編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.823 2015.12.30  掲載

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  世相嘆くブルースの女王



  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和56年9月1日発行本誌No.7 号名「萩」

 
  文・写真:岩田忠利

    この道ひと筋
   編集長インタビュー
   歌手・淡谷のり子さんに聞く

                             聞き手:岩田忠利

 結果イコール形、イコールお金のみを重視する社会風潮――。それを追い求め過ぎた私たちは、そこに至ったプロセスをもう一度考え直してみる必要がある。

 そんな現代をキビしく見つめる人、歌手・淡谷のり子さんに寸暇をさいて登場願った。相変らず、歯に衣着せぬ淡谷節は健在で「今の町も人も、すべて軽々しいでしょ。みんな浮足だった感じ。全国の家並みも、人と同じく底の浅いペラペラの感じ。もっと落ち着いて、どっしりしていなければ…」。
 熟慮に値する言葉である。



ステージで熱唱する淡谷さん



    怖い存在だった母を語る

岩田 先日の新聞で先生が分刻みでご活躍の記事を読みましたが、いかにもご健康そうで……。

淡谷 でも、去年9月12日、仙台で急性気管支肺炎になりましてね、30分手遅れだったら、あの世へ行くところだったんですよ。

岩田 そうでしたねえ。新聞では危険だなんて報道され、心配していました。

淡谷 あれから、もうすぐ1年。今年の記念日にはお医者さんに行こうかと思っているんですよ。8月12日で満74歳の誕生日ですからねえ。

岩田 それにしてもお元気、なにか特別の健康法でも?

淡谷 1週間に1度、全身美容に行っているのです。機械じゃなくて手によるマッサージ。それから風呂沿びて、悪いところは赤外線をかけてから、全身にクリームを塗るの。これを何十年と続けているのです。

岩田 気持ちいいでしょうねえ。

淡谷 疲れなんか、いっペんに吹っ飛んじゃう……。

岩田 先生が大変尊敬していらっしゃったというお噂のお母さんも、長寿の方でいらっしゃいましたか。

淡谷 一昨年、88歳で亡くなりましたよ。大変な皮肉屋さんで面白い人でした。私がなにをしたって、知らんぷり。「自分で責任をとりなさい」という主義の人で、私にはなんとなく怖い存在でした。
 私が酒飲みでしたでしょ。「これ、みんな飲んだら、どうですか?」って、どこからか4本もウイスキーみつけて来て、私の前にドカッと並べるんです。「どうぞ、なんぼでもお飲みください」ってね。
 若いころ、こんなことも。男性と別れて実家に帰ってきた私に対する第一声が、

「ハイ、お帰りなさい! おなか空いたでしょう。なに食べます?」って、ケロッとしているんです。

岩田 度胸のすわった、羨ましいお母様でしたねえ。

淡谷 父がなんぼ遊んだって、知らんぷりしているんですから…。あのタイプの女性は、今じゃ現れないでしょうね。

   不愉快で嘆かわしいこと

岩田 先生はお若い頃から有名人。なにかと気苦労も多いことでしょう。

淡谷 とくに私はズケズケ言うほうですから、個人的にもいろんなことが…。
  通行人はちょっと私の姿をみつけると、「サインください」と言ったり、異様なものが歩いているかのようにジロジロ見られたり、「あッ、淡谷のり子よッ」なんてゲラゲラ笑われたり……。キザみたいですけど、こっちの身になってみないとその不愉快なことったら、わかりませんね。この頃、とくにひどくなりましたねえ。

岩田 その原因って、なんでしょうか。
淡谷 テレビの影響ですよ。テレビの無い時代は、良かったですよ。ちょっとおかしい世の中ですね、この頃は。悲しいことだらけですもの。



二子玉川の富士観会館で本誌主催の「淡谷のり子さんを囲む会」で
 
左から私の義母・鈴木善子、淡谷さん、私(岩田忠利)

岩田 先生の歌の世界で嘆かわしいことは?
淡谷 インチキな歌が氾濫していることと、それを歌ってる人間のお行儀が悪いこと! 挨拶ひとつ、まともに出来ないのが多い。あのような歌がはびこってる世の中ですからねえ。
 歌手になったのに、舞台の上(かみ)・下(しも)を知らないんですね。お客さまに向かってこっちが上手(かみて)、あっちが下手(しもて)なのに、「上手(じょうず)から入って、下手(へた)に出る」なんて言って平気なの……(笑い)。
岩田 いま、漫才や落語ブームの時代ですけれど、地でゆくようなお話ですね。
淡谷 そうです。私が昔、くだらない歌手のことを歌屋″って言ったら、いろいろと脅迫の手紙がきたんです。中にはカミソリを封筒に入れて「これで死んでしまえ」ってねえ。この手紙を最後まで読んだら、一カ所に「お前なんか、目が悪い」って書いてある。よーく考えてみたら、(めいわく(迷惑)だ)という意味なんですね。

