駅長サンと聞いただけで、なぜかいかめしい風貌の方を勝手に想像していた。
ところが、お目にかかると、陽焼けした顔に麦藁帽子がピッタリするような健康そのもの″といったオジサンで、いささか太っていらっしゃる。一言一言丁寧に言葉を選んで話すあたりは、いかにも実直な人柄という印象を受けた。
この方、鈴木三郎さん、53歳。日吉・元住吉・武蔵小杉・新丸子の4駅を、ガッチリ守っている。
“カラッポ電車”と、はやしたてた少年
綱島生まれの綱島育ち。幼少から東横線を見て育った。当時延々と広がる田園の中を、たった1両で走る電車にはほとんど乗客はいなかった。
小学校の庭から眺めて「カラッポ電車! カラッポ電車!」と、はやしたそうだ。
そのカラッポ電車を運転したいと鉄道に入ったのは14歳の時。何より乗物が好きだったのである。
ただし運転席に立つまでに6年。最初の2年は、明けても暮れても便所とホームの掃除ばかり。
「辛かったのは、雨のあとの階段掃除でしたねぇ」
こびりついた泥を一段一段スコップで削り落とすのは、大変な作業だった。けれど、持ち前の負けん気で「何くそ」と思ってやってきた。
「先輩に頼らず、何でも自分で」それが鈴木さんのモットーなのだ。
伊豆急の突貫工事に携わった思い出
今までに一番印象深いエピソードを伺うと、
「昭和36年、派遣されて伊豆は伊東〜下田間の開通突貫工事にたずさわった時の思い出」だそうだ。
バスしか通らない伊豆の避暑地に、一番電車が走った時、生まれて初めて電車を見たという老人も多かった。開通式の日、駅にあふれた住民と喜びを共にして、
「ああ、交通機関に従事していて良かったなぁ、と思いましたね」。この時の表情は実に楽しそう。
|