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筆者・白子英男さん
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城南信用金庫が私の職場である。勤めて早や4分の1世紀が過ぎた。職業柄、転勤がつきもので、赴任地での各方面の方々との触れあいは忘れられない思い出となる。
特に厚木支店開設時の開拓時代の思い出は、ことのほか強いものがある。赴任地で、最初はとまどうことが多いが故事のたとえの如く『郷に入りては郷にしたがえ』を地でゆくと意外に道が開けるものだ。仕事に慣れるにしたがい『厚木』を連発するようになり、いつのまにか心は厚木人になっている自分に驚くことがある。
前例がない銀行転勤者に記念品贈呈
厚木支店在任4年でその店を去る際、市長さん、商工会議所会頭さんから、「地域の為に良くやってくれた」とご挨拶されたことは、ことのほか嬉しかった。
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町々に転勤の挨拶でお訪ねすると「今、餅をつくから食べていけ」と言われたり、町内の総会では町会長から「銀行の転勤者に記念品を出した前例はないが、実績から会員の皆様の承認を得たい」と発言されて、十数行の同業者もいる前でいただいた記念品は一生忘れられない有難い思いである。『誠実に一生懸命やれば地元の方々に喜ばれる仕事』これが私の仕事だと思っている。
いまの碑衾(ひぶすま)支店は私の生まれた地域であり、子供の頃あばれたガキ大将だった当時を思い出させる。当地には数多くの金融機関があるが、地元に生まれ地元で育ち、その地元で働ける幸せ者は私一人であろうと自負している。
大企業には融資しない正義の味方
お客様から見たら金融機関はみな同じに思われるでしょうが、一支店でご預金としてお預りした何百億円という資金を、どのような先に融資するかによって金融機関の機能に大きな違いがある。
私たちは地元のサラリーマンや中小企業の皆様にしか融資せず、大企業には絶対融資しないのが信用金庫。まさに正義の味方・鞍馬天狗が「信金ビジョン」である。このような思想のもとで働ける職場は、ほかにはないと思っている。
家庭では2児の父。娘がテレビドラマを見ていて、「パパのように真面目な人」だと形容したりする時は、我ながら苦笑する。息子には「パパ固いよ」と言われて、職業柄かとふと思うこともある。が、固いことが私の職業の生命だと開きなおることもある。毎日が健康でこれからも、地域社会に貢献したいと念じている。
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筆者・中川昭さん |
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私は街の小さなトコヤです。もうこの街で開業して10年になります。私は当時28歳で千葉の田舎から出て来て、東京という大都会で果たして商売ができるか、初めは不安でした。
だが、お客様とのふれあいの中から、店をやって行くうえでのいろいろなことを学ばせていただくうちに、何とかハサミ一丁でやってゆける自信めいたものを身につけてこられるようになりました。
お客様から数々の教えが…
店に流すバックミュージックのテープをくださったお客様。お得意様のカルテを作ったら、と勧めてくださったお客様。私はすぐにそれを実行に移しました。
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予約制にしたため、いわゆるトコヤ独特の社交場的な待合室がなくなった。しかし無駄な時間を消費することもなくなり、現在5台ある椅子が上手に回転するようになった。カルテはまだ完全とはいえないが、少しずつ利用できるようになりました。
お客様の側からトコヤの椅子に坐っている時というのは、忙しい現在の生活の中での一つの憩いであるとおっしゃる方が多い。できるだけ店の中をそういう気分に浸っていただけるように飾っています。
ところが、これも行きすぎると、かえって笑われてしまう。自分でいいと思うことなどは、まだまだそう世間に通用するものではないことを知らされることがよくありました。
仕事冥利に尽きる気分に
こうなると遠くへ引越しされても、時々通ってきてくださる方もできます。本当に有難いと思うと、しがないハサミとカミソリの商売ながら仕事冥利につきるという気分でいっぱいになります。
もちろん刃ものを持つ仕事だから、心の緊張は解くわけにはいきません。
今度、弟が商店街の近くに店を出しました。私はこの仕事に心から生きがいを感じます。また、お客様からたくさんの教えをいただきたいと思っています。 |
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筆者・山前邦臣さん
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慶応医学部を昭和40年に卒業し、内科助手として8年目に米国テキサス大学に留学、リウマチ学の研究を2年半にわたり行い、客員助教授として楽しい米国生活を家族と共にすごしました。4年前に帰国。新横浜に近い篠原町で開業し、地域のプライマリーケア医師として、またリウマチ専門医として公立病院と関連を持ちながら、リウマチ、膠原病の診療に力を入れている毎日です。
地域住民の内科小児科医として日常診療から感じることは、マンション、アパート生活の普及による核家族化のため、「おばあちゃんの智恵」がなくなったことです。 |
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小さな子供を持つ不安な若夫婦が増え、夜中にやたらと医師のところに電話をかけるということが多くみられます。しかし、この4年間母親に医学的常識をよく説明し教えることによって、皆様、以前よりずっとうまく医者にかかることができるようになったと思います。
重症慢性関節リウマチが治る人が増加
リウマチ、膠原病は不治の病として難病とされています。数少ない開業のリウマチ専門医として、午後に「リウマチ外来」を受付け、東京・神奈川県下の遠方から来られる患者さんの治療に一所懸命になっております。
重症の慢性関節リウマチの患者さんで、金療法その他で寛解(治癒に近い状態)になられる人が増えてきました。痛くて歩けない人がだんだん元気になり、ほとんど飲み薬も無くてすむようになってこられた時ほど、医者として生きがいを感じることはありません。
年1回、自ら会員であるアメリカ・リウマチ学会に出席することが楽しみとなっています。56年6月にはパリで国際リウマチ学会もあり、休診にして出かけます。近くで開業している義父が、急患の人たちを診察してくれますのは例年のことで父に大いに感謝しています。
今後も、副作用のない新しいリウマチ治療法開発のために、さらに研鑽を積みたいと考えております。
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