日常生活といっても、私の考えることや行動はここ数年、会社経営のことやそれに関連したことが大半を占めていた。自分の生活を振り返って考えるなどということは、今までになかったように思う。
そういう意味では良い機会をいただき、ありがたい。
酒は“治療薬”
会社での私は、割と民主的でそれほど強引なタイプではないと自分では思っている。家庭にあっても可もなき不可もなきといった世の平均的亭主と勝手な自己査定をしている。一人息子も今年大学に入って学校生活やパソコンを楽しんでいるし、妻は妻で友達と買い物や趣味のパッチワークなどで最近自分の時間をうまく使って満足しているようだし‥…。
この深刻な不況下での“仕事人間”は、私に限らず慢性的疲労状態にある人たちが結構いるのではないかと思う。
そんな時の治療薬″という口実で私は時々行きつけの居酒屋で気分転換をする。カウンター越しに店主との世間話、常連客とジャイアンツ戦の勝手な解説や予想などで、ほのかな酔いに自然と緊張感がほぐれて朗らかになり、楽しい時間が流れていく。私にとってお酒は元気の源であり、まさに百薬の長、治療薬なのだ。
もし自分が下戸だったら、この病気≠どのように治していただろうか。じつはその酒、とくに日本酒の銘酒なら口に含めば銘柄が分かるほど日本酒党になるにはきっかけがあつた。
ファンであつた俳優・高倉健の映画を高校時代に観てから。彼はこの世にこれほど高価で旨いものはないといった仕草でお猪口に口をつけ、酒が心の憂いをすべて吸い取ってくれるような表情で酒を飲むのだ。大人になって知ったのだが、彼は酒は一滴も飲めないそうだ。
要するに私は、酒を介した人との関わりが好きなのである。しかし人間は十人十色、付き合うのはそう簡単ではない。相手によっては楽しくなるどころか、むしろストレスが溜まってしまう場合もある。
そんな時でも最近の私は、「楽しく酒を飲む法」を長年の月謝″の代償に覚えた。人にはそれぞれの生き方があり、それぞれの人生があることを認め合うことである。つまり、一定のスタイルやコース、幸せや価値に対する画一的なものなどないのだから、他人にそれを押し付けてはいけないと考えるようになった。
そう考えることによって、以前よりは自分の心に少し余裕を感じることができ、人と話すことが楽しくなり、結果としてウマイ酒を飲むことができるのである。
1日4箱のヘビースモーカー
バブル期における日本の社会はどこか自己中心的で、人々は物欲に走り、人情を踏み潰してきたようなきらいがある。そして、とうとう打開の見通しがつかなくなるような不況の中、すっかり自信をなくしてしまったようだ。それにしても私たちは「もう物欲だけではダメだ」ということを十分学んだと思う。
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お酒の話に一瞬ふくよかな笑みに変わった筆者
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そんな中で私はただ一つ、有森裕子さんの言葉を借りれば自分で自分をホメてあげたいことがある。もう時効とみなして告白すれば、すでに高校時代からバンバン吸っていたタバコは2年前には1日4箱に達していた。「この不況下、禁煙すらできなかったら乗り切れない」と一念発起、その日からタバコもライターもスパッとごみ箱に捨てた。
こうして絶ち難いと思っていたタバコとおさらばできたことは、個人的には不況に感謝したいほどである。
両親の漠然とした希望
サンマの塩焼きで一杯やっていると、ふとノスタルジックな気分になり、幼い頃を思い出す時がある。
北海道の自然と人情に抱かれた炭坑の町、全員揃っていた家族団らんの食卓、その日の夕飯のおかず、みんなの顔を照らす電灯の色さえ記憶の中に浮かんでくる。
決して裕福とは言えない時代だったのだろうが、父親はがんばって生活を支え、母親は忙しく家事に追われ、子供たちに持てる愛情をすべて注いでくれた。きっと来るであろう“今以上の幸せ”という漠然とした希望みたいなもの、それを絶えず胸に抱き生きてきたように思う。やはり希望は大小に関わらず、人間が生きていく上で水や空気と同じくらい大切なものだと両親の後ろ姿から学んだ。
語るべき大層な暮らしぶりではないが、これからは忙しくしているだけではなく、すっかり硬くなってしまった心と体を和ませてくれる家族や仲間と時々振り返ることができる暮らしを心がけたい。
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藤井 由則
北海道・芦別市生まれの46歳。高校を出て2つの専門学校に学び、日本ゼオン株式会社入社。平成7年、大倉山東口のレモンロードに総合建設会社「タイコ一総建」を設立、社長。趣味は映画鑑賞とジョギング。
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