あわただしい、夕暮れの菊名駅。ホームのベンチで桜木町行の電車を待つ一人のおばあちゃんがいた。運悪くラッシュアワーにぶつかったらしい。
「今が一番混雑する時間、も少し待ってから乗るわ」
私もおばあちゃんの横に腰をかけ、しばらくお付き合いすることにした。
小柄な彼女は菊名に住んで40年、この東横沿線が大好きとのこと。白い手編みのお帽子はかわいい小花のアクセントが印象的。絶えずニコニコ、幸福そう。ちょっとお耳が遠いかな? 聞けば、胸に吊した赤い小さなマスコットは補聴器で彼女の大切なコンピューター、えー。柄の長い傘は大切なガイド。いつも茶色の大きなバックを肩からかけている。なかなかどうしてナウいおばあちやんだこと!
“独身女性”のスケジュール
「いろいろやることがいっぱいあって、とても楽しいの。夜はいつも本を読んだり、文章を書いたり、編物したり、外出したり……」
毎日のスケジュールは、ビッシリ。なかでも日記と家計簿は、何十年と欠かさない。最近、これにラジオの英語講座早朝6時20分から7時20分までのお勉強が加わったからお忙しい。
編物に励むときでさえ、人生はバラ色のように≠ニカラフルな毛糸を選ぶおばあちゃん、この人の名は<尾崎とし>さん。お歳は明治26年生まれの89歳。ご主人は産婦人科医だったが、63年前、他界。ご長男は48歳で病死、ご長女は川崎市中原区の歯医者さんに嫁いでいらっしゃる。
こんな身の上話をホームのベンチで話すおばあちゃんは、ただいま、沿線一人暮らしの独身女性=B
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食堂通いも日課のひとつ
だれよりも健康で人生経験豊かな彼女に触れると、わが身の将来がふと不安になって、
「おばあちゃん、脳軟化症防止法は?」
「あまり細かいことに気を使わないことネ。寝たい時に寝て、起きたい時に起きるのネ。人生は、マイペースで生きることですよ」
それにしてもご高齢の身、身の回りのことやら食事のことやら、つい、気になって伺うと、
「身の回りのことは全部一人でやってるの。食事は毎日、一日に1回は横浜の高島屋の食堂に食べに行ってるの」
なーんという優雅な生活でしょう。89歳にしてだれの手もわずらわせず、自分の生活を自分でデザイン、それを実行する。すばらしいことです。
翔んでる女性=A自立した女性″は現代女性だけではない、と彼女の存在を羨望の眼で見るようになってしまった私です。
それから数日後、私は横浜高島屋のエレベーターの中に。8階大食堂に毎日午前11時30分、あのおばあちゃんが現れる定刻≠セからです。
2列縦隊で並ぶ食券売場。学校の講堂のような広い食堂、そこには昼食中の主婦、家族連れ、OL、ご老人たち……2、3百人の話し声と食器の音、人の動きでごった返している。
「あのー、菊名から毎日食事に来るおばあちゃんは……」
これだけの人混みの中、まさかウエイトレスさんが知っていようとは……?!
「ハイ、さっきお見えになりましたよ。あちらの席です、どうぞ」
入口から左手の2、3番目のテーブルに、″菊名のおばあちゃん≠ェちょこんと座っているではありませんか。
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敵機が見失うほど小さな駅舎
青木橋の辺りは入り海に近くボンボン蒸気船の終着でもありました。私が神奈川に住むようになってから後、東横線は出来ました。それは、田んぼ道に線路をのせてつくったようなものでした。雨が少し降ると水びたしになり、折り返し運転という淋しい単線の東横線でした。
各駅舎とも、日本造りのお百姓さんの家に改札口を付けたような建物、戦時中は敵機が狙いたくても見失ってしまい、枕木が少し燃えた程度で難をまぬがれました。
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戦時中の菊名駅
絵:吉松克己(綱島)
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まるで縦穴住居生活
戦争当時の私達の模様を語ってみましょう。
当時松の生えた山だった六反歩余の山林を買って持っていました。上の方の地下に陸軍の高射砲6基が据えられていて、敵機が空中に見えるたびに地響きをたてて発射する。すると、敵機は低空飛行で焼夷弾をばらまく。この辺はちょうど敵機が東京へ向かう空路だったらしく、敵機が現れるとまったく生きた心地がしません。私は幼い子供を抱いてその恐ろしさに、ただ震えるばかりでした。
私の家は、山の松の陰に一丈くらいの穴を掘り、永久の防空壕をつくりました。その中には押入れからカマドまで造った。そして流しには水道とて無く、地所内の下の方に井戸を堀って水をバケツで毎日運んだものでした。まるで縦穴住居生活……。今の人には想像もつかない生活を続けたものです。
終戦直後、物は配給で品不足がち。青年達はお腹が空くとみえて、食料泥棒≠ェ絶えなかった。これにはほとほと困りましたが、時節柄やむを得ないとそのままにしていました。
綱島には桃園があったが、桃の花見どころの余裕もない。鶴見川は雨のたびに氾濫し、一週間くらい舟で物資を運んでいるのをよく見ました。
菊名駅前の山の上、その寓居から見た景観があの頃の同じ場所かと見違うほどの今昔であります。
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