編集:岩田忠利 / 編集支援・タイトルロゴ:阿部匡宏
NO.796 2015.12.04 掲載 
故郷
NO.5
  岩手県の巻

話す人伊藤孝雄(目黒区自由が丘 新劇俳優)    文:斉藤かすみ(青葉区青葉台 会社員
  
        ★昭和61年12月1日発行『とうよこ沿線』第36号から転載
 ◆画像は、クリックし拡大してご覧ください。

                                            

   自慢したい、温かい人情と風土                


  本州一の広大な県土、海のアルプスと呼ばれる陸中海岸国立公園、自然の火山博物館として知られる十和田八幡平国立公園など、壮大にして豊かな自然に囲まれた岩手県。

 今回は、その岩手県出身の伊藤孝雄さんに、ふるさとを語っていただいた。



一関市大東町の「山吹の棚田」



一関市大東町に流れる磐井川。渋尾橋からの眺め



イラストマップ:石野英夫(元住吉)
   写真提供:岩手県観光連盟

   川の流れる街、一関市

  私の出身地は、岩手の南玄関として知られる一関市の近郊・大東町。中学、高校とも一関市内だったので、大船渡線で汽車通学していた。

 一関市は、北上川と磐井川(いわいがわ)という2本の川が合流している。北上川の方が水量が多く、何度か水害に見舞われた。
 市街の中心を流れる磐井川。学校も堤防沿いにあった。その河川敷公園は市民の憩いの場という感じ。昔、高崎城があったという釣山公園も、桜の名所として親しまれている。

 街に川が流れているというのは、実に心がなごむ。川が街に何本も流れているなんて、全国そうそうあるものでないだろう。岩手を代表する「杜の都」盛岡も、北上・雫石・中津の3本の川が流れる。未来に向けた街づくりが進められつつ、自然がマッチしている姿は、ビルばかり建ち並ぶ姿とは、まるで違った風情がある。

対照的な厳美渓と猊鼻渓げいびけい)

 
一関市付近で有名な観光地に、日本百景の一つである厳美渓や東山町にある猊鼻渓がある。

 厳美渓は、2キロにおよぶ渓谷を上から見下ろす景色が四季変化に富み、絶景。名物の郭公(かっこう)団子も人気の一つ。 渓谷の岸から岸へ綱を渡し、木槌で合図の板を「コーン」と鳴らすと、滑車のついた篭が綱を渡って団子を運ぶ。今でこそ、珍しいと人が集まっているようだが、私が小さい頃は、厳美渓に行くと当たり前のように団子をほおばり、対岸の遊園地で遊んだものだ。



厳美渓
  これに対し猊鼻渓は、下から渓谷の両岸を見上げる景色が自然林に彩られて美しい。ここは、下校途中の寄り道コースの一つ。水が澄んでいて、きれいだった。飯ごうでご飯を炊き、河原で食べたりした。うまく炊けることばかりではなかったが、自然の中で仲間と食べると、なぜかおいしかった…。


猊鼻渓
  このほか、一関の北には、みちのくの古都・平泉、西には夕陽を浴びて輝く栗駒山、南は海岸で、高田松原や碁石海岸、宮城県の気仙沼などがある。




 


上品さ漂う方言、素朴で誠実な人柄

 
県北は南部藩だが、一関市あたりは田村藩。文化圏でいうと、むしろ宮城県側だが、人柄や方言でいくと盛岡の方が好きだ。
 訛っているというより、柔らかく、むしろ上品に聞こえるのが岩手の方言。ゆったりとした話し方に温かい人間味を感じる。ふるさとで自慢できるものといわれたら、素朴で誠実な人情をあげたい。

 先日、公演で岩手県に行き、某デパートで売り子の女の人に千円札を両替して欲しいと頼んだら、嫌な顔せず、すぐに対応してくれた。こちらのデパートではそんな風にしてくれるとは思えない。まだ、人情みたいなものが残っているかと思うと温かい気持ちになる。

 民話や啄木・賢治らを育んだ風土

 大東町の北部に位置する遠野は、柳田国男の名著『遠野物語』によって民俗学発祥にゆかりの深い地として全国に知られている。



“民話の里”の今、遠野市土淵町山口地区

 私はおばあちゃんっ子で、小さい頃からたくさんの民話を聞かされてきた。例えば一本の木にも生命が宿っているとか、キツネやタヌキが人をだますとか、カッパが存在するとか……、子供の頃、本当に信じていた。夜はネオンなどが灯るわけもなく、文字通りの真っ暗闇になる。本当に一寸先も見えない。恐しいほどである。

 
今日、経済的な面でしか物事を考えられない人々が増えている。そんな世の中で、仮空のものを信じるという心や、自然に対する畏敬の念を持つことは、今でも忘れていないし、忘れたくないと思っている。小さい頃の経験が直接のきっかけではないにしろ、今、俳優として関わっていることは、当時の影響が多分にある。岩手の風土の中で育ってこられたおかげと感謝している。
  岩手は、『遠野物語』が生まれても、石川啄木や宮沢賢治が出ても不思議じゃない環境なのだ。

 “兵どもの夢の跡”と“庶民の夢の跡”

 平泉は、今から約9百年前、藤原清衡により建設されたみちのくの古都。ここには昔、京都と同じくらいの街があった。
 夏草や兵どもが夢の跡″――
 源義経がこの地に庇護され、4代泰衡で藤原氏栄耀の時代を閉じた。今は、金色堂や毛越寺浄土庭園にその面影を残すのみで、建造物や文化財が、藤原氏の栄耀・平安朝文化を物語っている。
 私は、それを自慢する気はない。むしろ、武士よりもっと下の人々の夢の跡を思わずにはいられない。実際にその建造物をつくったのは庶民なのだから。金色堂などを訪れ、観光する人々は、庶民の悲劇をどれだけ感じとって いるのだろうか。


   筆者・伊藤孝雄

 岩手県東磐井郡大東町(現在は町村合併により一関市大東町)出身。目黒区自由が丘在住。新劇俳優(民芸)。49歳 

     お話を聞き終えて

 ふるさとを離れ、新劇俳優として活躍する伊藤さん。その鋭い視点にギクリとさせられた。
 ふるさとを愛すればこそか、人を思いやる心のやさしさか。岩手の風土のスケールの大きさと奥深さを伊藤孝雄″という人物の中にも見たような気がする。(斉藤かすみ)

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