編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.833 2016.01.08 掲載 
★画像はクリックし拡大してご覧ください。

    
本誌「思いつくまま」
                          
★昭和57年3月1日発行『とうよこ沿線』第109号から転載

   我がふる里、荏田に残る地名

        飯田緑村(目黒区祐天寺1丁目)
       



平成14年の国道246号(手前の広い道路)と右正面に見える大山街道
                       
                         撮影:岩田忠利



現在の246号線は、もと大山街道といい、目黒区大橋の氷川神社石段左手に、起点の石碑がホコリに紛れてうずもれている。この起点から三軒茶屋、瀬田、玉川の渡し場、片町、馬絹、有馬、江田を経て大山に連なった街道と古老から伝えられた。現在246号線開通で旧大山街道は殆ど姿を留めない。

宿場に由来する地名と屋号

 荏田(江田)は、鎌倉時代小田原城の出先機関として江田城があり、城主を江田源蔵といい、当時江戸よりの旅人の宿場として栄えた。字(あざ)に「宿」と言う地名もあり、城下町として繁栄したと伝えられている。宿場を忍ぶ名残として柏屋、藤屋、泉屋、小松屋、現金屋、問屋、餅屋、湯屋、油屋、丁字屋、草屋、薬屋、醤油屋などが屋号として呼ばれている。

城主の弓に由来する地名

  ある日、城主が、お城から弓を満月のように引いて綱島方向に放った。矢羽が落ちた所に、今も「矢羽」の地名があり、矢の先がささった所を「矢先」といい、現在も矢先橋という橋の名として残している。


 

水争いに由来する地名

当時江田と石川(現在の地名のあざみ野・元石川・美しが丘・新石川・すすき野)は、住民感情が悪く争いが絶えなかった。

入梅期の頃と推察するが、一つのもめ事が起こり、江田の住民が早渕川を関止めて石川を水攻めにすることになった。地名に「関根」という所がある。この辺に関止めた築の土手跡がある。
 早渕川を関止めたため、石川はたちまち、湖のようになり、平坦にあった神社が山頂に移動され、以来、驚神社と名付けられた。湖となった所に「平川」という地名が残っている。さすがの強気の石川住民も、水攻めにはほどほど閉口し、船頭を出して和解を求めた。すすき野の近くに、「船頭谷(せんどうやと)」の地名があり、ここから船頭を派遣し和解したと言い伝えられている。

 今は高層ビルが建ち並び、幼い頃のふる里を文明の力により崩壊されたことに、哀愁を感じる。







 東横線思い出の名車、ぜひ保存を!

          藤田 幸一(練馬区東大泉 公務員)




東京横浜電鉄510型(現3450型)

イラスト:筆者・藤田幸一さん

 東横線は、今はステンレスの新しい電車に統−されてしまったが、かつて主役だったユニークな名車たちが、まだ目蒲、池上の各線や地方の私鉄で活躍している。

 昭和ヒトケタ生まれの3450型、そして高性能電車の先がけとなった昭和29年生まれの5000型である。3450型は総勢50両、「西の阪急、東の東横」といわれた昭和10年代の中、上流住宅地域郊外電車、東のシンボルだった。

濃緑の車体に、運転席窓上のヒサシ、ドアエンジン装備車という看板。それが2両あるいは3両連結で走っていた戦前のよき時代、東横線の思い出には欠かせない。


 

 戦後の5000型。これは、イモ虫とか青大将のニックネームにふさわしい、青くて丸い特徴のあるモノコック構造車体で、軽快に走り、戦後の一時期を代表した電車である。

 現在、東急で開設準備を進めている交通博物館に、ぜひこの名車たちをデビュー当時の姿に復元し、できれば動態で保存してほしい。これは鉄道ファンというより、沿線で育った者の願いでもある。





 医者のくり言 “良い医者”、“良い患者”

         耳鼻咽喉科医師 島田信吾(世田谷区奥沢)


 良医≠ニは、どんな医者でしょうか。良医という言葉がある以上、良い患者≠ニいう言葉があってもいいはずです。

 良い患者とは…? これらの答えは難しそうですね。
医者も患者も一人の人間です。
 では良いヒト″とはどんな人を言うのでしょうか。他人に思いやりがあって、親切、我ままでなく、明朗快活、物事に積極的……。医者も患者もー個の人間ですから、これらの条件を満足させる人が、良い医者であり良い患者になるはずです。ところが一方では、人間は本来、自分には我ままで他人にはきびしい生き物です。私とて例外ではありません。いかにその我まま≠ネ部分を我慢≠キるか、させるかがその岐路になりそうです。

 私の先輩の話で、大学病院の当直をしていたら、真夜中に「鼻がつまって寝られない」と言って患者が来て頭にきたーーということを言っていた人がいます。
 この問題も難しいことで、当直医にしてみれば救急患者だけ診れば良いと考えているでしょうし、当の本人は寝られないのは本当につらいということだったかもしれません。どちらの側にしても、どこで我慢≠するかであったのでしょう。

  私自身の経験でいえば、時間外に「明日身体検査があるので耳垢(みみあか)を取ってください」と患者さんが来た時には、かなり頭にきました。耳垢にしても、鼻閉にしても、平生から気をつけていれば時間外に来なくても良さそうなものです。ところが、私自身に腹痛が起こったとしましょう。仕事を休む程のことがないと思った時、どうしても私の仕事の時間外に医者の門を叩くことになるでしょう。

 この時問題なのは、私にとって時間外は相手の医者にとっても時間外なのです。時間外に来られた医者は、耳垢の時私が考えたことと同じことを思ったかもしれません。

 こういう時に大切なのは、お互いに相手に対する思いやりだと思います。思いやりとは、相手に自分の事情を理解してもらうことに始まると思います。つまり、時間外の耳垢にしても、あらかじめ電話等で来られなかった事情を話し、理解しておいてもらえば、それ程腹の立つことでもないのです。

 医者も人間、患者も人間、人間は感情のある動物ですから、お互いに不快感を与えないように努める時、良い医者と患者″の関係が成立すると思うのです。















        YES NO

  久木朋子(英会話講師 世田谷区上野毛 42歳)


 用事の電話のついでに「お茶入れますから、どうぞ」というと「ありがとうございます」との返事。すぐ前の家の奥様だ。

 散らかった部屋をインスタントに片づけるのは得意だから、5、6分で準備完了。しばし井戸端会議を楽しまんと、待てど暮せど、ついに現われず。

 後日抗議すると、「だってなんとなく忙しくなってしまって」。別段悪びれの風もないところをみると、あの時の「ありがとう」は承諾の返事というわけじゃなかったらしい。行くとも行かぬともとれるあいまいな表現。

 日本語にはそのようなあいまいな、微妙なニュアンスがある。それゆえに外国語に訳しがたいすばらしい表現が数々ある。が反面、実生活では、しばしば「YESなの、NOなの」と問い返したくなることがある。


 

 「お茶をいかが?」
 「いえ、おかまいなく」。この場合も「あっ、そう」なんてひき下ったら大変。逆に朝から8杯コーヒー飲んで、本当に構ってもらいたくなくて断っても、やっぱりお茶はでてくるのだ。
 ああ、めんどくさい!
            イラスト:浅野左多子

「とうよこ沿線」TOPに戻る 次へ
「目次」に戻る