感じられた。




 

しかし、とりとめもないことを考えながら、この森の中の細い道を逍遥した思い出は、貧しくとも夢の豊かな若かりし日々を懐かしむ、よすがの一つである。今その名残は、「すずめのお宿」公園と、中根公園にとどめているが、風通しが良くなって、昔の風情を失ってしまった。

 目黒の名物として「さんま」が良く知られているが、「竹の子」こそ、真の名産であった。当時、竹の子は貰うものと決まっていた。その掘りたての味は、早朝、呼び売りが担いできた大森海岸の取りたてのイワシの塩焼きの昧と共に、忘れ難い。



絵:吉松克己(綱島)
 「よき昔を語るのは歳を取ったあかし」と言われはしまいかと気にしながら、思い出すままに。



  50年前の僕の町、玉川奥沢町

      奥沢中1年 数野慶久(世田谷区東玉川)


 「次は、オクサアー。オクサアです」とスピーカーから車掌の声が流れる。この駅には、東急線の総合指令所があります。
  この装置は、各電車の位置がわかり各電車と連絡ができるそうです。東急線の心臓部ともいえるでしょう。

 この町は、地形が東から西に上がっていてその真ん中に東横線、東から南へ直角に目蒲線、九品仏川に沿って大井町線、ちょっと歩けば池上線も走っています。町の東の方に流れている呑川は、昔、雨が降るとすぐ水があふれてしまったのでこの辺は「石川たんぼ」と言われていたそうです。

 50年前の玉川奥沢町は、数えるほどの家しかなく全くの田舎だったそうです。ようやく目蒲電鉄が目黒から田園調布まで開通してまもない頃、僕の家は建ちました。僕の家からは、座っていても目蒲線や東横線や大井町線や池上線や富士山までも見えたそうです。お父さんがおじいさんから聞いたこの話を聞くと僕が50年前に生まれていたらと残念でなりません。


 それに大踏切(今の環状8号線と目蒲線、東横線の交差する所)から雪谷まで池上電鉄の支線は1両のオモチャのような電車でガタコト走っていたそうです。

僕が住んでいるこの町の中を走るこの電車に乗ってみたかったなあと思うときがあります。



絵:笠井希代子(綱島

 今、奥沢駅前には、広場ができています。ここは、ふん水があふれていて緑の木々が茂り奥沢をおとずれる人のいこいの場所となっていますが、近ごろ自転車が置かれていてその風情を害しています。
 このすばらしい風景や歴史がある「奥沢」に一度来てみてください、みなさん。一緒に奥沢めぐりをしていろいろな所を見ていきましょう。



   上記数野くんが言う“一両の電車”とは、写真の新奥沢線のこと

 写真中央が調布学園。その裏に「諏訪分駅」、その先が「新奥沢駅」、雪谷大塚駅から発車した電車の軌道距離はわずか1.6キロ、2駅だけ。昭和3年10月から10年10月までの7年間運行していました。
  写真提供:調布学園


      山下公園の花火大会

    高校生 一色隆徳(目黒区中町)


 多摩川園駅から多摩川台公園、河川敷を散歩した。夕方になり、多少歩き疲れて入った駅前の喫茶店――連れと話しながら何げなく見たテレビの中では「横浜・山下公園の花火大会」のニュース。そうだった、横浜の花火は今夜だったのだ。一度は見たいと思っていたし、連れもまた乗り気な様子なので、急遽出かけることとなった。

 東横線を桜木町で降りて、ひさびさに横浜を歩いた。空も暗くなった頃、早くも盛大な音。始まったな、と二人して心踊らせ、少しだけ歩調が速くなった。当然のことながら山下公園では大混雑が予想されるので、新港方向へ向かった。

 港越しに見る花火は圧巻。赤、紫、青、黄、緑等――大小様々の花輪が夜空に散った。
連れはこれを「一瞬の美学」と評したが、本当にそのとおりだ。素晴らしいものだと思った。腹の底まで響いてくるような轟音。あいにくの曇天を吹き飛ばしてくれるようだ。見物人の歓声と拍手。


ここはアナ場的な場所で、見物人も地元の人が多いようだ。皆それぞれ自分の表現で花火の美しさをたたえている。さすがにハマッ子といったところだろうか。子供たちは小舟に降りて、見物しながらはしゃいでいる。ふと辺りの人々の顔を見回してみた。どれも純粋な笑顔、幸せそうであった。そう思うと、なぜだか自分も嬉しくなってきた。我ながら単純なものだと思い、連れの顔をみて思わず苦笑した。

 花火も終って、帰路につく人の流れに逆って大桟橋から山下公園へ……山下公園は花火の余韻を楽しむ人々であふれていた。芝生に座って海を眺めていると、連れは対岸の灯を見ながら「人の心って波みたいだネ」とつぶやいた。いつも揺れ動いているからだと言う。人は夜になると素直になれるそうだ。時間を忘れて大いに語りあった。

 横浜は素敵な街だと思った。そして、遠からずまた訪れたいものだと思った。



  2007年(平成19年)6月2日、横浜開港祭花火大会
 山下公園で  撮影:配野美矢子(日吉)
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