編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.805 2015.12.06 掲載 
故郷
 駅長訪問
NO.1
日吉駅 鈴木三郎駅長 の巻
                       ★昭和55年7月7日発行『とうよこ沿線』創刊号から転載

文:川勝直子(主婦 元住吉)  

      綱島出身の駅長サンが4駅をガッチリ…


 駅長サンと聞いただけで、なぜかいかめしい風貌の方を勝手に想像していた。

 ところが、お目にかかると、陽焼けした顔に麦藁帽子がピッタリするような健康そのもの″といったオジサンで、いささか太っていらっしゃる。一言一言丁寧に言葉を選んで話すあたりは、いかにも実直な人柄という印象を受けた。
 この方、鈴木三郎さん、53歳。日吉・元住吉・武蔵小杉・新丸子の4駅を、ガッチリ守っている。

 “カラッポ電車”と、はやしたてた少年

 綱島生まれの綱島育ち。幼少から東横線を見て育った。当時延々と広がる田園の中を、たった1両で走る電車にはほとんど乗客はいなかった。

 小学校の庭から眺めて「カラッポ電車! カラッポ電車!」と、はやしたそうだ。
 そのカラッポ電車を運転したいと鉄道に入ったのは14歳の時。何より乗物が好きだったのである。
 ただし運転席に立つまでに6年。最初の2年は、明けても暮れても便所とホームの掃除ばかり。
 「辛かったのは、雨のあとの階段掃除でしたねぇ」
 こびりついた泥を一段一段スコップで削り落とすのは、大変な作業だった。けれど、持ち前の負けん気で「何くそ」と思ってやってきた。
 「先輩に頼らず、何でも自分で」それが鈴木さんのモットーなのだ。

  伊豆急の突貫工事に携わった思い出

 今までに一番印象深いエピソードを伺うと、
 「昭和36年、派遣されて伊豆は伊東〜下田間の開通突貫工事にたずさわった時の思い出」だそうだ。
 バスしか通らない伊豆の避暑地に、一番電車が走った時、生まれて初めて電車を見たという老人も多かった。開通式の日、駅にあふれた住民と喜びを共にして、
 「ああ、交通機関に従事していて良かったなぁ、と思いましたね」。この時の表情は実に楽しそう。




鈴木三郎さんは日吉・元住吉・武蔵小杉・新丸子の4駅管轄駅長です

 その思い出につながるせいか、趣味の釣りには伊豆に出向くことが多い。釣った魚はちゃんと自分で料理する。刺身が好物だが、「今の季節ならアユが一番」

 駅長室からは、ホームの様子が一望できる。今日のような雨の日には、電車や構内に傘の忘れ物が増えるそうだ。「ところが、取りに来る人が少ないんです。時代の反映ですかね」
 ほかにも駅員さんを困らせるのは、「終着駅に着いても眠り込んでいる泥酔客。こんな時は3、4人がかりで運び出さなければならないんです」。

 「これまでの鉄道員ではダメ。もっともっとサービス向上に努めなければ」と語気を強くされる。
 また、安全・混雑緩和の対策として踏切を少なくするなど、真剣に取り組むべき問題は多い。

 「東横線は我々のものではなく、住民の皆さんのもの。より快適な“足”としてお役に立ちたい」という最後の言葉が印象的だ。

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