編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.807 2015.12.07 掲載 
故郷
駅長訪問
NO.3
 渋谷駅 天野晴夫駅長 の巻
                        ★昭和55年12月1日発行『とうよこ沿線』第3号から転載

文:吉谷 恵美子(主婦 港北区綱島東)  

        乗客38万人の駅長サン。厳しく、優しく


  早朝マラソンで一日が始まり、晩酌で一日が終る。これが健康管理に人一倍気をつかう渋谷駅長天野晴夫さんの毎日である。
 渋谷駅といえば′、新宿、池袋、東京に次ぐ駅で、山手線をはじめ井の頭線、新玉川線、地下鉄半蔵門線、銀座線と多くの電車が乗り入れ、東横線にとっては玄関ともいえる。

 駅長室は、改札口に向って右側の2階のガラス張りの部屋。ここからはホーム全部が一望のもとに見渡せる。銀色の車体がつぎつぎ出入り、そのさまは、乗降38万人の活動のリズムを感じさせる。



制服がお似合いになる天野駅長さん

 駅員79人の大所帯をまとめるオヤジさん

 昭和14年、まだガソリンカーの車輌が走っていた。その当時天野さんは入社。まず玉川線に配属されたのを皮切りにあらゆる任務を経験、それから40年の歳月――。現在では駅員79人の大所帯を取り仕切り、代官山の駅長も兼務しておられる。

 お生まれは、世田谷区上馬。55歳。
 天野さんの朝は早い。5時には起床、日課のマラソン。平日は6キロ走っているそうだ。ひと汗流し6時半には家を出る。一日の業務で一番忙しいのは、やはり朝のラッシュ時。
 日頃、部下への訓辞は「駅も自分の家も同じ。とにかくきれいに…」。なるほど、話をしながらも床のゴミをさっと拾う。






 部下の駅長評は、「冗談もよく言うけれど、とてもこわいオヤジさん」。気さくに話してくださる天野さんから、なかなか想像しにくい。
 「末端の部下に至るまで、いつもキチッとプライドを持って仕事をしろ。安全に留意し、サービスに徹しろ」  といつも厳しく注意されている。

 天皇陛下をお迎えしたことが3度も…

 昭和43年から3年半、伊豆急下田の駅長。当時、日本は経済成長のまっただ中、休日は連日観光客でごった返していた。単身赴任で寂しい思いもされたそうだが、何よりも思い出深いのは、下田の御用邸ができ、初めて天皇陛下をお迎えしたこと。御召列車から降りられた天皇を、ホームから改札口までご案内する次第を、警護規定などを参考に3日間徹夜で作りあげ、以後3回お迎えしたという。

 「キュート」開設の仕掛け人

 その後本社に戻っている間、菊名、渋谷、溝の口にあるコーヒースタンド「キュート」の開設を手掛けた。この「キュート」は各駅の管轄。たまには制服を着替えてカウンターに入ることもある。今でもデパート、スーパー、喫茶店に入ると、レイアウト、目玉商品の飾りつけ等がとても気になるそうだ。



時には私服に着替えて「キュート」のカウンターに入る

 休日は夫人のスーパーの買物のお手伝いも…。
 お住まいは田園都市線青葉台。一人っ子の娘さんは嫁ぎ、夫人と二人きり。ときどき待ち合わせて映画や食事を楽しまれる。休日は読書や愛車の手入れで過ごす。
 仕事柄、長期間の遠出は
なかなかできない。「いやあ、その分、家内があっちこっち出掛けてますよ、旅行好きでねー」、と目を細める。

 外では厳しく、内ではやさしく。江戸っ子らしい滑らかな口調を耳に残し、帰路『とうよこ沿線』編集室の日吉に向った。

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