岩田この手紙、昔の痴楽師匠の落語に出てくるようですね。
淡谷 日本人が日本語に弱くなったネタはいっぱい。だって、週刊誌を集間紙、集める間の紙、と書く若い人がいるんですよ。新聞社の人の話では入社試験問題〈空前絶後の意味を書け〉という答案に、「午前中に何も食べなかったので、午後、息が絶えた」ですって……(笑い)
 今のひとは、日本語の読み書きを勉強していないんですねえ。


           ビニールで作った本

岩田 それにしても、週刊誌を集める間の紙、集間紙と書いた人は、立派な評論家と思いますが……。
淡谷 それも、くだらない週刊誌が多すぎるからですよ。ろくに読まないでポイとすぐ捨ててしまう。
 ビニール本≠チてあるでしょ。あれ、私は知らなかったんです。初めて放送局の方から「先生、ビニール本の取材の話ですが…」と頼まれたとき、〈とうとう、ビニール本が出来る時代が来た!〉と思ったんです。あれなら、丈夫ですものねえ。「あー、いい本ができたんですね」と私が言いましたら、放送局の人ほ変な顔をしながら、「先生、これ、見てくださいッ」。
 見てビックリ……。なーんという本ですか、あれは…。本だか、おげれつな裸の写真集だか……。それから、ビニール本を売っている、神田の大きな書店へ取材に行ったんです。
岩田 どうでしたか、取材は?
淡谷 いるんですねえ、あんな本を買う人が……。その売り場にいる女は、私だけ。それも、カアちゃんのいる人ばっかり。私、ズケズケ聞くんですよ。「どうして、こんなものを買うんですか」「あなたは、奥さんじゃ、飽き足らないんですか」。
  一人の学生さんは「ぼく、田舎から出てきて、淋しいから見るんです」という答え。「そんなら、あんたのお母さんの写真でも見たら…」って私が言ってあげたんです(笑い)。

岩田悪貨は良貨を駆逐する≠ニ言いますけれど、悪いものほど、急速にはびこりますね。
 私も本誌を委託販売してもらうために東横沿線の本屋さんはほとんど回りましたが、大半が内容よりも売れる雑誌、より儲かる雑誌を店頭に並べています。ある主人は学校のPTAの会長。なのに、利益率の高いマンガやエロ本を店頭に……。教育よりもお金儲けが先、ということですかねえ。
淡谷 そうですか。お金のためならなんでも実行する世の中。ロマンも夢もないですね。情けないですねえ。
 だから子供がすぐお金に換算するんですね。大人の親が悪いんですよ。金があれば、なんでも手に入る時代だからといって、なんでも買い与える。ダメなら、泥棒を犯してまで手に入れてしまうんですから。
 あのマッカーサー元帥が言ったでしょ。「いまに、日本の国は“不抜け”になる」って。そのとおりになっちゃったじゃないですか、日本は……。
  将来のある若い人がくだらない雑誌や本なんか読んでないで、もっともっと勉強してもらいたいねえ。(終)


      自宅での人間、淡谷のり子
さん

テレビ画面から抜け出てきたようなお姿。きれいにセットした金髪。ツヤツヤしたシミひとつない肌。これで74歳かと。昭和11年から45年間住みなれた自宅は、洗足池の近く、駅から2分ほどの静かな住宅街。

 インタビュー中も3度も中座。そのたびに緑茶にセンベイ、紅茶にクッキー、そして最後はコーヒーにケーキ、みずから奥に行っては入れ替えてくださる温かい気配り。女王″に気を使わせる当方、恐縮のしっぱなし。世評とは180度異なる、たいへん心優しい人であった。

 「もう私は、何年も生きられないんだからいいけれど」と言いながらも、地域社会のあり方、日本を背負う若い人たちの教育論、芸能界・歌謡界のこと、話はとめどなく続く。なかでも今日の殺伐とした世相は「自分さえよければ」という自己主義のせいだ、と嘆いていらっしゃる。

 たとえ憎まれてもズケズケ発言、広く日本人に問題提起する貴重な存在の淡谷さん、いつまでもお元気でと願う。



「中原街道も戦前は細い道でした。駅を降りるとバイオリンやピアノの音がする静かな町でしたねえ」。2台のピアノがある応接間で
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